法務大臣が発したパーティで笑いをとるつもりの軽口が、重い結果となってしまった。
失敗した他人を責めるのではなく、わが身を引き締めるためにこの問題を考えてみよう。
パーティの挨拶で笑いを取ることはまったく問題ない(期待されている)。
問題は、どう笑いと取るかだ。
自分を卑下(自虐ネタと)して笑いを取るのは、揶揄する相手が自分自身だから問題ない(むしろ一番安全)。
そのバリエーションとして、自分が担当している仕事を卑下して笑いを取るのは、同じレベル同士(だけ)の集まり、たとえば、大臣同士だけの内密の会話で己の担当を卑下するなら問題ない。
ところが、それ以外の第3者に開かれた場面でこれを言うと、その仕事にかかわる他者(仕事の相手、同僚)をも卑下(軽蔑)することになってしまう。
たとえば大学教員の私が自分の仕事を仮に「つまらない仕事」と言ったなら、学生と同僚を軽蔑したことになる。
つまり、自分を卑下しているつもりで、他者をも一緒に卑下(軽蔑)してしまう。
これは本人の気持ちの当否にかかわらず、論理的(客観的)な含意の問題なのだ。
なので野党の悪意の解釈も無用だが、「そのつもりはなかった」という弁明も無効。
それゆえ、卑下の範囲と聴衆の範囲によって、軽口の社会的適否が異なる。
こういう配慮に慣れない限り、安直に卑下して笑いを取りにいかない方がよい。
軽口は意外に”重い”ことを肝に銘じたい。