夏至間近の水辺旅も、最終3日目の浜名湖からの帰途につく。
宿のすぐそばを走っている東名高速を使えば、東名名古屋インター近くの名古屋宅へは1時間少しで着くが、急ぐ用事がないので、ここは三河高原を横断してゆっくり帰りたい。
浜名湖から西北に上がって、東名高速と峠を越えて愛知県に入り、新城市から本宮山麓の坂を登って標高500mの三河高原に達する。
旧・作手(つくで)村の道の駅で休憩して、ビールの空缶で作った風車(400円)を買い、向い側の慈昌院(臨済宗)に行く。
ここも臨済宗ながら弘法大師を祀っている。
由緒を見ると、寺域は奥平氏の石橋城趾で、謀反の戦さによって城を守る衆は全滅したらしい。
土塁が残っていて、土塁の遺体を埋めた跡地に石祠がある。
梵鐘があり、念を入れて撞いていいというので、一回撞いて鐘の音を響かせた。
ここから高原上の国道を快走し、豊田市に入って峠を下ると「松平郷」に出る。
徳川家の元である松平氏の発祥の地だ。
ここは再訪だが、その時は資料館だけ訪れたのだが、国指定の史跡になった今回は丁寧に家康産湯の井戸(写真)のある産八幡宮や、松平氏累代の墓所・高月院にも足を伸ばした。
松平氏の始祖である親氏(ちかうじ)は、上州(群馬)の出の遊行僧なので、群馬にも徳川家発祥地がある。
親氏の妻側がこの地の豪族(在原氏)で、親氏がこの松平の地を名字の地として名乗った。
そして松平から徳川と改姓した家康も、ここの産湯が使われ、また若い時に高月院に植えた木が現存している。
高台にある高月院に親氏の墓があり、本堂に上がれて本尊の阿弥陀如来を間近で拝め、ここでも梵鐘を撞いて、音を松平郷に響かせた。
遊歩道沿いにある立派な造りの親氏の銅像が、遊行僧から武士になる過程の姿を表している(写真)。
郷内には小川が流れて、途中に氷を掻き出した池がある。
この地で小川と池を歩いたので、海・湖に続く”水辺の旅”の続きといえる。
そして、今回最後に立ち寄ったこの地は、渡辺崋山や豊田佐吉以上の、日本の歴史上で最高の偉人(と私が認める)徳川家康公にゆかりの地。
ということで、今回の旅は水辺の旅とともに地元愛知に関係する偉人を巡る旅ともなった。