大学への受験勉強以来、私は公立図書館で勉強する習慣が身につき、今でもその習慣を続けている。
今は、大学教員として研究室(個室)を与えられ、また東京の自宅には書斎があるにもかかわらず、東京に居る週末期間は図書館に通って、そこで持参したノートパソコンを開いて、講義ノートや論文の作成作業をする。
図書館でのこのような行為に違和感をもつ人たちがいる。
「図書館は館内の蔵書を読む所だろう」と。
”区立”レベルの公立図書館もこの姿勢なので、行く図書館は区立ではなく、都立か国立になる。
実際、(都立・国立)図書館通いをするわれわれ作業派は図書館の蔵書が目当てではない。
そこの閲覧室が目当てなのだ。
すなわち、作業する以外にすることないストイックな空間。
そういう空間が無料で長時間使えるのは公立図書館のみなのだ。
もちろん、規模の大きい図書館は、資料を閲覧したくなった場合も便利。
自分の研究室も書斎も、残念ながらその作業以外の事物が密集していて、雑多な行為が次々に誘発されてしまう。
すなわち集中がしにくい(贅沢な悩みで申し訳ない)。
といっても、研究室や書斎ならモニターの画面が大きくしかも2台使えるが、図書館ではノートパソコンの画面のみ。
コーヒーを飲むにも、図書館だと自販機で有料。
すなわち図書館が完全に優位なわけではない。
実際、書斎持ちの私が、公立図書館にあえてノートパソコンを持参して通うには、”集中できる”だけでは理由として説得力(自分に対しても)が足りない。
私が未だに図書館通いを続けている理由は、作業だけが問題でなく、
それが「外出」を兼ねているからだ。
東京での外出は、車を使わないので、駅までの歩行運動を伴う。
長時間座り続けることが健康に良くないと近年指摘されている。
でも私の作業はそれから逃れられない。
ならばその作業の前後に半強制的に、歩行運動を追加すればいい。
すなわち歩行運動+集中作業+歩行運動という組み合わせ。
家にいてはこれはほとんど不可能(強い自発的意志が必要)。
となると外出するのが一番。
図書館での作業は遅くとも夕方前に終わる(それが集中作業の限度だから)。
すなわち限度まで集中できる。
その後は、自宅に直帰せず、地下鉄で繁華街に立ちよって、街の気分を味わい、買物をする。
外出は、歩行運動のほかに気分転換と買物まで兼ねる(他にもいろいろ加えてよい)。
かように”図書館通い”は、作業だけでなく生活の質をも高める、実に効率的な行為なのだ。