いろは坂。関東圏の人であれば、名前を聞いたり、実際に観光バスなどで通ったことがあるだろう。
ゆきたんくも小学校の修学旅行でバスで通った。観光バスは座席が高い。カーブに差し掛かると窓外の下の方に道路が見えないのである。
「キャー!」と言いながらスリルを味わったものだった。
そんないろは坂で一番古い思い出をいまだに覚えているのだ。
確かゆきたんくが4歳ぐらいだったと思う。どんな記憶かというと、なんといろは坂を歩いているのである。歩いて登っているのではなくて、坂の途中でバスを降り、次第に坂に渋滞する車の台数が増えていく景色だ。なんでそんなことを鮮明に覚えているのだろうか。その時には父も一緒にいた覚えがある。
小学校6年の修学旅行(日光方面)の前日に浮かれていた時のことである。しおりを見て、いろは坂だの東照宮だのとはしゃいでいた時のこと。
「お前もなぁ、修学旅行に行く歳になったか。」で始まった親父の言葉・・・
親父「お前が4歳の時のことだ。日光に旅行に行ってさ、いろは坂でバスを止めたんだぞ。」
ゆきたんく「止めたって、誰が?」
親「誰がって、お前がさ。」
ゆ「なんで」
親「いろは坂の途中でさ、うんこもれるってさ」
ゆ「で?」 さすがにその後の言葉につまったゆきたんくである。
親「坂の途中にバスを止めてさ、外に出てうんこしたんだよ。」
おかげで、高級なハンカチを1つ、いろは坂に捨ててきたんだよ。
おまけにそのせいで坂は大渋滞だったんだ。俺ははずかしかったぞぉ。」
ゆ「えぇ、そんなぁ・・・」
ゆきたんくの中に時々現れる映像の意味を、その日はっきりと理解することができた。
ゆきたんくがいろは坂にバスを止め、渋滞を引き起こし、大衆に迷惑をかけたのは1964年のこと。それから2年後の1966年観光客の増大により、観光シーズンの交通渋滞を緩和するため、登り専用の「第二いろは坂」が完成し、それまでのいろは坂を降り専用の「第一いろは坂」とした。
つまり、ゆきたんくはいろは坂をもう1つ増やすのに貢献したのである。
いろは坂の文字盤
各々のカーブには上り「い」~「ね」、下り「な」~「ん」の文字板が建てられている(「い1」「ろ2」「は3」のように文字数字が対応する形の表記になっている)。
しかしね、何人の人に私は尻を見られたのだろうか・・・