この間(かん)のテレビは「忠臣蔵」関係の番組が多い。
先日12月14日は母の命日で、忠臣蔵の番組とどうしても重なってしまう。
よってA=B A=C B=Cのような式で、忠臣蔵=母の命日のように頭には入っている。
ところで赤穂浪士の墓は、東京都港区泉岳寺にある。
そこに向かっていた時に偶然見つけたのだが、「大石良雄等の自刀の跡」という小さな碑を見つけた。泉岳寺から見ると、北へ100mほどの所にポツンと建っている。
「大石良雄等自刀の跡」
ここに彫られている字は自刀である。この場合自刃(じじん)という表現もあるが、どちらが正しいのだろうか。
まあ、ふと車窓の左を向いた時に見つけすぐには停まれなかったので車をバックさせて撮った写真である。
泉岳寺には義士の墓とともに大石良雄の墓がある。
泉岳寺の義士の墓石には自刃の「刃」の字が彫られている。これは切腹して果てたことを意味するという。
切腹をした義士達の墓は、最期の地になった預かりの家ごとにまとめられている。
良雄(内蔵助)の息子である大石主税(ちから)も、例外ではない。
よって内蔵助の傍ではなく、預かり家でまとめられている。
義士の墓と、内蔵助(写真一番奥)の墓
線香を一把買うと火をつけて竹で出来た入れ物に入れてくれる。
その線香を一本ずつ墓に手向けて、泉岳寺を後にした。