先日映画「永遠の0」を観た。
感動で胸が一杯になった。
ヒューマンな物語であったということだ。
戦時下の精神状態で、どれだけぶれない自分を持つことができるか。
その強さを見せられたと思った。
戦争の是非は、もちろん非だ。
しかし、自分の愛する者たちを守るための手立てとして戦争があったのだろう。
敵を殺さねば、自分が殺される。
敵を殺さねば、自分の愛するものが殺される。
自分が殺されれば、自分の愛する者を守ることができない・・・
自分が殺されれば、愛する家族に再び会うことができない。
そんな最中で特攻が始まった。
特攻機の直掩機として、特攻の効果が上がらないこと(命を無駄にする・・・)を目の当たりにした。
自分の教育した部下が死んでいくことで心がボロボロになっていく主人公。
最後には特攻を志願した。
映画は一人の主人公と周囲の者で構成されている。
しかし、人生というのは、自分の物語の中では一人ひとりが主人公だ。
たくさんの物語があったことだろう。
知覧特攻平和会館入り口
会館の中は撮影不可なので写真はない。
ただ、日本はこの戦争に勝てないことを知りながら、自分が命をかけた物語を後世の日本人のために残した方々の遺書を見ていただきたい。
そして十代、二十代の彼らのぶれない精神は、その達筆さから伝わってくるだろう。
ぜひ行間を読んでいただきたい。
また、生きていれば日本が大きく変わっただろう頭脳の持ち主がたくさん亡くなったことも実感することと思う。
そう、ゆきたんくには宿題が一つできた。
この旅の時、知覧から枕崎に行った。
特攻の方々が、最後に見た日本の景色を見ていなかったのである。
薩摩富士と言われる開聞岳を見て行ったと言われている。
こんな感じだったのだろうか。