前回「兄弟」は史跡のつながりを兄弟に例えて書いてみた。
今回は兄弟について感じたことを書いてみようと思う。
もっともゆきたんくは一人っ子なので、息子達についてのことを書いてみたいと思う。
共働きだったゆきたんく夫婦は次男のつっくんが生まれると0歳児保育になった。もちろん長男のおーちゃんもそうであった。おーちゃんが4歳の時につっくんが生まれた。保育所では、「僕の赤ちゃん」ということで、いつもつっくんの部屋に遊びに行ってかわいがっていたと保育所の先生は話してくれた。
兄の耳の聞こえの具合もあって、兄弟は小中学校は違う学校へ行った。それでも家ではいつも一緒にいた。
それが今では別行動が多くなった。兄は陸上競技、弟は演劇と、自分の情熱をかけるものを見つけたからである。この数年間を考えてみると、休日に兄弟が一緒にいたのは旅行の時ぐらいかもしれない。
福井県永平寺の傘松閣にて
兄の傍にはつねに弟が・・・
今はもう、声変わりをしてしまったが、かわいい声で常に「おにいちゃん、おにいちゃん」と追いかけていたことを覚えている。兄貴もよーく弟をいろいろな意味でかわいがっていた。
伊香保グリーンランドにていとこ達と
兄が中学へ入学し、部活動を始めるようになって、生活が変わってきた。
学区外の中学に通う兄は、朝7時15分に始まる部活に一番乗りできるように、6時半のバスに乗る。つまり、それまでに朝食を済ませるのである。無論、奥方ののりたんは早起きをするのである。これを高校卒業までやってくれたのだから本当に頭が下がる。弟は部活動などはやらず、ゆっくりとご登校である。
それでも、夜は一緒に何かやっていた。それも中学までで、高校では帰りが夜の8時を過ぎることが多かった。弟の生活時間とかみ合わなくなってきたのである。
弟は高校入学と同時に演劇に没頭した。兄は夜10時過ぎ、弟は9時過ぎということも多くなった。夕食を夫婦2人で食べる日もあった。その時に20年前のまだ子供がいない時のことを思い出した。
ここ数年で子供達は自分の道を歩み始めるだろう。その時は今住んでいる、この家にはいないかもしれない。ゆきたんくも一人暮らしを始めたのは23歳の時だった。長男は今、20歳なのでもうそろそろと考えてもおかしくはない。
まあ、今のところ彼女がいる訳でもなく家と学校の往復のようだ。まあ、それはそれで困るけれど・・・
2004年島根大社、ゆきたんく一家だ 拝殿前
もっとも、ゆきたんくに兄弟が離れるということについての免疫がないのかもしれない。女房ののりたんは3人兄弟だ。兄はインドネシア在住、妹は福井に嫁いでいる。ものの見事にバラバラな訳である。その距離も半端ではない。
みっともないことかもしれないが、ゆきたんくは2人の息子に兄弟のような感情を持っているかもしれない。それを測る物差しを持っていないので正確な表現ではないが・・・
まあ、その時が来たらこのプログに心境を書き込むことにしよう。