伝えたんく

日々の何気ないできごとに感じた幸せ

たそがれ

2015-12-16 23:37:43 | 言いたんく

毎年、この時期は超忙しくなるので夕方にはボゥとしている。

まぁ、自分の仕事だけではなく、どの仕事でも同じなのだろう。

また、黄昏時とはよく言ったもので日が落ちて、西の空に夕焼けの残りの「赤さ」が残る時間帯のことを言う。

その時間というのは、日が落ちるのと同時にテンションも落ちていく感じだ。


 


雲が厚いのか、太陽の形がはっきりと見える。


肉眼で見ることのできる太陽。写真を撮るのも楽なほど・・・


 そして、仕事も同時に終わる。

 

 

訳がない。

明るいうちに仕事が終わることはたまにしかないか・・・

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

旅のたのしみ266…リエージュ

2015-12-15 23:50:13 | 

旅の楽しみ方はいろいろあるが、その中の一つに窓観光がある。

特にユーロ圏のように国境をフリーで越える場合には、いちいち車を降りて審査を受ける訳ではない。

そんな中で撮った写真を検証してみた。



ベルギーはリエージュのマルティヴァ通りで撮影した建物 


 この建物は一体なんだろうか。

こんなことで時間をつぶせるゆきたんくは幸せな男である。

「メディアシテ」というショッピングモールということが分かった。

それにしても初めて見るデザインである。

ググッて見た。

あらっびっくり。

衛星写真ではこのような形をしていた。


 
マース川沿いのオルバン通りとマルティヴァ通りの境目で撮影したメディアシテ 


 最初の写真から、こんなに長い建物は想像できなかった。

地図上で計測したら、全長400mもある。

雨天でも雨に濡れずに買い物ができる優れものなのだろう。

ゆきたんくが撮影したのは、この地図から分かるように建物の左端だったのだ。

 この旅では、ゆきたんくは仕事の都合で早めに帰国したが、奥方ののりたんと友達は、この日ブリュッセル泊まりで次の日にリエージュに行ったという。

ゆきたんくも行けたのならば、このモールの中を歩いてみたかった。

と思うのだが、きっとこのような建物だということに気づいていなかっただろう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

3回り。

2015-12-14 23:41:11 | 家族

「歳が一回り違う。」というと12年である。

今日で3回り。

母が亡くなって36年が経った。

存命ならば80歳。

全寮制高等学校の東京都立秋川高等学校を卒業した次の年に亡くなったから、実質15年~16年を母親とは過ごしたことになる。

命日と言って特別なことはしないが、ゆっくりと思い出にふけるゆきたんくである。

以外に思い出が少ないことに気づく。

ただ、その一つ一つははっきりとしているのだ。

今日は特別な日・・・

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

わがまま

2015-12-13 23:14:49 | マイグルメ

ゆきたんくの行きつけ喫茶「千菓進」。

体質改善でMeetEggCheeseに取り組んでから食べていないものがあった。

ゆきたんくは、千菓進のカツカレーが大好きだった。



これはデフォルトのカツカレー


 これでライスを大盛りにしたり、もう1品別のフライものを付け合わせて食べたりしていた。

今年1月にMECを始めてから、千菓進のカレーを食べていないことに気付いた。

だいたい、ポークソテーとか、唐揚げが主だった。

千菓進のカレーが喰いたい。

マスターが休憩時間でいらっしゃらなかったので、ママに提案。

ゆきたんく「卵にカレーかけていただけます?」

ママ「いいですよ。」

わがままを聞いてくれるママである。

ゆきたんく「オムレツか炒り卵で」

ママ「いい考えがあるよ。」

それで出てきたのがこれ。

卵をご飯粒位の大きさに炒ってくれたものにカレーをかけてくれた。

ママ「カレーたまごできたよ。」



千菓進特製「カレーたまご」


 千菓進の手作りカレーで糖質オフの一品。

ゆきたんくの楽しみがまた増えたのである。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

良かった。

2015-12-12 23:06:02 | 東京都立秋川高等学校

高校の1年先輩が回復した。

サッカー部で体を鍛え、現在も仲間とサッカーに興じている健康的な先輩と思っていた。

まあ50を越えればどんな方もいろいろと持病はお持ちだし、自分なりの管理をしていることだろう。

先輩も持病と上手く付き合い、仕事も遊びも両立されていた。

ところが先日、心臓関係で緊急入院。

緊急手術で一命をとりとめた。

本当に良かった。

仕事の関係で見舞いに行けなかったのが心残りであるが、電話で話をして回復に向かっていることが伝わってきた。

そして、仕事から家に戻った時に届きいたものがあった。


 

 


「快気内祝」


 

 先輩からだった。

 これで、「大丈夫」と思ったゆきたんくだった。

ずっと元気でいてほしい方である。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

傍から・・・

2015-12-11 23:18:30 | 言いたんく

うちの職場も若人が増えてきた。

それで自分も、その中に溶け込んでいると勝手に思っている。

見た目、体力、頭の柔らかさ・・・

どれを取っても若人には敵わない。

そんな自分の姿は通常見ることはない。

 

職場の花壇に目をやる。

そこに自分と若者がいるような感覚に襲われた。



銀杏の落ち葉と、パンジーを見ていると・・・


 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

すきまを・・・

2015-12-10 23:03:56 | 言いたんく

ゆきたんくの仕事場。

デスクワークをする時に画面が広く使えるようにと、職場で割り当てられているノートPCにディスプレーを一つつないでいる。

そして、机も広く使えるようにノートの方は、スタンドに載せて斜めにしている。

そのスタンドの下の隙間が前から気になって仕方がなかった。

それで、物を置くことにした。

週の計画や、日々の連絡票にはヒョウタンツギの落書きを入れている。

もちろん、連絡に関係のある内容でイラストを載せている。

それなりに存在感が出てきたヒョウタンツギを置くことにした。



こんな感じだ。


 若手で、「先輩これは何ですか。」と聞いてくる。

つまり、その正体を知らない訳である。

中には、「どこかで見たことがあるんだけれど・・・」

とか、

「豚?」

など反応は面白い。

ま、ヒョウタンツギの貯金箱なので、件数は少ないが落ちているお金入れになっている。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「旅たんく」、「旅の楽しみ」、「ちょいと旅写真」

2015-12-09 23:47:59 | 

ここ伝えたんくのカテゴリーに「旅の楽しみ」というのがある。

もう、265回を数える。

それ以外にも旅に関係のある話を入れると、全部で573件になる。

それは、拙サイト「幸たんく」の枝にある「旅たんく」でも紹介している。

「旅たんく」は出来上がるまでに時間がかかる。

そして「旅の楽しみ」は気持ちが盛り上がっている上で、気分にあったネタが目の前にある時しか書けない。

その点、FBの写真投稿は楽でいい。

行った場所の写真、その時の時間、簡単な解説があれば成立する。

名前をつけてシリーズ化しても面白いと思っている。

日本全国でまだ行ったことのない県は、大分、宮崎、沖縄の3県。

正確に言うとその地を踏んだが、愛媛県については高速のSAでだ。

43県分のストックを紹介していくのも楽しい。

楽しいって自分が・・・

現在、北海道、青森、岩手、宮城、秋田、山形、福島、茨城と続いている。

今度で9件目だ。

「ちょいと旅写真〇〇」とかいいかも。

次は栃木県だね。



栃木とは全く関係のない、北海道の塩狩駅付近で「すべりやすい」の標識に応えるゆきたんく 


 書いた内容が滑るゆきたんくであるがご容赦いただきたい。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

変えた。

2015-12-08 23:00:31 | 言いたんく

使っているアンドロイドが重たくなった。

いろいろとアプリをアンインストールして調整してみたがあまり変わらない。

長男が6年使っているスマホを新しいのに変えたいというのに乗じて自分も変えることにした。

変えたのはこれ、iPhone 6s Plus。


さっそく壁紙も、ケルン大聖堂に変えて・・・ 


 使い勝手はまだまだ分からないのだけれど、最初にいじった時から異様に動作が軽く感じる。

NTTのショップでは、店員さんが「機能が高すぎるので・・・・」というのを説明の中で何度も言っていた。

音楽系や美術系の仕事をしている友人や趣味のある友人は、PCはウインドウズよりアップルの方が良いと言っていた理由はこれか・・・

なんて分かったような気になったゆきたんくである。

とりあえず、アンドロイドで使っていたアプリを入れてみる。

自分で編集した着信音は、iTuneで簡単に作り直すことができた。

1日で元の環境が整ってしまった。

それにしても画面も綺麗で、びっくりである。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

青春。

2015-12-07 23:35:46 | 家族

ゆきたんくと長男のおーちゃんは陸上競技のハンマー投げに。

奥方ののりたんと次男のつっくんは演劇に青春を燃やした。

「実は…」でつっくんをこき下ろし過ぎたので、少しフォローしようと思う。

次男のつっくんは演劇に情熱を燃やした。

鳥取の「水木しげるロード」で怖くなり、「海と暮しの資料館」のカツオに癒されているつっくんの4年後の写真である。



「1、2、一杯。」と3以上の数を数えられない男の役。


 1996年に発表された野田秀樹氏の「赤鬼」を演劇部顧問の演出で取り組んだのだ。

野田秀樹氏の舞台は4人のみの登場だ。

高校演劇部なので、4人が主役で残りの人員が村人を演ずる。

「差別」をテーマにした演目である。

つっくんは、4人の中の一人で、「とんび」という頭の足りない男の役だ。

それがはまってしまうのである。



同級生の演じるミズカネとのやりとりのシーン。


 台詞が多い。

 頭の足りない男の役を、キラートークでこなしていく。



赤鬼、ミズカネ、妹と船で流されていくシーン。「腹ぁ、減ったぁ・・・」 


 普段あまりはっきりとものを言わない奴が、演劇の舞台の上では別人を演じている。

これには親としてびっくりしたが、顧問の先生に鍛えていただいた賜物だと感謝している。

この「赤鬼」は、つっくんが最初に登場し、最後もつっくんの台詞で終わる台本である。

もっとも、野田秀樹氏の構成では、「とんび」役を野田氏が演じていたので、コントロールタワー的な意味もあったのだろう。

演劇部のコントロールタワーは顧問である。

つっくんは一生懸命演じるだけ。



分かりかけてきた「絶望」の意味を語る、とんび。


最後の台詞と舞台がレイヤーで重なる映像。 


 この時、つっくんはやり切ったのだろう。

この後の人生の糧にして頑張っている。

と思う。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

実は… 5

2015-12-06 21:12:06 | 言いたんく

いやぁ、妖怪尽くしで怖くなってしまった次男のつっくん。

口直しに、近くにある「海と暮しの資料館」に行った。

現在では、日本一の魚のはく製水族館になっているそうだ。


 


すこし機嫌が治ったつっくん。


 ここなら怖いことはないと、安心のつっくん。

雰囲気にはまると、勝手に動いてくれるので楽である。



さて、ほっておいても大丈夫モードに突入だ。


 この建物にある中庭にも展示物があった。



鯨の骨に見入るつっくん。


 そして再び建物の中に入る。

傍らで夏休み限定の「世界の昆虫展」をやっていた。



これは凄い。つっくんも興奮気味である。 


 ところが、この部屋の出口付近にあるものを見て、機嫌が振り出しに戻ってしまった。



これが怖いのかよ~


 てな訳で、境港市を後にして次の目的地、羽合温泉の飯屋「と庵」につくまでは静かだったつっくんである。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

実は… 4

2015-12-05 23:54:08 | 言いたんく

水木しげるロードを歩いていて、「正直ここまでやる。」と思ったのがこれ。

「妖怪神社」である。



ゆきたんく一家男三人。撮影は奥方の、のりたん。


 雰囲気たっぷりの妖怪神社。

象徴的なのが、鳥居にあしらわれた一反木綿だ。

記念写真なので、一反木綿を指して撮ろうとした1枚。

左にいる長男おーちゃんと、ポストに手を喰われていた次男のつっくんとゆきたんくの三人で「せーの」で撮った。

ところがつっくんだけがポーズを取っていない。

後で聞いたのだが怖くてしかたがなかったのだという(笑)



ちょっと飾りに近い、手洗い鉢?もあった。 その形が人魂っぽい。


 まあ、正直よくやるものだと思ったがとことんやるのはとても良い。

なんとご神体まである。

その名前が目玉石というのだ。



ご神体の「目玉石」。水木しげるロードのパワースポットだったのである。


 この拘り方はとても心地よかったゆきたんくである。

おーちゃんものりたんも楽しんでいた。

つっくんだけが本気で怖がっていた・・・ 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

実は・・・ 3

2015-12-04 23:05:22 | 言いたんく

実は大好きな妖怪たちのブロンズ像。

時間のある方は見ていただきたい。

幸たんくのリンクを貼る。


 

これをクリックしてリンク先に飛んで下さい。

後は妖怪の名前をクリックすると写真が見れます。 

「前へ」、「次へ」のボタンで移動して下さい。


 こんなものを作っていたんだねぇ。

自分でも久しぶりに覗いた。 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

実は・・・ 2

2015-12-03 23:29:11 | 言いたんく

水木しげる記念館を出たら、大粒の雨が降ってきた。

見る見るうちに、茂少年とのんのんばあが濡れて行く。

写真を撮るのを諦めて移動だ。

近くのそばやで昼食をとりながら雨宿りである。


 


あれあれ


 目指すは「水木しげるロード」である。

 現在では150体を越えているというが、2004年当時は80体の妖怪ブロンズ像がいたのだ。



水木しげるロードの始まり


やはり、この二人が目印だね。


円形裏面には、「水木しげるロード」の解説があった。 


 この時に出会った妖怪たちを自分のホームページ、「幸たんく」に載せたがカウントは78体になっている。

録り忘れたかと思ったが、「カッパの三平・タヌキ・カッパ」を一組にしていたので、総数は80体だ。

妖怪の紹介は後にするが、やはり夏で暑かった。

水を買うかどうかは迷わなかったが、種類をどうするかは少し迷った。

飲み終わった時のペットボトルはお土産として、これにした。



「森の湧き水」だ。味は・・・うーん。 


 妖怪を撮りながら歩いていたが、途中でふざけている息子(達)を見つけて撮影。

なんとネズミ男と固い握手をずっとしていたのである。

前には載せたことのある写真だが、水木しげる氏つながりということで・・・

他人を決め込みたいほど長い時間だ。



この時、長男のおーちゃんは高校2年生である。まぁ、顔は幼かったが、スポーツのせいで背筋バッチリ。 


帰宅して気づいたのだが、恥ずかしいのは長男だけではなかった。

この写真の中ほどを見ていただきたい。

おーちゃんとネズミ男の真ん中に、次男のつっくんが計ったように写っているのだ。

そう、おーちゃんとネズミ男の間でポストに手を喰われている奴だ。

その次男は当時中学2年である。

さすが、ゆきたんくの息子である (ノ_-。)

まあ、親(奥方ののりたんも楽しんでいた。)が楽しんだものを子供たちも楽しんでくれて何よりではある。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

実は・・・ 1

2015-12-02 23:05:06 | 言いたんく

ゆきたんくは水木しげる氏のファンだった。

ファンクラブこそ入っていなかったが、氏の描いた漫画が好きだった。

やはり一押しは「ゲゲゲの鬼太郎」だ。

一家で山陰に旅行したことがある。

島根から鳥取にかけてだが、鳥取ではずしてはならないのは、鳥取砂丘と水木しげる関係だねと話していた。



2003年3月8日開館の「水木しげる記念館」 2004.08.04 


 行きたくてしょうがなかった記念館。

 もっとおどろおどろしいと思ったのだが、外観は地味な造りであった。

 最初のモニュメントはこれ。



赤ん坊の鬼太郎を励ます目玉おやじ。 


「頑張れ!鬼太郎!!」という声が聞こえるではないか。


 何の気なしに入り口前の広場に設置されているのである。

目玉親父は目玉しかないのに、表情がある不思議なキャラクターである。

だからお気に入りなのだ。

そして入り口には2人が立ってお出迎えである。



武良茂少年とのんのんばあのブロンズ像


壮大な水木ワールドの元を作ったと言われているのんのんばあである。

wikiにはこうあった。


「のんのんばあ」とは、少年時代の水木しげる(本名・武良茂)の家にお手伝いに来ていた「景山ふさ」という老婆のこと。境港では神仏に仕える人を「のんのんさん」と呼び、ふさは拝み屋の妻だったため「のんのんばあ」と呼ばれた。のんのんばあはしげる少年にお化けや妖怪の世界を語って聞かせ、後年の妖怪漫画家・妖怪研究家への素地を作ったとも言える人物である。のんのんばあは1933年(昭和8年)に肺結核で死去した。


 

 ゆきたんくの好きなさだまさし氏も幼少の頃、おばあさんにいろいろな話を聞かされて育っている。

それが、後の作詞活動に大きな影響があったと聞いた。

祖父母や老人というのは、子どもの思考を広げる力を持っているのだと思う。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ブログ村Ping

http://ping.blogmura.com/xmlrpc/okr7t7fen957