昨年12月末には長崎県の高浜町にいた。
軍艦島に写真を撮るためである。
12月も末なのに台風26号にいじめられたのである。
2016年12月27日。怖くて近づけなかった波打ち際。防波堤の上より撮影。
長崎高浜町
半年後に10日たらぬ、2017年6月17日。 波打ち際で撮影。穏やかなこと・・・
半年後に軍艦島上陸リベンジは果たせた。
自然には勝てないのよね。
昨年12月末には長崎県の高浜町にいた。
軍艦島に写真を撮るためである。
12月も末なのに台風26号にいじめられたのである。
2016年12月27日。怖くて近づけなかった波打ち際。防波堤の上より撮影。
長崎高浜町
半年後に10日たらぬ、2017年6月17日。 波打ち際で撮影。穏やかなこと・・・
半年後に軍艦島上陸リベンジは果たせた。
自然には勝てないのよね。
歳を取るってこういうことかな。
なんて思ってみた。
昔は何か知ったかぶりして粋がっていた。
何だよ、興ざめするなぁ、なんて思ったことはたくさんある。
しかし、一目見て安心してしまう自分がいた。
応援してしまう時分がいた。
軍艦島の第三竪坑巻き上げ機があった建物の一部 → Map
煉瓦の色が鮮やかな「総合事務所」の建物の内側の壁が見えている。
裏側で補強してあるが、いつ大波によって破壊されてしまうか分からない。
壊れたら壊れたで、自然のままでいいじゃん、しょうがないじゃんなんて自分が過去にはいた。
ここは、保存計画のリストには載っていない場所だ。
どうか頑張ってほしい。
戦争遺跡好きのゆきたんくも工夫が足りないことが多い。
今回は松戸市の相模台公園だ。
工兵学校の馬場があった場所だ。
この相模台公園に登る階段があるのだが、上がり切る少し前に境界標柱がある。
のそ階段の場所は工兵学校の敷地内なので、当然「陸軍用地」の文字は、あちら側を向いているのである。
この正面の文字を写したかったのであるが、何回も途中で諦めた経緯がある。
足場が非常に悪くて、崖を落ちたら笑いものである。
この日は普段のカメラを持っていなかった。
iPhoneしかなかったのである。
「あっ、自撮りだ。」
とっさにそんなことを考え、撮影してみた。
通常の撮影。
自撮り撮影(笑)
自撮りのこんな使い方があったんだ・・・
またまた軍艦島の記事で恐縮である。
でもね、我儘ブログなので自分の好き勝手にやってますのでお許しを。
軍艦島に接岸する際、「ドルフィン桟橋」を使ったが、これがなんと3代目。
初代と2代目はどうしたのか?
台風で流出してしまったのだ。
昭和37年5月に、研究に研究を重ねた現在のドルフィン桟橋ができたのだという。
ドルフィン桟橋接岸時
上陸をせかされてこれだけ撮れた。
乗る前に1枚。
翌日に権現山から撮ったドルフィン桟橋。
東シナ海の荒波に55年耐えてきた桟橋である。
感動ものだ。
それは軍艦島の壁や防波堤のことである。
この写真の向こうに見えるのは、「天川工法」の護岸
砂岩の天草石を積み上げてセメントで固定し、その隙間を天川(赤土と石灰を混ぜた接着剤)で埋めるのだ。
それが後からコンクリートによって作られた防波堤などよりも強いのではないかと思うのだ。
防波堤のコンクリート部分はこのように破壊されている。写真1
ドルフィン桟橋横の南側、波浪の激しい部分はしっかりと残っている。写真2
軍艦島の色どりの1つとして天川工法の色合いがある。
近代的なものよりも強度としては強く思えるように見えるのは不思議だ。
ゆきたんく自身が、検証を十分にしてはいないのでそうとは言い切れないが・・・
ドルフィン桟橋付近の様子。白矢印が写真1、赤矢印が写真2の場所。
さて、今年の大男3人組(ココフカ2017)は新幹線で岡山まで行き、しまなみ海道を使って愛媛に行く。
その新幹線の話である。
ここ30年近くは、通勤はすべて自動車だ。
電車に乗ることが少なくなった。
まして、新幹線に乗ることもほとんどない。
何回かは乗ってはいるが、その型などは覚えていない。
随分と形が変わったものである。
自分の中の新幹線はこれだ。
小さい頃、「夢の超特急」と言われていた0系である。
今は無き交通博物館の正面入り口横にあったモニュメント
自分の中では、これが新幹線なのである。
このブルーの部分が緑色になった電車が東北新幹線で使われた時には、大きな違和感があったが現在はその比ではない。
ゆきたんくの中では、「どこの国の車両?」のような不届きな気持ちなのである。
もっとも、緑のスカート新幹線は0系ではなく200系のようだ。
結論。歳取ったんだね。
車で走っていた。
前方の車を見た。
トヨタの車だった。
マークが面白かった。
バイキン・・・
ワルかわエンブレムというカスタムアクセサリが売られているのね。
先日の「ヒストグラムの平均化」を今まで諦めていた画像に使ってみた。
暗い画像を「ガンマ補正」とか「明るさ」の調整でいじってみたが、満足のいかない写真があった。
早速試してみた。
セント・クライダウグ教会 → Map
この教会はイギリスのウェールズにある。
パンディー・インというB&Bからハージェストリッジを目指した時の通り道にあった。
一休みに撮影をしたのだが、熱波で38℃あり靄っていたことを思い出す。
この時に掲示板を見つけて近くまで寄った。
その時に、お墓の存在に気がついたのだが、構わず上の写真を撮った。
下に目をやると眼前に、少し蓋が開いていたようなやつがあったので急いで車に戻って走り出したのである。
帰国してホームページを作る時に、この写真を見て当時のことを思い出しあまりいじっていなかったのだ。
拙ホームページ「幸たんく」にはロングタウン・チャーチとして載せてあるが、正式名称は「セント・クライダウグ教会」である。
そのホームぺージに載せたやつは白っちゃけて、あまり良い写真にはなっていない。
「ヒストグラムの平均化」をしたやつを次に載せる。
ライムストーンを使った建物の様子がよく分かる。
前回レタッチの話で「色あせの修正」だった。
今回は「ヒストグラムの平均化」だ。
これは、元々統計用語のようだ。
ゆきたんくが把握しているのは、画像の明るい部分を暗くして、暗い部分を明るくして画像の形を見えやすくする働きがあると考えている。
今回は「日本二六聖人記念館」近くで撮った写真だ。
着いた時には、もう周囲は真っ暗だった。
空を撮ったのだろう。
帰宅してから写真を整理していて、真っ黒なやつがあった。
真っ黒で分からない。
以前ならば、この写真は捨てていた。
ペイントショップでどうにかならないだろうか。
「ヒストグラムの平均化」を2回かけてみた。
無数の星が現れた。
本当にありがたいことである。
現在、昨夏(山陰)、昨冬(九州)、6月の長崎について写真の整理を進めている。
拙サイト「幸たんく」で使用する写真をいじっているのだ。
今回、軍艦島を中心に取材ができた訳だが、その写りについては満足したものではなかった。
普段使用している画像編集ソフト、ペイントショッププロで「色あせの修正」を試してみた。
「こりゃぁ、いい。」
長崎市南部にある「野母崎展望公園」から撮った写真を使った。
端島(軍艦島)、中ノ島、高島が写っている。
左より端島(軍艦島)、中ノ島、その後方に高島が見える。
野母に行く途中では、車窓から見えた景色はクリアーだった。
だんだんに霞んできたのを覚えている。
そして、この写真をレタッチしてみた。
自然な感じは少し損なわれるが、はっきりしていて良い。
霞んでいるのと、レタッチしたものの中間が肉眼で一番よく見えた景色に近い。
「色あせの修正」の規定値は45で、強く感じた。
だんだん弱くしてみたが、この上の写真で修正度は1である。
これ以上は弱くはできないのだ。
でも、その威力は凄い。
夏恒例のココフカの旅を計画する時期がやってきた。
第1回 白川郷(岐阜から富山へ)…ゆきたんく号(当時イプサム)
第2回 四国(高知・徳島・香川)…空路・レンタカー
第3回 青森…空路・レンタカー
第4回 北海道(函館市・北斗市)…空路・レンタカー
第5回 九州(鹿児島・熊本)…空路・レンタカー
第6回 和歌山(和歌山・大阪)…陸路(新幹線)・レンタカー
第7回 茨城…ゆきたんく号(セレナ)
第8回 石川…陸路(新幹線)・ツアーバス
第9回 中国・山陰・九州(広島・福岡・山口・島根)空路・ツアーバス
今回は第10回を迎えるのだ。
2011年に仕事で都合が合わず、茶話会にした以外は開催できている。
第1回と第7回のゆきたんく号(ゆきたんくの自家用車)以外は交通手段が空路か陸路(電車)で当地に行き、レンタカーという形が多かった。
第8回からはツアーにも目を向けてみた。
楽かなと思いきや、結構歩くのにはびっくりした。
まあ、80歳近い方々がしっかりと歩いている姿に、逆に励まされることもあった。
今回は陸路(新幹線)からツアーバスだ。
途中水路…四万十川…もあるので、天気が崩れないことに期待したい。
今回は中国・四国の旅になる。
岡山からしまなみ海道で愛媛に渡り、高知、徳島、香川と観光して岡山に戻るのだ。
初訪問の愛媛県が非常に楽しみである。
そして加齢のせいか、だんだん好きになってきた温泉も道後温泉にて浸かるわけだ。
さあ、当日まで仕事を頑張るぞ。
第1回 白川郷 写真は合掌造りの宿「伊三郎」 → Map
第2回 高知・徳島・香川 写真は坂本龍馬像 →Map
第3回 青森 写真は恐山・宇曽利山湖の極楽浜 → Map
第4回 北海道 写真は大沼国定公園にある 「千の風になって」誕生の地 → Map
第5回 鹿児島・熊本 写真は鹿児島市内の西郷隆盛像 → Map
第6回 和歌山 写真は高野山金剛峰寺 壇上伽藍 → Map
第7回 茨城 戦争遺跡探訪 写真は稲敷郡美浦村
鹿島海軍航空基地カタパルト基礎 → Map
第8回 石川 写真は輪島市白米町千枚田 → Map
第9回 中国・山陰・九州 写真は国定公園秋吉台観光センター前 → Map
毎回毎回が大切な思い出である。
今回はどんなことに出会うのか、とても楽しみである。
土方歳三氏のことで記事を書いている。
栗塚旭氏の純喫茶「若王子」がことあるごとに出てくる話を書いた。
これからは書くことは世間ではよくあることなのだろうが、ゆきたんくにとっては新鮮なので書かせていただく。
ゆきたんくの第二の故郷は「旧東京都立秋川高等学校」である。
現在のあきる野市にその跡地はある。
全寮制高等学校で青春の日々を過ごしたことは忘れない。
その秋川高等学校跡地から直線で南東に15㎞離れたところに日野市石田という所がある。
旧武蔵国多磨郡石田村である。
天保6年(1835年)5月5日に、土方歳三氏は石田村で誕生した。
五稜郭タワー
五稜郭タワーから見た五稜郭跡
で、よくあることの話だった。
この五稜郭タワーの経営者が秋川高等学校の卒業生なのであった。
土方歳三氏の生を受けた場所、生涯を閉じた場所がシンクロしている、そう思ったのだ。
人間の脳味噌というのは、誰でもこだわりを持たせるようにできている訳ではないだろう。
しかし、ゆきたんくは粘着気質なのだろうか・・・
先日、栗塚旭氏縁の話で、純喫茶「若王子」のことを書いた。
その「若王子」が旅先でもゆきたんくの脳裏に蘇ったのである。
もっとも、栗塚旭氏と新撰組副長の土方歳三氏は同一人物ではない。
あくまでも役を演じたのであり、両氏の性格は正反対とも言われている。
場所は北海道函館市。
土方歳三氏は函館での戊辰戦争で最期を遂げた。
五稜郭から北西へ約5㎞の七重浜(ななえはま)の馬上で銃弾に腹部を貫かれて亡くなった。
五稜郭タワーの「五稜郭物語」より 2010.0.8.03 7 → Map
このモデルを見た時にも、「若王子」のことが思い出された。
しばらくして忘れるのだが、次の場所でも思い出す。
五稜郭タワー内にある土方歳三氏のモニュメントとゆきたんく
ゆきたんの頭の中で連想してしまうシステムが出来上がってしまったのだろう。
1965年司馬遼太郎原作ドラマ『新選組血風録』で土方歳三役を演じた時に、原作者である司馬遼太郎から「あなたこそが土方歳三や」と言わしめた逸話があるほどの人物だからだろうか。
とにかく、土方歳三氏と栗塚旭氏縁の純喫茶「若王子」は、ことがあるごとに連想されてしまうのである。
ゆきたんく家の夕食は遅い。
女房ののりたんは研究者である。
帰りが遅いのだ。
ゆきたんくと一緒に帰宅(都合の合う時はゆきたんくが迎えに行く)し、それから夕食の支度をしてくれる。
本当に頭が下がるのである。
あっ、惚気の話ではない。
食後の時間の過ごし方だ。
のりたんは、「時代劇チャンネル」が大好き。
特に、新撰組関係には目がない。
この間「新撰組血風禄」が終わった。
その主演の栗塚旭氏のファンでもある。
次男のつっくん(のりたんとつっくんは演劇部経験者)と一緒に栗塚旭氏と過ごす京都ツアーに行ったこともある。
その「新撰組血風録」をいつも一緒にみていた。
物語とは全く関係がないのだが、必ず思い出すのが「哲学の道」だ。
琵琶湖疏水に沿った哲学の道。2006.12.31 → Map
この哲学の道の終わり辺りに、若王子神社がある。
哲学の道を挟んで反対側には、純喫茶「若王子」がある。
純喫茶「若王子」の入り口近く。
かつて栗塚旭氏が経営されていた喫茶店である。
お母様が亡くなり、お姉さまも体調を崩されたということで廃業されたという話を聞いたことがある。
栗塚旭氏というとここを思い出すのである。
軍艦島で一番新しい建物、言い換えると最後に建てられたのが71号棟だ。
先日書いた端島小中学校(70号棟)の隣にある建物だ。
端島小中学校の手前にある71号棟(体育館)
矢印の先が71号棟。
島で一番新しい建物がもう、屋根がなく昔の形をしていない。
半年前に行った軍艦島コンシェルジュで71号棟の模型を見つけたので写真を撮った。
竣工当初
屋根の支柱が倒れている。外壁はない。
現在に一番近い状態
建物の崩れ方が分かりやすい。
動画も見つけた。
崩れゆく軍艦島 71号棟