夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

日本経済、戦後60年、これから【自論】 ⑦

2005-08-16 17:00:42 | 時事【政治・経済】等
前記まで、読売新聞の記事を転記させて頂いた。

さて、私の自論を綴ることにする。

バブル経済崩壊後は、日本経済の足かせになってきた企業の
《雇用・設備・債務》の過剰問題は、民間会社は自助努力に基づいて、
過酷な程、事業の再編、人員削減を行なってきた。

この結果、民間主要会社が経常利益の点からも、やっと回復基調と
なってきた。

国の借金総額は、2004年度末に781兆円を考えれば、
子供でも何らかの改革をしなくてはならない、思う。
多くの人々にご理解を頂くために、
以前、この件に関しては、別のブログで書いたことがある。
一部を再記する。

  『生きた経済の賢者』

『文藝春秋』の七月号で、藤巻健史・氏が国家の財政赤字について、
簡潔に綴られている。

国の財政赤字の説明に於いては、
毎年、440万円の収入の家庭が、
840万円ずつ使っている。
その結果、借金が毎年400万円ずつ増えて、
借入累計が7600万円になった。

これらの借金は、国債発行等でまかなっている。


今後は、公的な部門のリストラとして、郵政公社を初めとして、
政府系の金融機関の統廃合、
国家公務員の人員の削減、人件費の削減、
公共サービスの市場化テスト化と緊急検討課題が山積みで、
時間のない状況であったが、
今回、まず第一歩の郵政民営化法案が否決になり、
貴重な時間が失われた・・。

そして社会保障制度改革、税制改革、三位一体改革と
難問が待ち構えている。

この行政・財政改革がいち早く実現させ、この大きな山脈を乗り越えなければ、
日本の国力は低下し、国民は衰弱の一途をたどる。

真の国民は、お互いに《痛み》を分かち合い、
十年後の健全なる財政の基で、安心した生活の営みを築く
最後のラストチャンスが現時点にかかっている。
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日本経済、戦後60年、これから・・。⑥

2005-08-16 15:22:26 | 時事【政治・経済】等
2007年には、日本の総人口は減少に転じ、
団塊の世代の大量退職も始まる。
日本の労働力人口の減少、貯蓄率の低下は、既に始まっている。

高い貯蓄率や輸出によって得てきた経常黒字は、赤字の方向へ進むとみられる。
大きな消費ブームは望めず、企業収益の伸びには限界がある。

「傾斜生産」「護送船団」、そして大型公共事業などに代表される
官民一体の経済成長システムは、もう機能しない。

ニッセイ基礎研究所の樝弘一・チーフエコノミストは、
「国内総生産(GDP)に占める公共事業費の割合を
欧米並みに引き下げていくと、
2025年頃には現在ある道路など社会資本の補修・維持費にも満たなくなる」
と試算する。

社会保障制度の改革も、進めざるを得なくなる。

2005年度版の経済財政白書は、
こうした時代に備え、人材の質の向上や技術革新により
生産性を高めよう説いている。

政府や企業が個人を豊かにする時代は終わり、
これまで以上に個人の自助努力と能力が求められる。

UFJ総研の鈴木氏は、
今後60年は、国でも企業でもなく、個人が経済の主役になる
「個人の時代」になると予想する。

政府や企業の役割を小さくする改革が必要となる。
大和総研の原田泰チーフエコノミストは
「どの党が政権を取っても、
財政再建などやるべきこと、必要な事は同じだ。
問題は、改革のスピードだ」
と指摘する。

自民党は1986年7月、行政改革を旗印に戦った衆参同日選(中曽根内閣)や、
構造改革を強調した2001年7月の参院選(小泉内閣)などで勝利している。

日本経済の転換点と言える今回の衆院選は、
戦後60年に区切りをつけ、
「個人の時代」を開くものになるのだろうか。


《続く》
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日本経済、戦後60年・・。 ⑤

2005-08-16 14:14:06 | 時事【政治・経済】等
【失われた10年】

こうして発生したバブル景気は、1990年代の前半には崩壊し、
日本経済はその後、処理に追われる。

金融機関が相次いで破綻、銀行、鉄鋼、素材、流通などの業界で、
生き残りをかけた再編やリストラが進んだ。

『失われた10年』に大きな血を流し、
2005年3月期の主要企業の経常利益は、バブル期を上回り過去最高となった。

しかし、この間も国の借金は、膨張し続け、
2004年度末の国の借金の残高は、781兆円に達した。

『失われた10年』を経ても、なお公的部門の改革は進まず、
構造改革を掲げた小泉内閣は、その仕上げが出来ずにいる。


《続く》
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日本経済、戦後60年・・。 ④

2005-08-16 13:40:13 | 時事【政治・経済】等
【試練と摩擦】

高度成長の最初の転機は1971年8月、当時のニクソン米大統領が、
金・ドルの交換停止を発表した「ニクソン・ショック」だった。
円相場は、1ドル=360円の固定相場制から、変動相場制に移行していく。
貿易立国、日本は最初の試練に立つ。

水俣病などの公害病や大気汚染も深刻化し、高度成長の矛盾も出始めた。
しかし日本は、更に高度経済成長をめざす道を選択する。

1972年7月、日本列島改造論をひっさげて登場した田中角栄・首相は、
「今太閤」と、もてはやされたが、
ここで第二の試練、第一次石油ショックが起き、
その後の狂乱物価は、日本経済の高度成長を
完全に終わらせる結果となった。

1980年代には、産業の主役は鉄鋼、化学など「重厚長大」から
電機、ハイテクなど「軽薄短小」へと移るが、
日本型の成長モデルは、なお健在だった。

しかし、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と言われた日本に対し、
最大の貿易相手国・米国は、警戒を強め、
日米経済の摩擦が激化していく。

為替相場をドル安に誘導する1985年のプラザ合意で、
日本経済は輸出から内需へと成長エンジンの転換を迫られる。

高度成長の終焉と共に、税収は頭打ちとなり、
政府は電電公社や国鉄を民営化するなどの行財政改革を始めた。
しかし、同時に低金利や景気浮揚策を続けたことで、
資金が株や不動産に大量に流入した。


《続く》
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先程の地震・・。

2005-08-16 12:46:00 | 定年後の思い
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日本経済、戦後60年・・。 ③

2005-08-16 11:44:26 | 時事【政治・経済】等
【高度成長へ】

「企業の時代」は、終戦直後の1946年末には、既に始まっている。
石炭などの資源を鉄鋼、造船、化学などの産業に
重点的に配分する「傾斜生産方式」により、
官民一体の産業復興が進められた。

1955年の総資産額の上位は、八幡製鉄、富士製鉄(現在の新日本製鉄)、
日本鋼管(JFEスチール)の製鉄3社が占めて、
日本経済は重工業をテコにして、復興を急ぐ。

朝鮮戦争に伴う特需景気で、成長軌道に乗った日本経済は、
外国から原料を輸入し、素材や製品を輸出する加工貿易で、
急速に回復する。

1956年には、経済白書が、
「もはや、戦後でない」と宣言し、高度経済成長が到来する。

慢性的な資金不足や人手不足を補うため、
メーンバンク制による企業と銀行の協力関係、
終身雇用制による労働力の供給など
「日本型」の成長システムが整った。

企業の成長は、家計を豊かにし、個人消費を活発化させた。
1953年、早川電機が国産テレビの第一号機を発売し、
NHKのテレビ放送が始まった。

高度成長期には、白黒テレビ、洗濯機、冷蔵庫の
「三種の神器」が爆発的に普及していく。

1960年に就任した池田勇人・首相は、
「所得倍増計画」を打ち出し、個人消費は更に過熱していく。

1962年には、NHKのテレビの登録台数は、1000万台を突破し、
1964年の東京五輪を機に、高速道路や新幹線の整備で、
消費社会は更に加速した。

経済成長は、好不況を繰り返しつつも続き、
1965年からは、長期間の好況「いざなぎ景気」が始まる。
消費の主役は、三種の神器から「3C(カラー・テレビ、クーラー、カー)」に
移っていった。

貿易量が増えるにつれて、経済の国際化も進んだ。
リクルートの前身が、1966年に初めて行なった文系大学生の
就職人気企業ランキング1位は、商社「丸紅飯田(現在の丸紅)」だった。


《続く》
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日本経済、戦後60年・・。 ②

2005-08-16 10:52:31 | 時事【政治・経済】等
【企業の時代】

「どんな優れた経済モデルも、30年もすれば限界が見え始め、
60年もたてば転換が必要となる」

UFJ総合研究所の鈴木明彦・主席研究員は、
「日本経済は、今年は干支でもある乙酉(きののとり)の年を
大きな節目の年にしてきた」と分析する。

鈴木さんによれば、
120年前の乙酉(1885年)、伊藤博文が初代の内閣総理大臣に
就任してからの60年は、
「戦争を繰り返して富国強兵に突き進んだ『国家の時代』」。

そして、終戦からの60年は、
「企業の成長が最優先された『企業の時代』」
だったとする。


《続く》
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日本経済、戦後60年・・。 ①

2005-08-16 10:19:14 | 時事【政治・経済】等
昨日の読売新聞で、【改革を問う 05衆院選】の連載特集記事があるが、
この日は、《日本経済 戦後60年》の特集であった。

私は昭和19年に生を受けて,この日本で育ち、今は定年の身で、
隠居の生活を送っている。
私が育ち、サラリーマンの生活を送り、これまでの経済の推移に影響され、
「誰しもが、あの時代は・・」とその時代を思い巡らせる、と思う。
私も当然として、その中のひとりである。

私がこれまで生きてきた時代の日本の経済はどうだったのか、
改めて再確認致したく、長文であるが、転記させて頂きます。


終戦記念日の15日、戦後、日本経済が60年の「還暦」を迎えた。
日本経済は、敗戦の焦土から立ち直り、
驚異的な高度成長で世界第2位の経済大国になった。
しかし、2度の石油危機やバブル崩壊を経て、
経済の制度疲労は、限界に達しつつある。

本格的な少子高齢化の到来を目前に、
「構造改革」を争点に行なわれる今回の衆院選は、
日本経済の今後を占うことにもなる。
節目の選挙を前に、日本経済の60年を振り返る。

          (湯元浩司、安江邦彦の両記者による)

注意)今後も記事もこの両記者によるものである。


《続く》
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夏の雨・・♪

2005-08-16 08:41:00 | 定年後の思い
東京の郊外は、雨が強く降ったり、小雨になったりしている。

昨夜の七時ごろ、落雷を轟かせていたが、九時過ぎになって、強い雨が降り注いできた・・。
待ち焦がれた雨だった。

十時過ぎになると、小雨に落ち着いた。

今朝、六時ごろは、小雨の朝で迎えた。
樹木も雨を受けて、葉がひっとりとして、地表も黒土になって、すっきりとした庭になっている。

昨日の真夏の陽の中で、草むしりをしたので、成果はこうした彩りをもたらしてくれる。




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