夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

72億円、金庫破り、成功!?

2005-08-09 19:37:00 | 定年後の思い
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72億円、金庫破り、成功!?

2005-08-09 19:30:20 | 時事【社会】
読売新聞の夕刊で、標記の記事があり、怒るより笑ってしまい、
ちょっとした不思議な感動をしましたので、転記させて頂きます。


【リオデジャネイロ=共同】
ブラジルのグロボテレビなどによると、
北東部セアラ州のブラジル中央銀行フォルタレザ支店で8日、
金庫の内部の床に穴が開き、
現金約1億5000万レアル(約72億円)が盗まれているのを
出勤してきた職員が見つけた。

ブラジルでの金庫破りでは、過去最高の被害額という。

穴は、長さ約80メートルの地下トンネルにつながり、
内部に照明器具や電気のこぎりが残されていた。
犯人グループは、トンネルの先にある民家を借り、
約3ケ月間かけて地下4メートルの深さを
支店まで掘り進んだとみられる。

金曜日の5日の夜から8日の早朝までの間に
忍び込んだとみられる。


以上が記事の全文である。

悪事であるが、怒るより、笑ってしまった。
人の直接の被害がなく
映画のように確かに計画を起て、密かに3ケ月を懸けて、実施した。

犯人グループは、人に対し、直接に被害を与えることがなく、
ちょっとした驚きと何となく憎めない不思議な感覚です。

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キャミソールよりブラウス・・♪

2005-08-09 18:28:00 | 定年後の思い
駅前の本屋に行く為、日中に出掛けた。

駅前の商店街を歩いていたら、多くの女性とすれ違ったが、
様々な服を身に着けているので幻惑させられた。
暑い夏らしくキャミソールとかタンクトップを身に着けている方もいて、目のやりばに困る。
高校生の女学生が制服で前から歩いてきた。
白の袖衿付きのブラウスで颯爽とすれ違った。
ちょっと可愛い子で、ときめきを覚えた・・。

キャミソールの場合、スリップの下着を連想してしまい、部屋着としては良いが、外出先では・・。
その点、ブラウスの場合は、内面からほのかな色気にときめきを感じる・・。

歳を重ねた上、暑さのせいで、少しボケたのかな、と思ったりした。

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社会の現状から未来に・・。

2005-08-09 17:11:00 | 定年後の思い
今の社会生活から、今後の状況を提示す?E佑呂い?E?br>予測が伴うので、楽観派と悲観派に分か?E?E?br>私の知?E造蝓擺冉匹郎羃安整?E瓩如?br>悲観派は山田昌弘・氏と水木 楊・氏であ?E?br>私は自分の考え方とどのくらい差異があ?E㎜両擇靴燭∮⇔焦匹慮佑鯑匹燹?br>
?E罅∋矯♢討蕷愾阿遼棆阿如∋嚇直珊亜瓩痢愆廠丙梗匆顱戮鯒磴さ瓩瓩?E?br>この本の概要は、知ってい?E♤磴い修咾?E討い針椶澄?br>
私はこのようにして、今後の社会状況を予測し、
私共のささやかな家艇槹計を修正したりしてい?E?br>

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藤原定家という人・・♪

2005-08-09 09:40:00 | 定年後の思い
私は国文学は、専門知識を学んだこともない素人である。
ときたま、和心を知りたいような心境になった時、
『新古今集』を取り出すこともある。

たまたま藤原定家と『新古今集』の関係を調べていたら、
国文学者・井上宗雄・氏が素人でも解り易い解説してくれていた。
この解説は、下記のように綴られている。

鎌倉初頭最大の歌人・定家には、
1180年~1235年にわたって記しつけた『明月記』がある。

19歳の治承4年(1180年)、源平動乱の幕が切って落とされた頃、
「紅旗征戒(せいじゅう) 吾が事に非ず」
つまり、戦争は私には関係がない、
私の志すのは和歌の革命だ、
と書いたことは有名だが、
これは近時、信頼すべき歴史家の考証によって、
70歳近い頃の書き込みらしい事が明らかになった。

いかにもこういう文句を書くような、
一途な芸術家肌の人物であった。
余情妖艶というのか、日常性を断ち切った所に浪漫的、幻想的とも言うべき美的世界を
三十一文字で構築する新古今調を生み出した第一人者である。

その前衛的な家風は、12世紀の末には、人々の理解を絶し、
「新儀非拠達磨歌(訳の解らない新しがりの歌)」
と攻撃された。

幸い、後鳥羽院の支持を得て、
これは12世紀初頭の歌壇の主流となるが、
承久2年(1220年)の2月、ふとしたことで後鳥羽院と衝突し、勘当をうける。

が、何が幸いするかわからぬもので、
翌年、承久の乱で後鳥羽院が隠岐に遷幸した後、
歌壇の中心人物となって、子孫が歌道師範家として栄える事となった。

定家には、古典学者としても優れた業績があり、
『土左(佐)日記』の紀貫之の自筆本を写し、
本文の乱れていた『源氏物語』を校訂し、
埋もれていた『更級日記』を掘り出して、世に広めた。

以上が全文である。

あの動乱にひとりの歌人として、業績は大きいが、
埋もれていた『更級日記』をひとつとっても、世に知らしめた功績は大きい。

私も知っている彼の歌で綴り、歴史に点を打った人として、賞賛したい。

春の夜の 夢の浮橋
とだえして 峰にわかるる 横雲の空

           藤原定家
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