夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

寒い夜は、石川さゆり・・ちゃんの『ウィスキーが お好きでしょ 』の唄声と共に・・。

2009-12-18 18:43:30 | 音 楽
私は東京郊外の調布市に住む年金生活6年生の65歳の身であり、
今朝の6時過ぎはわずか1度であり、
昼下がりは8度前後で冬晴れとなったが、北風が吹く寒い一日となった・・。

私は夕刊が配達されたので、玄関の軒下まで取りに行ったのであるが、
少し寒いじゃないの、と心の中で呟(つぶや)いたりした。

そして何気なしに、

♪ウイスキーがお好きでしょ
 もう少ししゃべりましょ

【『ウイスキーがお好きでしょ?』 作詞・田口俊、作曲・杉 真理、唄・石川さゆり】

と唄いだしたのである。

もとよりサントリーのウィスキーの宣伝として、石川さゆりちゃんが唄っているのであるが、
無念ながら、さゆりちゃんのように色艶(いろつや)のある唄声でないのである。


私の現役時代の確かに平成の初めの頃に、
蒸気機関車の走るシーンもあり、サントリーのウィスキーの宣伝として、
この唄声が流れていた。
最初に聴いた時、石川さゆりちゃんかしら、と思いながら、
色艶のある声と妖艶を感じ、魅了させられた・・。

そして私は演歌の女性歌手として優れた石川さゆりをウィスキーの宣伝に起用した担当の方たちに、
思わず脱帽したのである。
そして何故かしら、ウィスキーを購入してしまったりしていた。


先程、さゆりちゃんの色艶のある声が聴きたくて、【YouTube】にお世話になっている。

http://www.youtube.com/watch?v=RU4l9W6kjj4
☆ 1991 『ウイスキーがお好きでしょ?』初代CM (サントリー クレスト12)☆
【『ウイスキーがお好きでしょ?』 作詞・田口俊、作曲・杉 真理、唄・石川さゆり】

今回の改めて広告を見たのであるが、
若き女性たちの微笑み、しぐさが映っているのであるが、
私は齢を重ねたせいか、若き女性よりも、
ただ、石川さゆりちゃんの色艶ある唄声に魅せられている。、

♪ウイスキーがお好きでしょ
 もう少ししゃべりましょ
 ありふれた 話でしょ
 それで いいの 今は

     (略)

♪ウイスキーがお好きでしょ
 この店が 似合うでしょ
 あなたは 忘れたでしょ
 愛し合った事も

【『ウイスキーがお好きでしょ?』 作詞・田口俊、作曲・杉 真理、唄・石川さゆり】

そして、寒い夜のひととき、さゆりちゃんの色艶ある唄声に聴き惚れると、
何故かしら、暖かくなるのである。


留意)私はサントリーとは関係なく、あるレコード会社に勤めた身で、
   残念ながら、石川さゆりちゃんも他社専属の人でした。


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2万2250人の『フォーサイト』、購読者のひとりとしての思いは・・。

2009-12-18 13:55:25 | 時事【社会】
私は東京郊外の調布市に住む年金生活6年生の65歳の身であるが、
一昨日の夜、たまたま読売新聞の基幹ネットの【YOMIURI ONLINE】を見ていたら、

《 新潮社の月刊誌「フォーサイト」休刊 》

と見出しがあり、以下の記事を深く精読した。

《・・
新潮社は16日、月刊国際政治経済情報誌「フォーサイト」を来年3月20日発売の4月号で休刊すると発表した。

同誌は1990年創刊の年間定期購読誌で、発行部数2万2250部。
米国の同時テロ事件関連の記事などで政財界の注目を集め、
創刊時の7000部から部数を伸ばしてきたが、赤字が続いていた。

同社広報宣伝部は
「出版不況で事業見直しが不可避となり、
黒字化が見込めないことやネットの普及で月刊誌の役割が変化したために決断した」
と説明している。

12月16日19時47分配信 読売新聞
・・》
注)記事の原文にあえて改行を多くした。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20091216-00001092-yom-soci
☆【YOMIURI ONLINE】 《 新潮社の月刊誌「フォーサイト」休刊 》☆


私は月刊国際政治経済情報誌の『フォーサイト』を購読したのは、今年の夏であり、
この時の心情をこのサイトの7月27日に於いて、
【遅ればせながら、月刊雑誌『フォーサイト』の購読者のひとりとなり・・。】
と題して、投稿しているので、あえて再掲載をする。

【・・
私は東京郊外の調布市に住む年金生活5年生の64歳の身であり、
小説、随筆、歴史書、昨今のノンフェクション作品などの読書で日中の大半で過ごし、
ときたま居間で映画を鑑賞したり、音楽を聴いたりしている。
そして、日中のひととき買物、散策の時に季節のうつろう情景をこよなく愛し、
年金生活の身過ぎ世過ぎの日々を過ごしている。

そして、ときおり家内と国内旅行に行き、その地の風土、文化を教示され、
限りなく美しい情景を重ねて、甘受している。


今朝、いつものように読売新聞の朝刊を読んでいたら、
興味のある記事を精読したりしていた。
月例記事の特集のひとつである論壇として、
『2009年7月 思潮』と題された文化部の植田滋氏が綴られた記事である。
この中の一部として、引用すれば、

《・・
だが権力闘争でいえば、政党間の争いと共に、官僚の存在も意識されよう。
この点、シャーナリストの白石均氏は「民主党は『労組への従属』から脱却できるか」(『フォーサイト』)で、
政治混乱に乗じて消費者庁や金融庁の人事で
官僚が地歩を固めている実態を紹介。

また民主党が公務員労組に支えられている事実から、
「”労組に従属する政党”から脱皮しない限り、
”高級官僚に従属する自民党”と同様に、
民主党に霞ヶ関改革は不可能だろう」
と述べる。
・・》
注)記事の原文より、あえて改行を多くした。


私はこの記事を読み、日頃から感じていた思いを正鵠に公表したお方に、
目を見張ったのである。

私は月刊総合雑誌の『文藝春秋』は愛読して40数年、
ときおり特集に興味があった時、『中央公論』を読んだりしている。
日頃は読売新聞、そしてテレビのニュースを視聴し、
ときたま興味のあるドキュメンタリーの番組を視聴する程度のつたない身である。

もとより、国内外の政治、外交、軍事、経済の怜悧な面は、
齢を重ねてきたので少し解かったりしているつもりであるが、
無念ながら専門分野の知識に乏しく、各専門家の論調されることを謙虚に学んでいる。


私は上記に明示された『フォーサイト』を読みたくなり、ネットで検索した。

http://www.shinchosha.co.jp/foresight/20th/about.html
☆新潮社の月刊誌「フォーサイト」☆

私は定年退職後まもなくして、新潮新書、新潮・文庫本などで、
この中に添付されていた『フォーサイト』のチラシで、
少しは概要を知っていたが、私のレベルでは少し高い知識が要求される、
と感じ、購入は見送っていたのである。

今回、このジャーナリストの白石均氏は「民主党は『労組への従属』から脱却できるか」記事の引用文に誘発されて、
1時間ばかり『フォーサイト』の紹介を読み込んで、
購読する手続きをしたのである。

私は齢を重ねても、好奇心を失くしたらこの人生は終りだ、
と自身の信条に基づいているが、
果たして優れた専門の寄稿家の『フォーサイト』に掲載される記事を理解できるか、
少しボケた私は心配もあるが、好奇心に勝(まさ)るものはなし、と微笑んでいる。
・・】

私は購読を始めて、確かに世界主要国の優れた専門家に寄る政治、経済などの寄稿された記事を深く読み、
多々教示されてきた。
私が10数年前、衛星放送のテレビに於いて、世界各国のアメリカ、イギリス、フランス、ロシア、中国などの発信するニュースを視聴して、
やはり同じニュースであっても、それぞれの国の視点は違うと感じたように、
主要国の優れた専門家に寄る思考は深度も違う、と学んだりしたのである。

そして、ここ10数年は出版不況と知っていたので、出版社としては出来る限り返品などのロスをなくす為、
読者に直送する販売方式も確かなことである、と思っていた。

しかし、私が想像したより遥かに、数多くの理由で、出版の継続は断念されたのであろう、
と理解したのである。


昨夕、2010年1月号の『フォーサイト』が郵送されてきたが、
この中に『「フォーサイト」休刊のお知らせ』が添付されてきた。

《・・
「フォーサイト」を創刊したのは、ベルリンの壁が崩壊し、
米ソの首脳会議で「冷戦の終結」が宣言されて間もない1990年3月のことでした。
国内的にはバブル経済が崩壊しょうとしていた時期にあります。

以来、20年間、冷戦後の国際情勢と日本の政治経済の最先端の動きを伝えるクオリティ誌として、
政界、官界、経済界を中心に高い評価を得てきました。

しかしこのたび、創刊20年を一つの区切りとして、
2010年3月20日発売の4月号をもって、休刊をすることとなりました。

その理由としては、
①厳しい出版状況に直面する中で、全社的な事業の再編、特に雑誌部門の見直しが避けられなくなったこと、
②20年間の健闘f3Zqものの、今後の収支改善の見通しが立てないこと、
③インターネットの普及で、国際政治経済情報を扱う月刊誌の役割が大きく変化したこと---
この3点があります。

(略)

                   2009年12月   新潮社

・・》
注)記事の原文にあえて改行等を多くした。


このようなお知らせが同封されていたのである。

私は昭和19年に生を受けて、民間会社に35年ばかりサラリーマンをした後、
年金生活で過ごしているひとりであるが、
特に日本は平成時代になってからは社会は加速的に軽薄の風潮となり、劣化となっている。

このことは、もとよりベルリンの壁が崩壊、冷戦の終結に伴い、
世界の各国が資本主義経済となり、日本はアメリカなどの主要国から黙認されていたダムのような状況が、
あたかも決壊したかのような時代であり、これらの対応に政官財が戸惑いながら、後手に廻り、不十分ながら対応しているのが今日の状態である。

このような現状こそ、問題と解決への具体的な提言の本書こそが必要と思われるのであるが、
無念ながら余りにも経済の悪化で、出版業界まで悪化している。
その上、ネットの急速な普及で、それぞれの人たちが情報を得る方法が変貌してきた。

私もネットで、新聞社の基幹ネット【YOMIURI ONLINE】、【NIKKEI NET】を見たり、
ときにはビジネス情報サイトの【DIAMOND online】を見たり、
或いは無料会員の日本経済新聞社の【ネットPLUS】に加入し、
深く切り取った記事を拝読したりしている。

私のようなつたない身さえもが、こうした無料である程度は信頼性が高い記事、
寄稿文が読める時代となっているのである。


しかし、世界主要国の優れた専門家に寄る政治、経済などの寄稿された記事が掲載されている本書が廃刊なることは、
私としては、視野が狭くなることは確かなことである。




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過ぎ去りし、定年後の私の12月17日の思いは・・。  【下】

2009-12-18 00:07:26 | 定年後の思い
さて、前回の【 過ぎ去りし、定年後の私の12月17日の思いは・・。  【上】 】の続きであるが、
定年退職後の一年が過ぎた2005年の本年の八時過ぎには、
【 早朝のひととき・・♪ 】と題して投稿していた。

【・・
何時ものように6時に起床し、煎茶を淹れた後、
新聞を取り込むため、玄関庭に出た。

薄暗い日の出前であったが、
樹木に薄っすらと霜が観られ、寒い初冬の朝だった。

空を見上げると、満月の月が観られた。

昨夜から観えた月は、夜の間に移動し、
こちらの角度になったのか、とちょっと驚いたりした。

初冬の寒空に、月は凛とした姿に見えたが、
このような満月の時は、何かしら微笑みかけているように、私には観えた・・。

現役の時代は、このような月を眺める余裕などなく、
この時間は通勤の最中の時間であった。

この後、家内のコーヒーをマグカップに淹れ、
そして牛乳をマグカップに淹れた後、お盆に載せ、家内の枕元に置いた。

新聞を精読し、7時になると戸を開けながら、朝の陽射しを受けた・・。

家内の起きてきて、洗濯をはじめる。

私はぼんやりと庭を見詰めていると、
紅葉の終えたもみじの枝に小鳥の5、6羽が小枝の間を移動していた。

『XXちゃん、さ・・雀(すずめ)がきているよ・・もみじの枝に・・』
と私は家内に言った。

『貴方、四十雀ですよ・・』
と家内は微笑んで言った。

私は小鳥についても無知である。

以前、この季節に百舌(もず)はきていた・・。
この鳥は、声高く鳴くので、私は解るが、このほかは殆んど解らない。

私は庭先に小鳥が早朝、昼下がり、夕暮れの時、訪れて来てくれれば、充分である。

昨日の陽だまりの3時過ぎ、樹木の間を5、6羽が飛び廻っていた・・。

庭の外れの黒土の上を一羽の小鳥が、
ちょこちょこと群れから離れて、動き廻っていた。

私は、自分の姿を見たように思えた・・。
・・】


2005年の本年の昼下がりの1時半過ぎには、
【 初冬の穏やかな時・・♪ 】と題して、2回目の投稿していた。

【・・
家内が大掃除をしているので、私の方が落ち着き無くしたので、
早めであったが買い物に行った。

10時過ぎに家を出て、住宅街を通った。

陽射しを受けた人通りの少ない道を歩いたが、
師走の中旬というのも忘れるくらい長閑な情景である。

風もなく、暖かな初冬の東京の郊外は、
恵まれた地域のひとつであることを実感させてくれた。

現役の方達は、残り少なくなった年末までの土曜日の今日、
疲れを癒すひとときと思われる。

小公園にある大きな欅(けやき)の樹木は、朱色の葉は全て落としきり、
幹と枝の裸木はしなやかに温かい青空に伸ばしていた。
・・】



2005年の本年の夜の6時過ぎには、
【 初冬の藪椿・・♪ 】と題して、3回目の投稿していた。

【・・
私の家には、三種類の椿があるが、ひとつは蕾の状況となってきている。

昨日、昼下がり遊歩道を歩いていたら、
陽当たり良い所に、紅色の一重咲きの椿が、ニメートル前後の樹形で満開となっていた。

私は幼時の頃から見慣れた椿であるが、
花の少なくなった初冬の今頃、素朴な花に慰められた・・。

幼時の頃、私が生まれた家では、雑木林の陽当たり良い場所、
陽の当りの少ない所にも点在していたが、晩秋から春にかけて咲き、移ろっていた・・。

雑木林は祖父や父が余り手を入れていなかったが、
雑然とした樹木の多い中、こんなところに椿がある、と子供心に思ったりした。

私にとっては、懐かしい幼時に還れる花のひとつである。
・・】


定年退職後の数が月後の2004年の本年の昼過ぎには、
【 恋におちて・・。 ~素人と玄人~ 】と題して投稿していた。

【・・
49歳の時だった。

XXX協会の部会の帰り、銀座で降り、山野楽器に寄った。

シャンソンのコーナーでCDの中から選曲していた。
隣にいた女性が、
『どちらにしょうか・・』
とつぶやいていた。      
しばらく考えていた様子だったので、言葉をかけた。 
  
その後、喫茶店でコーヒーを飲みながら何となく話がはずみ、最後には笑い話するようになった。

会社の電話番号を訊かれ、教えた。
良かったら貴女の方から、電話を下さい、と言って別れた・・。

翌週の木曜日に会社に電話が着て、明日お逢いしたい、言ってきたので、会うことにした。
銀座のはずれで食事をした後、呑み屋に行った。

商事会社に勤め、派遣社員でコンピュータの部署で三十一歳の人だった。
XX市の地方から出てきて、独身でアパートに住んでいる、とのこと。

落ち着いたワンピースを着て、細身の身体で理知的に見えたので、私も好感がもてた・・。

私の偏見として、女性はワンピースかツーピースに限る、日ごろから感じていた。

ほとんど毎週金曜日に会い、四回目だったか、腕を絡めてきたので、手をつなぎ、街を歩いた・・。

こうして三ヶ月が過ぎていった。

何時もののように、食事をした後、洋風の呑み屋で話していた時、
契約の延長がなくなったり、しばらく次の派遣先が決まるまで実家に里帰りする、とのことであった。

いつもより飲むピッチが早いので、だいじょうぶ、と声をかけた。

外に出たとき、少し飲みすぎたわ、と私に寄り掛かったのできたので、
近くのホテルに行き、部屋に入り、ベットの寝かせた・・。

ツーピースのスカートから、スリップが見え、ドキとした。
抱きたい、と思ったが、家庭を壊したくないので、自制した。

しばらくすると寝息をたてたので、
メモに『楽しかったけど、もう逢うのは今日で終わりにしよう・・』と書いて、
ホテル代をハンドバックの下に置いた。

これ以上逢うと、私の自制がきかず、家庭に影響してしまう、と思っていたのである・・。

今、思うと五、六年前の黒木瞳に似た人だった。

私も一人の男であったので、女性の身体を妻以外に欲しくなった時は、
風俗店の玄人と適時に遊んできた。

素人の女性の場合は、やはり家庭までこわして・・と思っていたので、
深入りは禁物だった。

映画に『恋におちて』、『マディソンの橋』があるが、
家庭まで影響を与えてしまう『恋におちて』より『マディソンの橋』の結局家庭を保ち、
あきらめるせつなさを私は選択する。

妻との出会い、愛しい妻との一歩、一歩家庭を築いてきた歳月、自分の本当の味方は妻以外ない。  

このようなケースは誰しも二つや三つ持っていると思う。
私の三つの中の一つですので、余り書きたくはなかったのは本音である。
思い出にそっと残してほしかったのですが、
このサイトの心の交流をはじめた兵庫県のある女性の誘発にのり、書き込んでしまったのである。
・・】                  



2004年の本年の夕方の5時過ぎには、
【 高橋真梨子の名曲を聴く・・。】と題して、この日2回目の投稿をしていた。

【・・
昨年の9月に発売された『Ballads with DVD mariko takahashi』を聴く。

この中で、特に『ごめんね・・』、『for you・・』は好きな曲である。

『ごめんね・・』の場合は、作詞の内容はドキとして、
夢ならいいが現実として・・花金《バブルの時、金曜ドラマ、三十歳台の夫婦をテーマ!?》のドラマのようで、
ついていけないなぁ、と思ったりしたのである。

♪好きだったの それなのに
 貴方を傷つけた
 ごめんね・・の言葉 涙で 云えないけれど
 少しここに居て

♪悪ふざけで 他の人 身を任せた夜に
 一晩中 待ち続けた 貴方のすがた
 目に浮かぶ

♪消えない過ちの言い訳する前に
 貴方にもっと 尽くせたはずね
 連れて行って 別離(わかれ)のない国へ

♪せめて今夜 眠るまで 私を抱きしめて
 いつも我がままを 許してくれた場所まで
 戻りたい
    《略》
【『ごめんね・・』作詞・高橋真梨子、作曲・水島康宏、編曲・十川 知司、唄・高橋真梨子 】


『for you・・』に関しては、

♪涙をふいて あなたの指で
 気付いたの はじめて
 あの頃の私 今日までの日々を
 視ててくれたのは あなた

♪わがままばかりでごめんなさいね
 恋人と別れて
 あなたの部屋で 酔いつぶれてた
 そんな夜もあった

♪想い出せば 苦笑いね
 淋しさも悲しみも
 あなたのそばで 溶けていった
 いつもいつの日も

♪もしも 逢えずにいたら
 歩いてゆけなかったわ
 激しくこの愛つかめるのなら
 離さない 失くさない きっと
   《略》
【『for you・・』 作詞:大津あきら 作曲:鈴木キサブロー 編曲:若草 恵、唄・高橋真梨子 】

こ歌詞には理解でき、私なりの感性と感覚の違いかしら、と微苦笑しているのである。
・・】

注)投稿した当時は、【YouTube】は利用していなかったのであるが、
今回の再掲載に伴い、【YouTube】を活用させて頂く。

http://www.youtube.com/watch?v=prPuEmKXX0g
☆【『ごめんね・・』作詞・高橋真梨子、作曲・水島康宏、編曲・十川 知司、唄・高橋真梨子 】☆

http://www.youtube.com/watch?v=oBQbULosAcI
☆【『for you・・』 作詞:大津あきら 作曲:鈴木キサブロー 編曲:若草 恵、唄・高橋真梨子 】☆



このように私は12月17日時点を基軸に、
昨年の2008年から定年退職後の数が月の2004年まで遡(さかのぼ)ったのであるが、
果たして進化してきたか、或いは退廃してきたか、解からないのである。




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