夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

この世で一番笑えた私なりの社会記事のひとつは・・!?

2009-12-03 12:51:24 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活6年生の65歳の身であるが、
昼前にぼんやりと読売新聞の基幹ネットの【YOMIURI ONLINE】のニュースを見ていたら、
思わず笑いこげた社会面の記事があった。

昨今、暗いニュースが多いので、あえて紹介させて頂く。

《 警官宅とは思わなかった、下着泥未遂捕まる 》

と題された記事である。


岐阜県警岐阜北署は3日、警察官宅に侵入したとして岐阜市長良、会社員池村浩容疑者(45)を住居侵入容疑で現行犯逮捕した。

池村容疑者は
「下着を盗もうと思った。警察官の家とは知らなかった」
と供述しているという。

発表によると、池村容疑者は同日午前2時15分頃、
同市学園町の県職員アパート1階、同署地域課の男性警察官(57)方のベランダに忍び込んだ疑い。

妻がベランダの物音に気付き、
男性警察官が池村容疑者を追跡、数十メートル離れた同アパート駐車場で取り押さえた。

(2009年12月3日11時28分 読売新聞)
・・》
注)記事の原文にあえて改行を多くした。

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20091203-OYT1T00428.htm?from=main5


私は奥様がベランダの不信な物音に気付き、
ご主人が下着を盗もうとした男を追いかけて、取り押さえたことに夫婦の無敵の連携プレーを感じたりした。
たまたま、ご主人が警察に勤務されていたことだけである。

しかし、捕まった男が盗みに入ったお宅が警察官の家だった、
と知った時の驚きを想像すると、思わず笑ってしまったのである。

そして、私は下着を盗もうとした男の年齢45歳と知り、何よりもあきれているのであった。


私は女の人の下着に好奇心を持ったのは、小学校の高学年がピークであり、
その後はどこにでもいる大人の男のふるまいで今日に至っている。

しかし、見知らぬ家に入って下着泥棒をする心境は理解できないし、
まして45歳の会社員したことに驚いている。

私は笑った後に、警察に捕まり、この会社員が家庭の身のある方と思われるが、
どのように釈明されるか、まして奥さん、子供がいるご家庭であったら・・。
と考えさせられたのである。

私はやむえず、この会社員の45歳の男に、
貴様・・それでも一家の主(あるじ)か、と心の中で呟(つぶや)いたりした。





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思わず魅了され、心に沁みたひとつの短歌は・・。

2009-12-03 10:10:52 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活6年生の65歳の身であるが、
ときおり短歌、俳句を拝読するのが好きである。

私は無念ながら、短歌、俳句を詠(よ)む素養はないので、
やむえず散文の世界に逃げ惑い、ブログなどに綴っている拙(つたな)いひとりである。

こうした折、昨日の昼下がりのひととき、長谷川櫂(はせがわ・かい)氏の『四季のうた』(中公新書)を取り出して、
この時節の12月のページを開いて、思わずひとつの短歌に魅了され、心に沁みたのである。


歳木樵(としぎこ)る わがかたはらに
         うつくしき 女人のごとく 夕日ありけり

                     詠み人・前登志夫(まえ・としお)

長谷川櫂氏の解説の言葉に頼れば、
《新年用の薪が年木(としぎ)。
 山で年木を伐(き)っていると、夕日が麗しい女人のようにすぐそばに照り輝いている。

作者は現代詩から短歌に転じ、
故郷の吉野(よしの)にこもって歌を詠み続けた。
そこは太陽や月が身近にある国だった。》
注)解説の原文にあえて改行を多くした。


私は歌人・前登志夫氏に関しては、『太陽』、『芸術新潮』とか雑誌などで、
幾たびか拝読した程度のつたない身であり、そのたびにこのお方の詠まれた歌、
発露された言葉に感銘を受けたりしていた。

改めて、このお方の軌跡に思いを馳せ、
フリー百科事典として名高い【ウィキペディア(Wikipedia)】を検索し、深く精読したのである。

《・・
前 登志夫(まえ・としお、1926年1月1日 - 2008年4月5日)は、歌人。
本名、前 登志晃(まえ・としあき)。日本芸術院会員。短歌結社「山繭の会」主宰。

生い立ち
奈良県吉野郡下市町広橋にて、父理策、母可志の二男として誕生。
旧制奈良中学(現・奈良県立奈良高等学校)に入学。
同志社大学に入学するが、昭和20年(1945年)に応召、大学は中退。

戦後まもなく詩作を始め、昭和26年(1951年)に吉野に戻り、前川佐美雄を訪問。活動はここ吉野を中心に行う。
1956年、詩集『宇宙駅』を刊行したが、やがて短歌に転じ、前川に師事。
58年以降、吉野に住み家業の林業に従事する。

活動
昭和30年(1955年)、『樹』50首で第1回角川短歌賞最終候補(安騎野志郎名義)。
昭和33年(1958年)に、『短歌』四月号にて、塚本邦雄・上田三四二らと「詩と批評をめぐって」で座談会。
昭和39年(1964年)第一歌集『子午線の繭』出版。

この頃より、テレビ・新聞・雑誌等で吉野を語ることが多くなる。
以後、『霊異記』・『縄文記』(第12回迢空賞受賞)
『樹下集』(第3回詩歌文学館賞受賞)
『鳥獣蟲魚』(斎藤茂吉短歌文学賞受賞)
1998年『青童子』で第49回読売文学賞受賞、
『流轉』(第26回現代短歌大賞受賞)・『鳥總立』を出版。

昭和55年(1980年)に歌誌『ヤママユ』創刊、平成18年(2006年)に第20号を刊行。
平成17年(2005年)に全業績により、第61回日本芸術院賞文芸部門受賞、併せて恩賜賞受賞。
同年、日本芸術院会員となる。

歌集のほかに、エッセイ集『吉野紀行』、『存在の秋』、『樹木三界』、『吉野日記』、『古代のしるべ』
『吉野遊行抄』、『吉野風月抄』、『吉野山河抄』、『明るき寂寥』、『病猪の散歩』、『歌のコスモロジー』ほかがある。
・・》
注)解説の原文にあえて改行を多くした。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%89%8D%E7%99%BB%E5%BF%97%E5%A4%AB


私がこのお方の軌跡を読めば、たよやかな清烈なお方であった。
とても余人には真似が出来ないお方であり、私のようなつたない身までも
心に沁みる感銘を残響される数多くの歌を詠まれたお方であった、
と改めて感じている。




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