夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

中島みゆき女史のアルバムをカセット・テープで聴けば・・。

2009-12-12 10:37:57 | 時事【社会】
私は東京郊外の調布市に住む年金生活6年生の65歳の身であるが、
昨日の深夜、何気なしに音楽棚から中島みゆき女史のカセット・テープを取り出して聴きはじめた・・。

ラジカセCDの横には、このお方の3本のカセット・テープがある。

私はあるレコード会社に勤めていたが、レコード、カセットテープからCDに切り替えたのは、
世の中の多くの人たちより、遅れていた。

1990(平成2)年の春にCD対応のミニ・コンポを購入し、
これ以降の音楽作品はCD、ビデオテープ、DVDとなっている。

私が世情から遅れたのは、1970(昭和45)年の春、
ある音響・映像メーカーに中途入社し、この中の音楽事業本部の中で、
ある大手レーベルがレコード会社として独立し、私は新設されたレコード会社に転籍させられた。

私は25歳の新人で、音楽には知識もなかったので、
給料を頂くたびに少なくとも自社を1枚、他社を2枚のアルバムを買い求めていった。
この当時は、圧倒的にレコードであり、
カセット・テープ、そしてステレオ・エイト(8)のカトーリッジ・テープが販売されていた時代であった。

従って私の音楽棚は昭和の時代を終えた頃は、
レコードが多く、カセットテープもあり、1000枚前後となった。
この当時、レコード会社はCDの黎明期であり、
レコードで発売されたアルバムを再編成をしてCDでも販売するようになっていた時代であったが、
私はシャンソンなど熱狂した時代もあったので、稀なレコードも所有した上、
今まで収集してきたレコードのアルバムのソフトを、
改めて買い直す心情にはなれず、ためらい続けていたのである。

この頃、遅ればせながらシンガーソング・ライターの中島みゆきさんに魅了され、
物狂いのように聴きはじめたのは、1988(昭和63)年の晩秋であった。

そして、新宿・山野楽器で買い求めたのは、カセットテープであった。
この当時、カセットテープの一部には、レコードのアルバムを2枚分を、【2LP】と称して販売されていた。

私が購入したのは、『あ・り・が・と・う』と『愛していると云ってくれ』のアルバム分の2LP、
そして『生きていてもいいですか』、『臨月』のアルバム分の2LP、
レコードで表現したら4枚分のアルバムであった。

この後、1989年(平成元年)11月15日に発売されたアルバム『回帰熱』を
最後にカセットテープの時代を終えて、
これ以降の音楽作品は殆どCDに変貌したのである。


このような想いを重ねながら、深夜、中島みゆき女史のアルバムをカセット・テープで聴いていたのであるが、
やはり私は初めて中島みゆき女史に熱気し、物狂いのように毎晩聴いていた時代が思い出されるのであった。

そしてウォークマンに中島みゆき女史のカセットテープを聴きながら、
『中島みゆき コンサート』の会場に自転車で向うひとりの少年の高校生を
幻想されたりした。


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コメント
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