第11章
2002(平成14)年は、妹の次男が結婚し、ディズニー・シーの周辺で、
結婚式・披露宴をすることとなり、
恥ずかしながら家内はディズニーのファンであり、
この際、デイズニー・シーをゆっくり観たいわ、と懇願され、
私はやむえず祭日、代休を重ねて『シュラトン・ホテル』に3泊4日で宿泊したのであった。
何より私が悦んだのは、長兄の長男、次男、そして妹の長男、今回の次男・・
私にとっては甥っ子の4人が、私の定年退職前に結婚してくれればと秘かに願っていたので、
心の中では小躍りしていたのである。
そして12月になると、家内と年末年始の旅行のことで話し合ったりした。
私は能登の輪島温泉滞在で、程ほど高価な費用を払ったのに、と苦い思いでがあり、
ためらったりしていたのである。
こうした時、旅行会社から送付されてくる小冊誌に於いて、
『ゆく年くる年 日本のてっぺんでお正月3日間』と題した、団体観光ツアーがあった。
大晦日の31日の早朝、羽田空港に集合して、午前10時過ぎに釧路空港に着陸した後、
バスで釧路湿原を通り過ぎ、屈斜路湖、摩周湖の雪の情景を鑑賞した後、紋別に宿泊する。
翌日、2003(平成15)年の元旦の朝、稚内を目指して、オーホック海沿いの道をバスは長らく北上し、
そして宗谷岬に午後の3時過ぎ到着した後、日本の最北端の駅である稚内駅を観たりし、
高台にある神社に初詣し、市内のホテルに宿泊。
そして翌日の2日、札幌を目指して、日本海を眺めながらバスは南下し、千歳空港から帰京するプランであった。
こうした風変わりな周遊観光コースであり、格安なプランであるので、
二度と企画されないかもしれない、と私は家内に云ったりし、参加したのであった。
大晦日の31日、羽田空港に早朝に集合時間であったので、
タクシーを予約して、暗い中、自宅から羽田空港までタクシーを利用した。
そして、厳冬の屈斜路湖、摩周湖の雪の情景を鑑賞したが、私達は冬の北海道はたびたび体験し、
それなりの防寒服を着たりしているので、マイナス10度ぐらいは心身順応出来るのである。
少し驚いたのは、紋別に宿泊する前、蟹(カニ)食べ放題の夕食となり、
私は地酒を呑みながら、それなりに奮闘して頂いたが、
やはり蟹は毛蟹を一杯だけ頂き、ゆっくりと熱燗の地酒を呑むのが良い、
と感じたりしたのである。
そして、宿泊のホテルの部屋に戻ると、
テレビで紅白歌合戦の番組の中で、中島みゆき女史が『地上の星』を唄っていた・・。
後年、伝説となった黒部の極寒の坑道の中で、唄いあげたシーンであった。
私はファンのひとりであったので、この夜の夢は何故かしら、
みゆき様が私の方を見ながら微笑んでいたのである。
尚、紋別で宿泊した観光ホテルは無念ながら思い出せないが、
稚内は全日空ホテルであった。
http://www.ana-hotel-wakkanai.co.jp/
☆ 稚内 全日空ホテル ☆
href="http://www.blogmura.com/">
2002(平成14)年は、妹の次男が結婚し、ディズニー・シーの周辺で、
結婚式・披露宴をすることとなり、
恥ずかしながら家内はディズニーのファンであり、
この際、デイズニー・シーをゆっくり観たいわ、と懇願され、
私はやむえず祭日、代休を重ねて『シュラトン・ホテル』に3泊4日で宿泊したのであった。
何より私が悦んだのは、長兄の長男、次男、そして妹の長男、今回の次男・・
私にとっては甥っ子の4人が、私の定年退職前に結婚してくれればと秘かに願っていたので、
心の中では小躍りしていたのである。
そして12月になると、家内と年末年始の旅行のことで話し合ったりした。
私は能登の輪島温泉滞在で、程ほど高価な費用を払ったのに、と苦い思いでがあり、
ためらったりしていたのである。
こうした時、旅行会社から送付されてくる小冊誌に於いて、
『ゆく年くる年 日本のてっぺんでお正月3日間』と題した、団体観光ツアーがあった。
大晦日の31日の早朝、羽田空港に集合して、午前10時過ぎに釧路空港に着陸した後、
バスで釧路湿原を通り過ぎ、屈斜路湖、摩周湖の雪の情景を鑑賞した後、紋別に宿泊する。
翌日、2003(平成15)年の元旦の朝、稚内を目指して、オーホック海沿いの道をバスは長らく北上し、
そして宗谷岬に午後の3時過ぎ到着した後、日本の最北端の駅である稚内駅を観たりし、
高台にある神社に初詣し、市内のホテルに宿泊。
そして翌日の2日、札幌を目指して、日本海を眺めながらバスは南下し、千歳空港から帰京するプランであった。
こうした風変わりな周遊観光コースであり、格安なプランであるので、
二度と企画されないかもしれない、と私は家内に云ったりし、参加したのであった。
大晦日の31日、羽田空港に早朝に集合時間であったので、
タクシーを予約して、暗い中、自宅から羽田空港までタクシーを利用した。
そして、厳冬の屈斜路湖、摩周湖の雪の情景を鑑賞したが、私達は冬の北海道はたびたび体験し、
それなりの防寒服を着たりしているので、マイナス10度ぐらいは心身順応出来るのである。
少し驚いたのは、紋別に宿泊する前、蟹(カニ)食べ放題の夕食となり、
私は地酒を呑みながら、それなりに奮闘して頂いたが、
やはり蟹は毛蟹を一杯だけ頂き、ゆっくりと熱燗の地酒を呑むのが良い、
と感じたりしたのである。
そして、宿泊のホテルの部屋に戻ると、
テレビで紅白歌合戦の番組の中で、中島みゆき女史が『地上の星』を唄っていた・・。
後年、伝説となった黒部の極寒の坑道の中で、唄いあげたシーンであった。
私はファンのひとりであったので、この夜の夢は何故かしら、
みゆき様が私の方を見ながら微笑んでいたのである。
尚、紋別で宿泊した観光ホテルは無念ながら思い出せないが、
稚内は全日空ホテルであった。
http://www.ana-hotel-wakkanai.co.jp/
☆ 稚内 全日空ホテル ☆
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