夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

我が家の年末年始の休日は・・。⑤湯野浜温泉滞在記【1999.12.29.~2000.1.2.】

2009-12-28 14:34:55 | 定年後の思い
           第五章

私達夫婦は、長兄の奥方が鶴岡市の郊外で生を受け、高校生までこの地で育ち、
何かと冬は積雪がある上に寒い、
と聞いていたので、今回の湯野浜温泉の滞在旅行は、
フィールド・ジャケット、セーター、ズボン、軽登山靴を用意をして、
一部はこの観光ホテルに宅配便で送付していた。

翌日の30日は、このような防寒の容姿で、羽黒山のふもとにある『五重塔』に向ったのであるが、
何かしら温暖で陽射しの中、路線バスで鶴岡駅で乗り換えながら行ったのである。
見渡す限り田畑の中に人家がある情景であったが、羽黒山のふもとに近づくと、
バスの終点であり、私達は下車し、閑散として食事処で、
山菜蕎麦を頂いたりした。

そして畑の外れに赤く実った柿が観え、あれが庄内柿か、と私は理解した。

この後、大きな杉木立の中、地表は5センチ前後の残り雪を踏みしめ、
小さな川の清冽な流れを見ると、深閑とした情景であった。
このような所を少し登ると、突然に『五重塔』が観えたのである・・。
杮葺(こけらぶ)きで素木(しらき)造りの塔であり、長い歳月の風雪に耐えた景観に私は心を寄せられたのである。

私はこうした情景を眺めながら、春のとき、夏のひととき、秋のとき、そして冬、
このような季節をめぐる中、時と共にひとときを過ごせたら、
この上にない贅沢な時を享受できる、と私は立ちすくんで感じたのである。


この後、鶴岡駅からホテルに戻る路線バスの車窓から、
市内の中心の街並みを眺めたり、寺院の外れの一角で正月飾りの即売店を見たりした。
門松、注連(しめ)飾り、輪飾り、そして松、万両などが観られ、
多くの人が買い求めている光景を見ると、改めて歳末を実感させられたのである。


翌日の大晦日は、深夜に羽黒山の祭殿の付近で、『松例祭』が名高いので、
観光ホテルで夕食を頂いた後、私達は向かったのである。

もとより羽黒山は、月山、湯殿山と共に出羽三山と称されているが、
拝殿の近くに行くと、この時節に羽黒山に参拝すれば出羽三山を拝観したことになる、
このような意味合いが明記されていたので、私は少し笑ったのである。

奥のはずれにある大きな待合室は、市内の人々か、大勢の方たちが折、
私は神社の売店にいる巫女(みこ)を見たりしていた。
高校生ぐらいの少女たちで、大人には少し無理であどけない表情をたたえているので、
庄内地方が育てた少女、と私は秘かに感じたりしたのである。

この後、この外れの広場で、地元の有志の若き青年諸君が、
上半身を肌蹴て歓声と喊声をあげながら、互いに前進したり、
大きな松明(たいまつ)を燃やしながら、歩き廻った・・。
確かこのような情景だったと記憶しているが、無念ながら10年前のことであるので、
定かでない。

この後、神社の外れで、10数軒立ち並ぶ簡素な食事処は、
参拝客が多い中、私は地酒を呑みながら、おでんを食べたり、
家内は温かいお饅頭と共に甘酒を飲んだりしていると、深夜の一時過ぎとなった。

新たなる2000年の年か、と思いながら、ホテルも帰還するタクシーを捜したが、
やっとの思いで15分後に見つかり、帰路に向ったのである。

羽黒山を下山するタクシーの車窓からは、
市内の方から初詣に来られる方たちの自動車のライトが次々の登ってくるような状景に、
新年早々の初詣か、と感心しながら下方を眺めたりした。

元旦の日中は、湯野浜の海岸を2時間ばかり散策した。
暖かな冬の陽射しの中を家内は貝殻を拾ったり、私は珍しそうな小石を探したりした。


翌日の2日は帰京する日なので、市内の神社に参拝した後、
駅前の老舗の和菓子屋で寄ったのである。
平素、何かと長兄の奥方からは、この地域の地酒を私は頂いているので、
幼年期からの長兄の奥方の好み和菓子を探して買い求めたり、懐かしいと思われる地元の地方新聞の二紙を購入し、
私達は、まもなく鶴岡駅をあとにしたのである。

このように1999(平成11)年の年末、そして新たなる2000(平成12)年の新年を、
山形県・鶴岡市の海岸にある湯野浜温泉で過ごしたのである。


                        《つづく》

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我が家の年末年始の休日は・・。④湯野浜温泉滞在記【1999.12.29.~2000.1.2.】

2009-12-28 09:29:25 | 定年後の思い
           第四章

1999(平成11)年の1月9日に母の一周忌の法要を終えた後、
この当時の私は、あるレコード会社に勤めていたが、数年前から各社がリストラが実施され、
私も2月より、ある物流情報センターに出向となった。
殆ど本社で30年近く勤務してきたので、失墜感があり、盛夏の頃まで心の奥底に感情のわだかまりがあったが、
何とか吹っ切れて業務に専念できた。

この後、初秋に妹の長男、秋に長兄の長男の結婚式などがあり、
私自身、公私共々波乱に満ちた年でもあった。

こうした思いかあり、せめて年末年始は日本海の雪降る温泉地に滞在して、のんびりしょうよ、
と私は家内に云ったりした。

結果として、選定したのは山形県・鶴岡市の海辺にある湯野浜温泉に12月29日から4泊5日の旅となったのである。


東京駅より新幹線で新潟駅、その後は在来線の特急『いなほ』で鶴岡駅で下車したが、
乗車時間はわずか3時間半が、車窓から雪景色が観られず、少し落胆したのは本音であった。

鶴岡駅の駅の近くにラーメンの美味しい店がある、と事前に調べていたので、
ここで昼食と私達夫婦は決めていたのであるが、郊外に移転したと教えられ、
やむえずタクシーで三キロばかり利用した。
郊外に洒落たレストラン風に変貌し、客は賑わっていたが、
期待する余りなのか、ラーメンの味は並であり、私達は互いに苦笑したのである。

そして、鶴岡駅までのんびりと歩きながら田畑の広がる情景を観て、
庄内平野の広さを実感したりした。
その後は街のはずれで町工場のような木造二階建てを眺め、
社員の方たちか仕事納めの前なのか大掃除をされていた。
私は気楽に旅行などの休暇を一日早く休めて、何かしら申し訳ない気持ちになったりした。


鶴岡駅の駅前は、帰省客を出迎える家族、知人たちが多く、
私達夫婦は駅前より路線バスで湯野浜温泉に向ったが、
やはり車中の乗客は帰省される方が圧倒的に多く、
この地方の方言が飛び交わされ、私は心の中で微笑んだのである。

私はその地方の風土、文化を学ぶ第一歩は、
その地域にお住まいの人たちが平素に於いて利用される公共交通機関に共にできれば、
確かに教示されることが多い、と信念のように思っていたからである。


終点の湯野浜温泉に到着すると、まもなく予約している観光ホテルの『亀やホテル』が観えた。

http://www.kameya-net.com/
☆ 湯野浜温泉『亀やホテル』☆

私達は年末年始の宿泊料金は高くなると知っていたが、
この一年の波乱万丈の苦楽の年であったので、慰労の意味を込めて、
少し背伸びし29日、30日、大晦日の31日、そして元旦、と連泊としたのである。

程ほどゆったりした客室、客室から観える海、そして鳥海山の雪景色の展望、程よい大浴場、
何よりも魅せられたのは、その夜に応じた日本海に面した特色のある料理の数々であった。
素材も良く、創意工夫された料理・・
私達夫婦はある程度は日本各地の観光ホテルに宿泊して、
宴(うたげ)のひとときの夕食を頂いてきたが、今でもこれ以上の料理を味わったことがないくらい、美味であった。

その上、日中に今宵はXXを食べてみたいなぁ、と何気なしに家内に云ったりしていたところ、
この料理が夕食のお膳の片隅にさりげなく置かれていたので、
私達は驚きながら、微笑んだのである。


                             (つづく)


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