夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

冬至の頃、出勤時の想いで・・。

2009-12-22 06:52:37 | 現役サラリーマン時代の想いで
私は東京郊外の調布市に住む年金生活6年生の65歳の身であり、
先程、何気なしにカレンダーを見たら、『冬至』と記載されていた。

もとより一年の中で日中の時間は短く、夜の長い時間であり、
私の住む処では、日の出は6時45分過ぎで、日の入りは夕方の4時半過ぎである。

1995(平成7)年の頃から、日本経済の足かせになってきた企業の「雇用・設備・債務」の三大過剰問題に対し、
やがて過酷なほどに経営改革が行なわれ、リストラ渦中で、殆どのサラリーマンが翻弄された。

私はあるレコード会社に勤めていた身であるが、レコード会社の各社も総合見直しとなり、
会社間の統廃合をしたり、組織の統廃合で大幅な人員削減も行われたのが多かった。

私の勤めた会社も同様に、早期退職優遇制度の下で、
上司、同僚、後輩の一部が業界から去ったりし、人事異動も盛んに行われたりした。

私も50代のなかば、1999(平成11)年の初春、取引先の物流会社に出向を命じられ、
この中のひとつの物流センターに勤務し、出向先で定年退職を迎えた。


この出向先に勤務していた時代、遠方の神奈川県の厚木地域が勤務所在地であったので、
朝の起床は4時45分であった。
家を6時に出たが、まだ暗く寒さの中、バス停で始発のバスを待ったのである。

そして小田急線の『成城学園前』の駅前に向うバスの乗客は殆ど8人の固定客で、
お互いに無言であったが、いつものメンバーと思いながら、
秘かに心の中では、お互いに健闘していますね、と私は感じていたのである。

そして、常連となったメンバーのひとりが欠けていた時は、
風邪を退いたのかしら、と思ったり、
或いは職場が変わったのかしら、むえず退職をされたのかしら、と思ったりする時もあったりした。

このような心情で、駅前で下車した後、
小田急線の『成城学園前』駅のプラットホームで下りの電車を待っている時も薄暗く、
乗車して、『新百合ヶ丘』を過ぎた頃、車中で日の出を迎えていた。

出向の前は、都心にある本社に勤務していたので、始業時は9時半であり、
通勤時間は一時間弱であったので、
私は8時過ぎに家を出ていたので、出勤時、出勤状景が一変し、鍛えられたのである。

私の50代の後期であったので、体力テストは勘弁してほしい、というのが本音であったが、
会社のいく度かのリストラで、退職を余儀なくした先輩、同僚を思い、
私なりに背水の陣の心境で何とか頑張れたのである。

新春が過ぎ、節分の時節になる頃は、『成城学園前』の駅前に向うバスの車中で、
日の出を迎え、ほっとした気持ちは、今の私でも忘れることの出来ない思いでとなっている。



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