夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

冷たい雨の降る日中は、読書と散文を綴(つづ)り・・。

2009-12-11 17:08:05 | 真摯に『文学』を思考する時
私は東京郊外の調布市に住む年金生活6年生の65歳の身であり、
今朝、4時半過ぎに目覚め、玄関の軒下で煙草を喫ったりしていたが、
夜半の未明時より雨が降りだし、日中は雨の一日です、
と昨夜の天気情報は報じていたのに、どうしたのかしら、と思いながら、
薄暗い中どんよりとした曇り空を見上げたりした。

私は居間に戻った後、洗面をし、煎茶を淹れたり、
新聞が配達される前にネットでニュースを見たりしていた時に、静かに雨が降りだしてきた。
この後、このサイトの投稿文を綴ったりしていた。
そしてネットで地元の天気情報を検索したら、
朝の6時は6度、昼下がりは9度、夜の6時は8度で雨の降る一日、
と表示され、平年並みかしら、と苦笑したりした。

このような冷たい雨の降る日は、買物と散策は取りやめて、
読書に専念しょうか、と自在でわがままな私は決意したのである。

昨日、買い求めた総合月刊雑誌の『文藝春秋』の読み残した記事を読んだ後、
中断していた大村彦次郎(おおむら・ひこじろう)・著の『文壇うたかた物語』(ちくま文庫)を読んでいる。

もとより大村彦次郎氏は長年『講談社』に勤め、編集の立場、出版社の重責を歴任された方であり、
こうした視線から私の敬愛している数多くの小説家に於いて、
作品から発露されていない言動を知る立場であったので、私なりの好奇心から読んでいる。

そして編集者と作家の立場の箇所を読むと、
《・・
編集者にとって、作家とは何だろう。
話をしているうちに、なんとなく原稿を書かせたい気分になる相手、
いや黙っていても原稿を注文したくなるような相手、
それが作家の愛嬌であり、魅力である。

銀座通りを素っ裸かであるく覚悟がなければ、小説は書けない、
といったのは、太宰治だ。
ものを書くには、技術もさることながら、生まれついての天稟(てんびん)に負う。
ナルシシズムとある種のマゾヒズム、それがたがいにからみ合って、芸は昇華する。

かって太宰や安吾にのめり込んでいった編集者たちは、
きっとそんな作家の底知れぬ魔力にとり憑かれいったのにちがいない。
・・》
注)ページ208から引用
注)原文にあえて改行を多くした。

こうした部分を読み込むと、私はテラスに下り立ち、
煙草を喫いながら、考え込んでしまうのある。
そして、若き世代で小説家をめざす人、或いは出版社で文藝の編集者をめざす人、
この人たちにとっては哲学書の一冊に相当する集約された明言、と確信をしたのであった。

私は『文壇うたかた物語』を半分ぐらい読んだ限りであるが、
数多くの小説家、編集者の軌跡と言動が明示されているので、
この分野にめざす人の必読書と思い深めたりした。

このような読み込みをすると、中々次ページに進めず、嬉しい悲鳴を心の中であげながら、
読んでいるのである。

そして目に疲れを感じたり、綴られている内容を深く思考したりする時、
玄関の軒下、主庭のテラスのはずれで、
小雨降る中、モミジの朱紅色に染められた情景を眺めたりし、思索する。

この後、私なりの心の発露として、日に数通ばかりの投稿文を認(したた)めているので、
どのようにしょうかと迷っている。


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『平成』の時代を迎えた私達が手にしたものは・・。

2009-12-11 08:11:35 | 時事【社会】
私は東京郊外の調布市に住む年金生活6年生の65歳の身であるが、
昨日、このサイトに【懐かしき『昭和の発言された言葉』を求めて・・。】
と題して、投稿した後、
平成の時代になってから、私たち日本の国民の多くは何を手にいれたのかしら、
と少しボケた私なりに考えたりした。

もとより平成の時代は、昭和天皇がご逝去されたのが1989(昭和64)年1月7日により、
平成元年は1月8日から初じまり、本年は平成21年となり、まもなく歳末を迎える。

私は平成の時代の始まりを思う時、
何故かしら1989年11月10日からベルリン市民に寄る『ベルリンの壁崩壊』の出来事と重ねてしまうのである。

世界の諸国の政治はもとより、外交・軍事・経済、やがて社会が一変したからである。

この頃の私は、民間のあるレコード会社で情報畑で勤務し、
前年の1988(昭和63)年の12月から、1989(昭和64)年4月から『消費税』が実施されるので、
システムの開発をしていた。
この頃は昭和天皇が危篤された時節で、世の中は自粛ムードとなり、1989(昭和64)年の新年を迎えた。

そして、1月7日の朝に昭和天皇がご逝去をニュースで知り、
私はいつものように出社し、社内の恒例の朝礼の時、
専務取締役の指示で、私達は皇居に向かい、黙祷をささげた。
この後、年号の『昭和』より『平成』のシステム改定も加わり、更に多忙となっていた。

このような思いもさることながら、平成の時代になって、
私達の生活に於いて急速に変貌したのは、アナログからデジタルに変貌したこと。
そして水をペットボトルなどで購入したこと、
思い浮かべたのである・・。

音楽の録音品のレコード、カセットはCDに普及して平成を迎え、
録画のビデオ・テープは平成になってDVDに変貌し、昨今はブルー・ディスクを迎えいる。

こうしたことは実感度は薄いが、パソコンが普及し、インターネットの急激な浸透である。
1995(平成7年)の秋に『Windows 95』が発売され、それまでのパソコン愛好者、専門職を領域から、
大衆化したことである。
そして、これに連動して、インターネットが急激に普及した。

もうひとつの変貌は、携帯電話である。

映画のオリバー・ストーン『ウォール街』は1987(昭和62)年にアメリカで公開された作品であるが、
冷酷で貪欲な投資銀行家が浜辺で大きな携帯電話を持ち、会話しているシーンがある。
確か、この頃はラジカセのように大きな形の携帯電話であり、破格な高価な品であった。

平成になると、形も性能も向上、価格も廉くなり、昨今は日本で一億台突破となり、
殆どの日本人が愛用している。

私は20世紀の時代は、テレビと原子爆弾の世紀だった、といわれたりしているが、
こうしたことを流用すれば、
平成の時代は、ネットと携帯電話、と断言したくなる。


もうひとつの日常生活に於いて、水を買い求める時代である。
『缶』から『ペットボトル』に変貌しているが、私は日常の外出先とか旅先で、
自動販売機で煎茶のペットボトルを買い求めることが多いのである。
これも平成の時代の始まりの頃からと記憶している。


私は煙草の愛煙家のひとりであるが、日本に嫌煙ブームが始まったのも平成になってからである。
喫茶店でテーブルの上には、灰皿と喫茶店独自のマッチが置いてあったりした。
飛行機の機内でも水平飛行になれば、スーモキング・ランプが点(つ)いたり、
そしてJRの車内の座席の脇に灰皿が設置されたりして、ときおり煙草を喫う方が見られたりした。
私がギックリ腰が酷く入院生活を1991(平成3)年の頃は、
整形外科のフロアーの片隅に喫煙コーナーがあり、煙草を吸わない人でも憩いの場として、団欒していたのである。

昨今の社会状況は、諸兄姉はご存知であるから、省略する。


こうしたことを思いつくまま昭和の時代が終わり、平成の時代になってから大きく変貌したことを綴ってきたが、
私は何より社会が劣化し、言葉、しぐさが雑になった、と憂いている。

そして平成の時代に育ち、現在は10代、成人となられた世代の方たちに、
たとえば映画の小津安二郎・監督の『東京物語』(1953年=昭和28年)を観た時、
どのように反応するのかしら、と齢を重ねた65歳の私は限りなく関心がある・・。



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