夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

年金生活の我が家の今年、三大出来事を恥ずかしながら、披露すれば・・。

2015-12-03 13:19:44 | ささやかな古稀からの思い
昨夕の4時過ぎ、里帰りしていた家内が、疲れた表情で帰宅した。

やがて夕食を頂いている時、
『今年もいろいろとあったわねぇ・・』
と家内は私に微苦笑しながら言ったりした・・。

『そうだったよねぇ・・特に今年はねぇ・・』
と私は家内に応(こた)えたりした。

まもなく私は、今年の我が家のさまざまな出来事を思い馳せて、微苦笑を重ねたりした。
そして昨年まで丸11年ばかり年金生活を過ごしてきたが、今年は大きく変貌した出来事などを思い改めて、
三つぐらいあったよなぁ、と思ったりした。
          

①私たち夫婦は大病に遭遇せずに、12年目の年金生活を迎えられたことである。

私は民間会社に35年近く奮闘して2004年(平成16年)秋に定年退職となり、
多々の理由で年金生活を始めた・・。

私たち夫婦は東京の世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅の地域に住み、
住宅街が広がる中で、少しばかり広い雑木の多い小庭の中、築後37年ばかりの戸建てに住んでいる。

そして私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
家内は私より5歳若く、お互いの趣味を尊重し、
お互いに厚生年金とわずかな企業年金を頂き、程ほど貯金を取り崩しながら、ささやかに過ごしている。

そして私の生家も近くにあるので、私自身としてはこの地域に住んで、早や65年が過ぎている。
       
こうした中、 日常の殆どは私が年金生活の当初から、平素の買物を自主的に専任者となり、
独りで殆ど毎日のように家内から依頼された品を求めて、買物メール老ボーイとなっている。

そして最寄のスーパーに買物に行ったり、
或いは駅前までの片道徒歩20分ぐらいのスーパー、専門店に行ったりしているが、
根がケチなせいか利便性のよい路線バスに乗るのことなく、歩いて往還している。
          

こうした中で、過ぎし5年前の前の66歳の時に、健康診断で糖尿病と診断され、青色吐息となる中、
この後は、食事の改善とひたすら歩いて、やがて半年後には何とか克服してきた。

これ以来、糖尿病の再発防止もさることながら、何よりも怖いのは認知症であり、
もとより健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
自宅付近から3キロ範囲にある遊歩道、小公園などをひたすら歩くことが多くなっている。

私は歩きながら、うつろう情景に心を寄せ、
過ぎ去った日々に愛惜を深めたり、本日もこうした風景にめぐり逢えたことに感謝をしたり、
季節の移ろいを享受している。
          

こうした中で、私たち夫婦は人命に影響する大病に遭遇せずに、何とか12年目の年金生活を迎えられ感謝している。
私の同世代の友人、知人には、本人が病死されたり、或いは奥様が亡くされて、
やむなく『おひとりさま』の生活をされている御方が5人がいる。

こうしたこと深く思い重ねると、やはり寝食を共にし、この世で一番気軽るに談笑できる相手がいなくなることは、
亡き人に思いでは美化されていく・・などと格言があっても、信愛できる人が身近にいることは、貴重と改めて実感されている。

もとより仲良し夫婦であっても、こればかりは永遠に続くことなく、いつの日にか、
どちらかが先立ち、冷厳なことがあるからこそ、現世の今こそ、夫婦ふたりの生活を私は大切としている。
          

②ときおり私が『おひとりさま』の生活が増加している。

我が家の両親は、私の父は私が小学2年の時に病死され、母は私が54歳の時に病死し、
家内の父は私が定年退職時の2004年〈平成16年〉の秋の少し前に、病死されたので、
家内の母だけとなっている。

独り住まいとなった家内の母は、我が家より2時間は要する千葉県の八千代市に戸建てに住み続けて、
年金を頼りに程ほどの貯金を崩しながら、おひとりさまの生活ををされて、早や12年目となっている・・。

  
こうした中で、家内の母は自身の身の周りは出来ても、
大掃除、季節ごとの室内のカーテン、布団、暖冷房器具、衣服、庭の手入れなどは、おぼつかなくなり、
長女の家内は季節の変わるたびに、7泊8日前後で母宅に泊りがけで行っているのが、
ここ11年の恒例のようになっている。

そして家内は殆ど毎夜、家内の母の本日の出来事と安否状況を確認する為、
電話連絡をしている。
          

こうした上 家内の母は、80歳過ぎた頃から膝(ひざ)を悪化して、まもなく杖(つえ)を突く身となって、
『要支援2』となっている。

こうした中、整形外科、内科、眼科に通院している中、
過ぎし6月頃から膝(ひざ)と腰に激痛が感じ、
少し遠い大学病院で検査、そして入院、退院後の検査、治療が加わり、昨今はリハビリ設備が良い病院に転院したりしてきた。
そして家内は付き添う為に、家内の母宅で駐在することが多くなっている。

昨今は家内の妹も支援に加わって頂き、
以前のような7泊8日前後から短めの駐在期間を幾たびかなってきたが、
この間、私は我が家で『おひとりさま』の生活をしてきた・・。
          

私は家内より先に、あの世に行くことは漠然としながらも深めているが、
この世の中は、まさかの予期せぬ出来事に遭遇することがあり、
私を残して家内が先き立たつことも考えられるので、
『おひとりさま』の特別演習だ、と自身を叱咤激励して過ごしている。
        
しかしなが平素の私は、家事の全般の料理、掃除、洗濯などは、家内にお願いしていたので、
恥ずかしながら初心者の若葉マークのような身であり、戸惑いながら行っているが、
食事、掃除、洗濯の手抜き簡略などに関しては、
このサイトで幾たびか記載してきたので、今回は省略する。
          

③私が白内障で、11月17日に左眼の手術、そして24日は右眼の手術を受け、視力は鮮明となる。

私は眼の白内障の手術は生れて初めてであり、やはり眼の手術は小心者の私は怖く、
緊張感で最初の左眼の手術を受けたが、痛みもなく15分ばかりで終えて、
一週間後の右眼の手術は、気楽に受けることができたりした・・。

手術の前の私は、酷い近眼で裸眼0・03、メガネを掛けても0・7弱であった私は、
更にここ半年前の頃から、ときおり視界が擦(かす)れたような状景となり、
やむなく白内障の手術を受けた。

そして24日は右眼の手術を終えて3日後の診察で、視力は今回の多焦点眼内レンズの効力で、
左眼は1・0、右眼は0・6前後であり、メガネが不必要となっている。

やがて時が過ぎれば、眼を制御する幾重かの神経が安定すれば、
少しは均等の視力になると思われ、私の生家は曹洞宗なので、ひたすら仏様に感謝したり、
或いは神棚もあるので、神様にも感謝したりしている。

こうした中で、洗髪は当面として、美容院か理容店で、頭を上仰向けで行うことはできるが自分でしないこと、
と医院長の注意事項に基づき、私は生れて初めて美容室で洗髪し、昨日まで4回ばかり依頼し、
恥ずかしながら老ボーイの私でも、ある美容室のお得意様のひとりとなっている。

或いは保護メガネを掛け、洗面所で歯を磨いたり、入浴の時は首から下を洗い清めたり、温かい浴槽に身をゆだねたりし、
平素の買物、通院する時、少し黄色く視(み)えるいサングラスのような保護メガネを愛用している。

そして就眠時は眼をこすったり場合が怖いで、この保護メガネのテンプルを外して、
ヘッドバンドにして、私は布団の中にもぐりこんでいる。
                    

このようなことが、平年の年金生活から大幅に変貌し、私は戸惑いながら師走のひとときを迎えて、
あんなことあったよねぇ・・と微苦笑したりしている。

☆下記のマーク(バナー)、ポチッと押して下されば、無上の喜びです♪
にほんブログ村 シニア日記ブログへにほんブログ村
人気ブログランキングへ

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする