夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

お歳暮の時節、私に取っては36年に及び慈父のような御方だった人に、愛惜を秘めながら思い馳せて・・。

2015-12-12 14:58:37 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市に住む年金生活の71歳の身であるが、
過ぎし3週間ぐらい前の頃から、新聞の折込チラシで、ときおりデパートなどの『お歳暮』の広告が入っている。

今朝のひととき、ぼんやりと私は見たりすると、私の現役時代だったサラリーマンの時代には、
私はボーナスを頂いた週末には、ある御方のご自宅を訪問したことが、思いだされたりした・・。

私の現役時代は、お中元、お歳暮などの社交辞令は苦手であったので、なるべく避けていた。

しかしながら苦手な私でも、人生の岐路にたたされた時、或いは救いの手を差しのべて下さった方には感謝して、
年賀状を送信し、お中元、お歳暮の時は、ご自宅に訪問させて頂いた。

私の就職、結婚の時は、特にご尽力を頂いて、感謝している御方であった。
               

私が大学を中退し、アルバイトや契約社員などをして映画・文学青年の真似事しはじめたのは、
東京オリンピックが開催された1964(昭和39)年であった。

その後、あえなく敗退して、やむなくサラリーマンに転身する為に、
コンピュータの専門学校を一年ばかり学び、安定した大手の民間会社に中途入社を希望していた。

こうした中、私の生家の遠い親戚の資産家の御方から、
この当時は大手の映像・音響メーカーの首脳陣のひとりの御方を紹介して頂いた。

そして、この首脳陣の御方のご尽力もあり、
私はこの大手の映像・音響メーカーに中途入社できたのは、1970年(昭和45年)の春であった。

入社してまもなく音楽部門のひとつの大手レーベルが、レコード会社として独立し新設され、私も異籍させられ、
中小業であるレコード会社に35年近く勤めて、2004〈平成16〉年の秋に定年退職となった。
                         

この間、この首脳陣の御方のご自宅に、少なくともお中元、お歳暮のたびに訪問した時、
温かなまなざしで私に応対してくれた。
そして奥様もさりげなくつつみこんで下さり、このご夫婦から高潔さを私は教示されたりした。

その後、私が結婚する時に、ある格式ある式場を懇願して紹介して頂いたので、
ご夫妻に披露宴に参列して頂いたりし、私たち夫婦は何かとお世話になった。

このような形を25年過ぎれば、私も齢を重ねたが、
この御方、奥様からはお逢いし話すたびに、さりげない礼節、そして茶事、庭、絵画、音楽なども素養が格段違う、
と私たち夫婦は実感させられ、多々教示されたりした。

そして私はつたないなりに、大人の階段である礼節を学んだのは、
ひとえにこの御方、奥様からのさりげない言葉、しくざであった・・。

私の定年退職の時、私の日常生活ではとても口に出来ない美酒を頂戴した後、
まもなくこの御方は、ご高齢の94歳で、亡くなわれた・・。
               

そして告別式に私たち夫婦は参列した時、改めて高潔なお人であった、
と思いを深めたりした。

しかし、民間会社の大手の首脳まで栄達された御方であったから、
もとより怜悧な力量もあったと思われるが、
私たち夫婦はこの御方の限りなく優しいプライベートの面しか接してこなかったのも、事実でもある・・。

しかしながら私にとっては、小学2年の時に父に病死されたこともあり、
慈父のような人と秘かに36年ばかり思い続けた御方であり、私は感謝しながら敬愛した人であった。


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