私は東京の調布市に住む年金生活の老ボーイの71歳の身であるが、
午前中のひととき、白内障の伴い、11月17日に左眼、24日には右眼の手術を受けた私は、
手術の後の精密検査で、眼科医院に通院した。
いつもように幾つか精密検査を受診した後、手術して下さった医院長の問診で、
私の名前が呼ばれて、私は医院長がいる診察室に入った。
そして3種類の検診を受けた私は、
『順調ですょ・・本日より就眠時の保護メガネは不要です。
そして顔を洗っても、髪の毛を洗っても大丈夫ですから・・2週間後に来院して下さい』
と医院長は微笑みながら私に言ったりした。
『私は髪の毛を洗う時、浴室でシャンプーを付けて洗っていましたが、万一シャンプーが眼に入ったら、大丈夫ですか?』
と私は最も心配していることを医院長に言ったりした。
『顔を洗う時とか髪の毛を洗う時、両眼を開けて、わざわざ洗いませんよねぇ・・
万一シャンプーとか水が眼に入ったら、あとで3種類の『点眼薬』を付けて下さい。
そして一日4回の『点眼薬』は、本日より3回にして下さい』
と医院長は微笑みながら私に言ったりした。
私は医院長に御礼の言葉を重ねて退室した。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1c/26/9e0b458e26c1050ef45432a46630e502.jpg)
私は6年前に総合病院で健康診断を受診した後、白内障の症状が少しみられます、と診断されたりした。
翌年からの健康診断は、我が家から近い内科専門医院で受診してきたが、
眼科に関する検査はなく、いずれ眼科専門医院で検査すればよい、と私は放置してきた。
過ぎし半年前の頃から、朝のひととき小庭にあるテラスに降り立ち遠方を眺めると、
少し擦(かす)れた状景を見たりし、やがて数分後には鮮明な景観となったりしてきた。
或いは平素の買物専任老ボーイの私が、家内から依頼された品を求めて、
スーパーに向い前方の状景を眺めたりして歩いている時、
少し擦(かす)れた状景を見たりし、やがて数分後には鮮明な景観となったりしてきた。
こうした時、高齢者は白内障になる人も多い、と学んだりしてきたので、
私も白内障になってしまったかしら、と思ったりしてきた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/08/ac/f374a6ece43f99adf279d69c9306898f.jpg)
やがて今年の8月に、家内は私の身を案じて、最寄駅の近くにある眼科専門医院で、
私は検査を受けたりした・・。
私は酷(ひど)い近眼で0.03ぐらいの視力で、メガネを掛けて0.7の視力となっているが、
何かしら齢を重ねるたびに、視力の低下しているように感じてきた。
検査の結果、まぎれなく白内障です、と副医院長から、私たち夫婦は言われたりした。
そして私たちは白内障の手術に関して、副医院長から多々教示され、
家内の母の介護も配慮して、私は11月には白内障の手術を受けよう、
と私たち夫婦は話し合ったりした。
やがて9月29日に、手術を担当される医院長が診察日で、
私の眼の精密検査を受けて、白内障の手術は可能範囲です、と医院長から告げられた。
そして白内障の状況、当院の手術方法、手術前後の注意事項を、懇切丁寧に説明をして下さった。
こうした後、
この中で、眼内レンズについて『単焦点』と『多焦点』をパンフレットを提示しながら、
長所、短所、そして概算費用などを説明を受けた後、私は『多焦点』を要望した。
やがて手術の一週間前の11月10日には、
最終診察を受診した後、左眼の手術の時間確定が確定した。
そして私は左眼は11月17日、一週間後の24日に右眼の手術を受けた。
いずれも手術した翌日、三日目、そして一週間後には、手術後の精密検査を受けたりしてきた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/45/16/6a847fe651e748912ba5d5d16b1aaf41.jpg)
こうした中で、洗髪は当面として、美容院か理容店で、頭を上仰向けで行うことはできるが自分でしないこと、
と医院長の注意事項に基づき、私は生れて初めて美容室で洗髪し、昨日まで4回ばかり依頼し、
恥ずかしながら老ボーイの私でも、ある美容室のお得意様のひとりとなっている。
或いは保護メガネを掛け、洗面所で歯を磨いたり、入浴の時は首から下を洗い清めたり、温かい浴槽に身をゆだねたりし、
平素の買物、通院する時、少し黄色く視(み)えるいサングラスのような保護メガネを愛用している。
そして就眠時は眼をこすったり場合が怖いで、この保護メガネのテンプルを外して、
ヘッドバンドにして、私は布団の中にもぐりこんできた。
本日、通院して視力検査をしても、今回の多焦点眼内レンズの効力で、
左眼と右眼は0・8も視(み)え、メガネが不必要となっている。
私は長年酷い近眼で、メガネに苦渋してきたので、何かしら解放感のようになっている・・。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/10/e8/8152a5969f2c88e3588b83c4937303f7.jpg)
私は1960年(昭和35年)の中学3年の終りの頃、
職員室に担任の先生から呼ばれ、
『XXくん・・あなた眼・・悪いわね・・0.3って・・』
と先生は、健康診断書を見ながら、私に言ったりした・・。
『・・どうして・・今まで黙っていたの・・メガネを掛けないと・・
黒板の字も視(み)えないでしょう・・』
と先生は私に言った。
私は教室の後部に座って、黒板の字もかすれていたが、
同級生もこのようにと思い、信じていたのである。
このような根底としては、兄ふたり、妹ふたりもメガネをしていないので、
それなりに思い込んだりしていたのであった。
帰宅後、亡き父の妹であるこの当時は未婚だった叔母に、
『・・今日、先生から言われたのだけれど・・眼が悪いので・・
メガネを掛けなさい・・と言われたの・・』
と私は言った。
私の母はこの当時は少し遠方に住み、私たち兄妹の為に孤軍奮戦していたので、
未婚の叔母に私達の兄妹は、料理、洗濯、掃除などで、甘え、育ってきた時代のあった。
やがて私は、高校の入学から、私は生まれて初めて、メガネを掛けたのである。
そして生家の宅地の丘の外れから、遠望の丹沢の山並み、富士山を観た時、
くっきりとした景観が観え、行く先々の情景も余りにも明確に見えて、私は驚き、ため息をした・・。
確か中学に入学し、野球部の練習に明け暮れていた時だった。
私はレフト付近に3人で守備位置に付いて、外野フライのノックを受けていたのであるが、
何かしら私だけが、打球の判断がのろいのである。
私は運動神経が悪く、練習すれば、打球の飛んで来る判断も良くなると、
思っていたのであった。
やがて高校時代は、授業時間以外は、メガネを掛けるのが恥ずかしく、
通学バックに仕舞い込んでいた。
まもなく文学と歴史に興味を持った私は、文庫本などを読み耽り、
映画を観るために、盛んに映画館に通いつめたりした。
そして布団の中で、こっそりと好色本も読んだりしたせいか、
近眼の度数が悪化した・・。
私は東京オリンピックの頃、大学を中退し、アルバイトをしながら、映画・文学青年の真似事をしていた。
この頃は、近眼の度数も一番上の検査表がやっと見える0.1となり、
布団に入る時以外は、メガネを付けていた。
このようなある日、自動車の普通車免許があれば、
何かと便利、将来に食べられなくなった時は、タクシーの運転手になればよい、
と安易な思いで、自動車の教習所に通ったりした。
やがて教習所の教習課程を終え、試験所で本免許の受験する為に、
教習所のマイクロバスで私達受験生10名は、送って貰ったりした。
周知のように、普通免許の場合は、視力は0.7以上は必要であったが、
私はメガネを掛けた上でも、視力試験で落ちてしまった・・。
そして私だけが、とぼとぼと試験場から去ったりした。
後日、1.0が確実に視(み)得るメガネを新調したが、
レンズは厚くなり、それなりに私は気になったした。
この後、敗者復活戦のような思いで、試験場で合格し、
まもなく次兄や友人に助手席に座って貰い、指導を受けした後、
やがて私なりに一人前のドライバーとなった。
しかし心の奥底として、この先は一体どこまで近眼が進むのかと、恐怖に慄いたりした。
後年、作家の曽野綾子さんの随筆で、
盲目になりかけ、何とか手術で救われた、と読んだ時、私は深く共感できたりした。
私は25歳で、遅ればせながら民間会社に何とか中途入社し、
年収の割合から背伸びし、メガネだけは程々高価な品を買い続けた・・。
近眼が酷く、レンズも厚いので、なるべく厚さの目立たない加工したレンズ、
そして厚さをカバーするフレームを限定して、選定してきたりした。
こうして通勤用は0.7程度で、運転用には1.0前後の2つのメガネを所有していたが、
幸いに視力の低下は、20代の終りの頃、0.07程度で横ばいとなり、安堵したりした。
そして50代のなかば頃からは、少し老眼を感じたが、
20代の近眼進度の悪化した時の思いを考えれば、それなりに受け入れ微笑さえできたりした。
家内は結婚当初、視力は2.0と抜群に良かったが、
50代の初めに老眼となり、メガネに馴れていないので、落ち着かないようすが、しばしばである・・。
そして、ときおり老眼鏡を掛け、新聞、旅行雑誌などを読んだりしている。
この後、家内はどこかに置き忘れて探す時もあり、私は微笑みながら、共に探したしてきた。
このように私は酷い近眼であり、それなりに苦労し、メガネの選定に多少のこだわりの半生でもあった。
そして、新たなメガネのフレーム選定の時、数多くの国産、ローデンストックなどの海外品を愛用してきた。
私は年金生活の丸11年を過ぎた今、メガネは3つばかり、そして度入りのサングラスを、
その時、場所に応じて愛用してきた・・。
メガネが不要となった今、長年共にしてきたメガネは、私に取っては身体の一部であり、
そして愛(いと)おしむように、居間にある扉の付いたDVDなどが入っている映画棚の片隅に置いたりした。
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午前中のひととき、白内障の伴い、11月17日に左眼、24日には右眼の手術を受けた私は、
手術の後の精密検査で、眼科医院に通院した。
いつもように幾つか精密検査を受診した後、手術して下さった医院長の問診で、
私の名前が呼ばれて、私は医院長がいる診察室に入った。
そして3種類の検診を受けた私は、
『順調ですょ・・本日より就眠時の保護メガネは不要です。
そして顔を洗っても、髪の毛を洗っても大丈夫ですから・・2週間後に来院して下さい』
と医院長は微笑みながら私に言ったりした。
『私は髪の毛を洗う時、浴室でシャンプーを付けて洗っていましたが、万一シャンプーが眼に入ったら、大丈夫ですか?』
と私は最も心配していることを医院長に言ったりした。
『顔を洗う時とか髪の毛を洗う時、両眼を開けて、わざわざ洗いませんよねぇ・・
万一シャンプーとか水が眼に入ったら、あとで3種類の『点眼薬』を付けて下さい。
そして一日4回の『点眼薬』は、本日より3回にして下さい』
と医院長は微笑みながら私に言ったりした。
私は医院長に御礼の言葉を重ねて退室した。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1c/26/9e0b458e26c1050ef45432a46630e502.jpg)
私は6年前に総合病院で健康診断を受診した後、白内障の症状が少しみられます、と診断されたりした。
翌年からの健康診断は、我が家から近い内科専門医院で受診してきたが、
眼科に関する検査はなく、いずれ眼科専門医院で検査すればよい、と私は放置してきた。
過ぎし半年前の頃から、朝のひととき小庭にあるテラスに降り立ち遠方を眺めると、
少し擦(かす)れた状景を見たりし、やがて数分後には鮮明な景観となったりしてきた。
或いは平素の買物専任老ボーイの私が、家内から依頼された品を求めて、
スーパーに向い前方の状景を眺めたりして歩いている時、
少し擦(かす)れた状景を見たりし、やがて数分後には鮮明な景観となったりしてきた。
こうした時、高齢者は白内障になる人も多い、と学んだりしてきたので、
私も白内障になってしまったかしら、と思ったりしてきた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/08/ac/f374a6ece43f99adf279d69c9306898f.jpg)
やがて今年の8月に、家内は私の身を案じて、最寄駅の近くにある眼科専門医院で、
私は検査を受けたりした・・。
私は酷(ひど)い近眼で0.03ぐらいの視力で、メガネを掛けて0.7の視力となっているが、
何かしら齢を重ねるたびに、視力の低下しているように感じてきた。
検査の結果、まぎれなく白内障です、と副医院長から、私たち夫婦は言われたりした。
そして私たちは白内障の手術に関して、副医院長から多々教示され、
家内の母の介護も配慮して、私は11月には白内障の手術を受けよう、
と私たち夫婦は話し合ったりした。
やがて9月29日に、手術を担当される医院長が診察日で、
私の眼の精密検査を受けて、白内障の手術は可能範囲です、と医院長から告げられた。
そして白内障の状況、当院の手術方法、手術前後の注意事項を、懇切丁寧に説明をして下さった。
こうした後、
この中で、眼内レンズについて『単焦点』と『多焦点』をパンフレットを提示しながら、
長所、短所、そして概算費用などを説明を受けた後、私は『多焦点』を要望した。
やがて手術の一週間前の11月10日には、
最終診察を受診した後、左眼の手術の時間確定が確定した。
そして私は左眼は11月17日、一週間後の24日に右眼の手術を受けた。
いずれも手術した翌日、三日目、そして一週間後には、手術後の精密検査を受けたりしてきた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/45/16/6a847fe651e748912ba5d5d16b1aaf41.jpg)
こうした中で、洗髪は当面として、美容院か理容店で、頭を上仰向けで行うことはできるが自分でしないこと、
と医院長の注意事項に基づき、私は生れて初めて美容室で洗髪し、昨日まで4回ばかり依頼し、
恥ずかしながら老ボーイの私でも、ある美容室のお得意様のひとりとなっている。
或いは保護メガネを掛け、洗面所で歯を磨いたり、入浴の時は首から下を洗い清めたり、温かい浴槽に身をゆだねたりし、
平素の買物、通院する時、少し黄色く視(み)えるいサングラスのような保護メガネを愛用している。
そして就眠時は眼をこすったり場合が怖いで、この保護メガネのテンプルを外して、
ヘッドバンドにして、私は布団の中にもぐりこんできた。
本日、通院して視力検査をしても、今回の多焦点眼内レンズの効力で、
左眼と右眼は0・8も視(み)え、メガネが不必要となっている。
私は長年酷い近眼で、メガネに苦渋してきたので、何かしら解放感のようになっている・・。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/10/e8/8152a5969f2c88e3588b83c4937303f7.jpg)
私は1960年(昭和35年)の中学3年の終りの頃、
職員室に担任の先生から呼ばれ、
『XXくん・・あなた眼・・悪いわね・・0.3って・・』
と先生は、健康診断書を見ながら、私に言ったりした・・。
『・・どうして・・今まで黙っていたの・・メガネを掛けないと・・
黒板の字も視(み)えないでしょう・・』
と先生は私に言った。
私は教室の後部に座って、黒板の字もかすれていたが、
同級生もこのようにと思い、信じていたのである。
このような根底としては、兄ふたり、妹ふたりもメガネをしていないので、
それなりに思い込んだりしていたのであった。
帰宅後、亡き父の妹であるこの当時は未婚だった叔母に、
『・・今日、先生から言われたのだけれど・・眼が悪いので・・
メガネを掛けなさい・・と言われたの・・』
と私は言った。
私の母はこの当時は少し遠方に住み、私たち兄妹の為に孤軍奮戦していたので、
未婚の叔母に私達の兄妹は、料理、洗濯、掃除などで、甘え、育ってきた時代のあった。
やがて私は、高校の入学から、私は生まれて初めて、メガネを掛けたのである。
そして生家の宅地の丘の外れから、遠望の丹沢の山並み、富士山を観た時、
くっきりとした景観が観え、行く先々の情景も余りにも明確に見えて、私は驚き、ため息をした・・。
確か中学に入学し、野球部の練習に明け暮れていた時だった。
私はレフト付近に3人で守備位置に付いて、外野フライのノックを受けていたのであるが、
何かしら私だけが、打球の判断がのろいのである。
私は運動神経が悪く、練習すれば、打球の飛んで来る判断も良くなると、
思っていたのであった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/39/ac/eb43748a72769d13ff96ac33d08fa4d6.jpg)
やがて高校時代は、授業時間以外は、メガネを掛けるのが恥ずかしく、
通学バックに仕舞い込んでいた。
まもなく文学と歴史に興味を持った私は、文庫本などを読み耽り、
映画を観るために、盛んに映画館に通いつめたりした。
そして布団の中で、こっそりと好色本も読んだりしたせいか、
近眼の度数が悪化した・・。
私は東京オリンピックの頃、大学を中退し、アルバイトをしながら、映画・文学青年の真似事をしていた。
この頃は、近眼の度数も一番上の検査表がやっと見える0.1となり、
布団に入る時以外は、メガネを付けていた。
このようなある日、自動車の普通車免許があれば、
何かと便利、将来に食べられなくなった時は、タクシーの運転手になればよい、
と安易な思いで、自動車の教習所に通ったりした。
やがて教習所の教習課程を終え、試験所で本免許の受験する為に、
教習所のマイクロバスで私達受験生10名は、送って貰ったりした。
周知のように、普通免許の場合は、視力は0.7以上は必要であったが、
私はメガネを掛けた上でも、視力試験で落ちてしまった・・。
そして私だけが、とぼとぼと試験場から去ったりした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1a/ee/9606ee1ad2fbfcd43ad4d136f591d557.jpg)
後日、1.0が確実に視(み)得るメガネを新調したが、
レンズは厚くなり、それなりに私は気になったした。
この後、敗者復活戦のような思いで、試験場で合格し、
まもなく次兄や友人に助手席に座って貰い、指導を受けした後、
やがて私なりに一人前のドライバーとなった。
しかし心の奥底として、この先は一体どこまで近眼が進むのかと、恐怖に慄いたりした。
後年、作家の曽野綾子さんの随筆で、
盲目になりかけ、何とか手術で救われた、と読んだ時、私は深く共感できたりした。
私は25歳で、遅ればせながら民間会社に何とか中途入社し、
年収の割合から背伸びし、メガネだけは程々高価な品を買い続けた・・。
近眼が酷く、レンズも厚いので、なるべく厚さの目立たない加工したレンズ、
そして厚さをカバーするフレームを限定して、選定してきたりした。
こうして通勤用は0.7程度で、運転用には1.0前後の2つのメガネを所有していたが、
幸いに視力の低下は、20代の終りの頃、0.07程度で横ばいとなり、安堵したりした。
そして50代のなかば頃からは、少し老眼を感じたが、
20代の近眼進度の悪化した時の思いを考えれば、それなりに受け入れ微笑さえできたりした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/06/7c/423e4240599f49fc9d8bf9361b45bde8.jpg)
家内は結婚当初、視力は2.0と抜群に良かったが、
50代の初めに老眼となり、メガネに馴れていないので、落ち着かないようすが、しばしばである・・。
そして、ときおり老眼鏡を掛け、新聞、旅行雑誌などを読んだりしている。
この後、家内はどこかに置き忘れて探す時もあり、私は微笑みながら、共に探したしてきた。
このように私は酷い近眼であり、それなりに苦労し、メガネの選定に多少のこだわりの半生でもあった。
そして、新たなメガネのフレーム選定の時、数多くの国産、ローデンストックなどの海外品を愛用してきた。
私は年金生活の丸11年を過ぎた今、メガネは3つばかり、そして度入りのサングラスを、
その時、場所に応じて愛用してきた・・。
メガネが不要となった今、長年共にしてきたメガネは、私に取っては身体の一部であり、
そして愛(いと)おしむように、居間にある扉の付いたDVDなどが入っている映画棚の片隅に置いたりした。
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