夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

私たち夫婦の合言葉、何かと『コロナが終わったら・・』、互いに微苦笑して・・。

2021-03-02 11:29:52 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市の片隅みに住む年金生活の76歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭である。

そして 雑木の多い小庭の中で、築後40数年を過ぎた古ぼけた一軒屋に住み、
自動車もない稀(まれ)な家となっている。

私たち夫婦は、3年前までの年金生活14年間は、幸運にも大病に遭遇せずにきた・・。




しかしながら一昨年の2019年、予告もなく私は、
新年そうそうの1月3日の夜10時過ぎ、心臓の左胸が圧迫され、強く痛みを感じて、
やむなく救急車で循環器専門の『榊原記念病院』に搬送されたりした。

やがて『胸膜炎』(急性冠症候群)と病状とされ、 
しばらく経過観察したく・・ と担当医師から宣言され、
結果的に8泊9日の入院となったりした。


この時に、大学一年の夏季合宿にタバコを喫い始めて、
長年こよなく愛煙者だったが、これを機会にタバコにお別れとなったりした。

更に3月の初めの頃、私は突然に左眼だけが酷い白内障になったように視力が激変し、
結果的には4月2日より、眼科医院に6泊7日して左眼の 硝子体手術を受けたりした・・。

             


この間、私が3月は左眼の検査で忙しくしている時、 家内が体調を崩して内科を検診した後、
まもなく胃の後ろ側にある 長さ20センチ前後の左右に細長い臓器の膵臓(すいぞう)に
異変があることが推定された。

やがて私の住む地域の大きな総合医療センターで、 3回ばかり通院して、
専門医師のアドバイスされる中、初期の膵臓(すいぞう)がんです、と診断されたりした。

そして4月17日より2泊3日で、家内は検査入院した後、
5月12日より摘出する手術で入院をしたりした・・。

この後の経過状況、やがて回復状況も医師より順調と診断され、
19泊20日間を得て昨日に退院となり、我が家に生還してきた。


もとより、この間の私たち夫婦は、膵臓(すいぞう)がんは死別するケースが多いと学んできたので、
最悪の場合を想定することもあったりして、揺れ動いたりしたことは事実であった。

このように私は新年早々から、入院生活を2回も体験し、
家内は結婚以来、初めての入院生活を過ごすこととなり、
お互いに病院に通う日々が多くなり、微苦笑を重ねあったりした。




この後、家内は指定された抗がん剤などの薬を服用しながら、
指定の検査日に通院したりし、
家内は家内の母の介護は、やむなく家内の妹にすべて依頼し、
家内は身辺整理を始めたりした。

そして茶道具、和服などを家内の妹に贈呈したり、
我が家の終活を具体的に私たち夫婦は始めたりした・・。

やがて退院後の半年の検査で、転移がない、と医師から伝えられるまで、
私はもしかしたら家内はこの世を去ってしまう・・と心の片隅に思いながら、
心痛な思いで過ごしてきた・・。

もとより膵臓(すいぞう)がんは、死につながるケースが多いが、
第一段階の半年後の検査は、幸運にも転移がないと知り、安堵をしたりし、
いつの日にか転移して、手術か薬も効果なく、この世にお別れすることも、十二分に想定できる・・。

これ以降は私たち夫婦は、一日を大切に過ごそう、とお互いに言い交したりしている。             

ただ家内としては、私の兄妹には、当面として、病状に関して防ぎたく、
連絡もしていないので、こうした投稿文は、
私としては、ためらいながらなるべく記載しないできた・・。

そして私たち夫婦は、国内旅行が共通の趣味で、
お互いの入院で中断していたが、昨年の新年に於いて、
4月か11月に、沖縄に行けたら良いよねぇ・・、と談笑したりした。




しかしながら2月初旬より、新コロナウィルスの烈風に伴い、
世の中は一変してしまった・・。

私は、家内が転移しないように祈願したりし、
家事をすこしつづ習得しながら、
そして新コロナウィルスの烈風に戸惑いながら、過ごして今日に至っている。


新コロナウィルスの烈風の前には、
我が家の平素の買い物は、年金生活を始めた当初より私が担当してきた中、
3週間に一度ぐらい駅前などで、家内のボディガード兼お供そして荷物持ち買い物をしたり、ときおり外食をしてきた・・。

或いは年に3回ぐらい都心の新宿にある伊勢丹、小田急、京王などのデパートに買物をしたり、
国内旅行や、都心などで会社時代の懇親会、冠婚葬祭などをしてきた・・。

しかしながら、新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐために、
おひとりおひとりが、「相手と身体的距離を確保すること」、
「マスクの着用」、「 手洗いや咳エチケット」、
「三密(密集、密接、密閉)」を避けるといった、
国民のひとりとして、私たち夫婦は確かな責務、と実施したりしてきた。



こうした中で、私たち夫婦が駅前とかデパートに買い物、食事処の外食などは、

『コロナが終わったら・・』、互いに自制しながら、
微苦笑したりしてきた・・。

或いは都心などで会社時代の懇親会の中止は、
『コロナが終わったら・・』と幹事長からメールを頂き、
私は微苦笑をしたりしてきた・・。

今や私たち夫婦が共に外出する時は、家内の病院の指定検査日に、
私はボディガート兼お供で同行し、
やがて帰路に最寄駅の駅ビルで素早く買い物をして帰宅する程度となっている。

まして幾たびも成功体験をしてきた沖縄の旅路も、
ときおり『コロナが終わったら・・』と互いに言ったりして、微苦笑している。
コメント (4)
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