私は東京の調布市の住んでいる年金生活の76歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、たった2人だけ家庭であり、
雑木の多い小庭の中で、古ぼけた戸建てに住み、 ささやかに過ごしている。

私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、たった2人だけ家庭であり、
雑木の多い小庭の中で、古ぼけた戸建てに住み、 ささやかに過ごしている。

今朝、屋根に雨が舞い降る雨脚の音で、目覚めて、ぼんやりとしていた。
やがて洗面して、着替え終わった後、玄関の軒下で、
本降りの雨を眺めたりした・・。
そして寒さを感じることなく、暖かいような雨だったので、
四月のような雨・・と思ったりして、久々の本降りに、
微笑んだりした・・。
この後、居間に戻り、天気情報を視ると、
朝の6時は10度、昼下がりは12度、夕方の6時は13度、
激しく降る雨は午前中で、この後は小雨となり、夕方より曇りとなります、
と明示されたりした。
私は午前中のひとときは、
殆ど毎日のように小公園、遊歩道、住宅街の小道などを歩き、
季節の移ろいを享受しているが、本降りの雨に伴い、外出は取りやめたりした。
やがて朝食後、ぼんやりと自身が投稿文してきた文を読み返して、
この中のひとりに、微笑みを重ねたりした・・。
殆ど毎日のように小公園、遊歩道、住宅街の小道などを歩き、
季節の移ろいを享受しているが、本降りの雨に伴い、外出は取りやめたりした。
やがて朝食後、ぼんやりと自身が投稿文してきた文を読み返して、
この中のひとりに、微笑みを重ねたりした・・。
この投稿文は、『 東京の郊外は、里花は咲き、雑木は木の芽時(このめどき)を迎えて・・。』、
と題して、2013年3月18日に投稿していた。
今回、映画のリバイバル上映のように、再公開する。
と題して、2013年3月18日に投稿していた。
今回、映画のリバイバル上映のように、再公開する。

私は東京郊外の調布市に住む年金生活の68歳の身であるが、
日常は定年後から自主的に平素の買物担当となり、
毎日のようにスーパー、専門店に行ったりし、ときおり本屋に寄ったりしている。
その後は、自宅の周辺にある遊歩道、小公園などを散策して、季節のうつろいを享受している。
私の住む地域は世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅みであるので、
平年ならば桜か咲く時期は、4月の上旬となっている。
ここ3日ばかり近く散策をすれば、近くの小公園に於いては、
モミジ、コナラ、クヌギ、欅(ケヤキ)などの雑木の芽吹きはじめ、
私は齢を重ねたせいか限りなく愛惜を深めて、見惚(みと)れたりしている。

そして遊歩道を歩けば、辛夷(コブシ)の白い花、華やぐ桃の花、純白の白木蓮(ハクモクレン)、雪柳(ユキヤナギ)の白い花、
馬酔木(アセビ)は垂れた穂に五個前後の可愛らしい白い花をつけたり、
或いはサンシュウの黄色の小花が咲いている。
或いはサンシュウの黄色の小花が咲いている。
桜並木を歩けば、開花する前の大きな莟(つぼみ)となっているので、
まもなく桜が咲けば、こうした数多く花の彩(いろど)りも、桜に主役の座は奪われてしまうが、
私は心を寄せる里花である。

こうした中で路のはずれに咲く小花も、私は幼年期に農家の児として育ったので、
足をとめて見たりするときもある。
自宅に帰れば、紅濃色、或いは紅色の満開となっている藪椿(ヤブ・ツバキ)を眺めたりする。
我が家の一面がマンションに隣接し、冬の時期は半日ぐらい陽が当たらない状態となり、
こうした我が家の小庭で寒い処に藪椿(ヤブ・ツバキ)を植えてしまったので、
周辺の地域より遅く咲いている・・。

私は現役時代のサラリーマン時代は、何かと裏方の情報畑、管理畑が多かったので、
私の同じようだったと感じ、何かしら愛(いと)おしさが増して、見たりしていることが多い。
或いは陽を当る恵まれた所には、白玉椿(シラタマ・ツバキ)と思われる純白色の花が、
この時節に咲いている。

一年の中で、たった二週間ばかり咲き終わり、これ以外は休眠の状態なので、
花もちのはかない椿なので、やはり愛(いと)おし感じている。
そして紫木蓮(シ・モクレン)が大きな莟(つぼみ)なり開花の前の情景となっている。

こうした中で、常緑樹の金木犀(キンモクセイ)、
塀代わりに植えているあかね糯(アカネ・モチ)が新芽が伸ばしたりしている。

そして、 蕗(フキ)を片隅に群生させているが、10センチぐらい育ち春の息吹きを感じたりしている。
このように私は梅の花が散り終え後、
桜の咲く前のこの時節の情景のひとつで、ここ8年ばかり年金生活の中、
季節のうつろいに圧倒的に魅せられて過ごしている。

こうした68歳の当時の今頃の投稿文を読み返して、
今の私は76歳の身あり、改めて8年前は、元気溌剌で、
心身あふれていた・・と感じ独り微笑したりした・・。
やはり後期高齢者を入門すると、75年間、身体も脳も私なりに使ってきたので、
金属疲労のように、少しくたびれを実感させられる時があり、
このように感じるのかしら、と思い改めたりしている。
心身あふれていた・・と感じ独り微笑したりした・・。
やはり後期高齢者を入門すると、75年間、身体も脳も私なりに使ってきたので、
金属疲労のように、少しくたびれを実感させられる時があり、
このように感じるのかしら、と思い改めたりしている。