夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

春和景明の中、健康寿命、やがて逝去も余りにも格差がある、改めて思い馳せて・・。

2023-03-22 07:27:43 | 喜寿の頃からの思い
私は東京の調布市に住む年金生活の78歳の身であるが、
私より5歳若い家内と共に、雑木の多い小庭の中で、古ぼけた戸建てに住んでいる。
 
こうした中、私たち夫婦は、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。

私は年金生活の当初から、平素の買物を自主的に専任者となり、
独りで殆ど毎日のように家内から依頼された品を求めて、
最寄のスーパーに買物に行ったりしている。

この後、独りで自宅から数キロ以内の遊歩道、小公園などを歩き廻ったりして、
季節の移ろいを享受している。


            

こうした中で、私は幼年期に農家の児として育った為か、
数多くの落葉樹の欅(ケヤキ)、クヌギ、コナラ、モミジなど雑木は、
木の芽時(このめどき)の時節を迎え、膨らんだ莟(つぼみ)、
幼いあまたの葉を広げて、萌黄(もえぎ)色に染められる初春、

こうした季節のうつろいを眺めるのが、この世で最も好きな情景のひとつとなっている。
            

       
或いは純白の白梅、華やかな紅梅に長らく見惚れたりし、
やがて全国の女の子を祝賀するような桃の花を見たり、
そして河津桜、大島桜などの早咲きの桜花にめぐり逢え、

春到来かしら、と私は微笑んだりしてきた・・。
            

過ぎし14日、私の住む地域でも染井吉野(ソメイヨシノ)の桜が咲き始め、
やがて山桜(ヤマザクラ)、最後に八重桜(ヤエザクラ)が咲く時節となる。

このような春和景明の中、私は一昨日も散策して、のどかなひとときを享受したりした。

木のベンチに腰を下ろして長らく桜花を眺めたりしていると、
私はある民間会社に奮戦している50代の時、同僚が病死されたり、
そして知人は定年前の59歳で病死し、残されたご家族の心痛な思いが、
痛いほど理解させられたりしてきた・・。

            


やがて私は2004年(平成16年)の秋に定年退職し、

多々の理由で年金生活を始め、そして62歳の時、現役時代の一時時期に交遊した友も、
無念ながら病死したりした。

       
まもなく、知人のひとりの奥様が病死されて、
この知人は『おひとりさま』となり、私たちの多くは哀悼をしながらも、
動顛してしまった・・。


こうした根底には、私たち世代の周囲の男性の多くは、60代で妻が夫より先に亡くなることは、
考えたこともなく、こうしたことがあるんだぁ、とこの人生の怜悧な遭遇に深く学んだりした。
            
                                 

やがて私は高齢者入門の65歳を過ぎてから、

心身ともに自立し健康的に生活できる期間の健康寿命は、
男性の平均としては71歳であり、平均寿命は男性の場合は80歳と知った時、
恥ずかしながらうろたえたりした・・。

そして70代となれば、多くの人は体力の衰えを実感して、
75歳まではこれまでどおりの自立した生活ができるが、

80歳が見えてくる頃には、介護を必要とするようになり、
やがて80代後半では何らかの介護付き施設に入居する可能性が高くなる、
と専門家の人から数多く発言されている。

            
ここ数年は会社時代の少し先輩、或いは後輩の68歳が、
いずれも大病で入退院を繰り返した後、この世を去ったり、

ご近所の私と同世代の知人が、突然に脳梗塞で死去されて、
数か月の先は誰しも解らない、冷厳なこの世の実態に、
私は震撼させられたりしてきた・・。
            



過ぎし2019年の4月、家内は初期の膵臓がんに遭遇して、
 家内は2泊3日で検査入院した後、
5月12日より摘出する手術で入院をして、この後の経過状況、
やがて回復状況も医師より順調と診断され、19泊20日間を得て退院となり、
我が家に生還してきた。


もとより、この間の私たち夫婦は、最悪の場合を想定することもあったりして、
震撼しながら揺れ動いたりした・・。

そして転移などで死去する確率も高く、家内は身の回りを整理し、
やがて私たち夫婦は、再入院、葬儀、お墓、ひとり住まいなどを、
人生の晩年期の終活を話し合ったりした。

やがて4年近く
定例の精密検査を幾たびもしてきたが、
不安の中てでも、幸運にも転移がなく、今日を迎えている・・。

私たち夫婦はこうした体験をしてきた為か、
健康寿命、やがて逝去も余りにも格差がある、と思い馳せたりした。


私の父は、私が小学2年の時に、肝臓が悪化して、やがて42歳の若さで肝臓ガンで死去した。

そして母は、私が54歳の時に病死したが、数年前から入退院を繰り返して、

婦人系のガンで喜寿(きじゅ)と称される77歳を迎えて、まもなく亡くなった。

家内の父は、私が定年退職する直前に病死されたが、やはり4年前から入退院を繰り返して、
腎臓ガンで77歳で死去した。

家内の母は独り住まいとなり、11年前の80歳前後に膝(ひざ)と腰を悪化して、
やがて要介護3となり、やむなく介護施設にお世話になっている。

私の父の兄弟は、父、妹4人、弟であったが、
弟は二十歳を過ぎてまもなく病死し、父も42歳で病死したが、
妹ふたりは90代で亡くなり、下の姉妹は91歳、87歳で健在である。

このように父の兄弟は、男性は若くして死去し、女性は長寿となっているので、
過ぎし日に私は長兄に向かって、
『兄貴さぁ・・お父さんの代は男は短命だったが、
せめて兄貴と俺は、しばらく元気で過ごせれば・・』
と私は微苦笑しながら長兄に言ったりした。

しかしながら、この世はまさか出来事に遭遇することもある。
            


つたない人生航路を歩んできた私は、ささやかな死生観を秘めている。

過ぎし2010年8月下旬の頃に、私は医学博士で病院長の帯津良一さんに、紙上でめぐり逢えた。
新聞の出版広告で偶然に読み、この雑誌が女性月刊誌の『婦人公論』と知り、
私は恥ずかしながら買い求めて、精読したりした。

《・・(略)・・私の理想は、「達者でポックリ」逝くことです。
死ぬ直前まで自分の足で歩き、自分の口で食べ、自分の頭で考えることができる。
「寝たきり」とは180度対照的な死に方が、「達者でポックリ」だと言えるでしょう。
・・
人生は生老病死ーーつまり死も含めて、丸ごと自分の人生なのだから、
「死に時」も「死に方」も自分らしくありたいという考えが基本です。
                       


「いたずらに死を恐れるあまり不要に長生きしても意味がない」と考えるようになったのは、
このホリスティック医学の考え方に共鳴し、
その理念に基づいて自らの病院を設立した40半ば以降です。
・・
私もブラッと飲みに行けなくなったら、そろそろ「死に時」ですかねぇ(笑)。
理想は、下町の小料理店に出向き、さぁ、今日は何をツマミに飲もうかなとワクワクして暖簾をくぐっているときに、
心筋梗塞でバタッと倒れるなんていうのがいいですね。

年齢に関していえば、80歳くらいまで生きれば十分ではないですか。
もちろん、肉体面でも精神面でも人それぞれ個人差がありますから一概には言えません。

しかし、自力で自由に動けるのは、せいぜい80代まででしょう。
90代になると、何かしら衰え、欠けてくる。
いくら頭がしっかりとしている人でも、足腰が立たなくなったり、その逆のケースも起こります。

ましてや100歳なんて、どんな人でもポンコツになっているはずですよ(笑)。
おめでたいと言うけれど、100歳以上は、やはり「生き過ぎ」だと私は思います。

これとこれができなくなったら、自分はそろそろ「死に時」かもしれない。
その線引きは人それぞれですし、それがわかれば、
「生きているうちにこれだけはやり遂げておこう」という人生のテーマも見えてくる。

つまり、自分にとってベストな「死に時」を考えことは、
今、生きているこの時間を最大限に充実させて生きていくことにもつながるのである。(略)・・》
                      


このような深く学び、今後の確かな晩年期の導きの御人にめぐり逢えた、と深く感じて、
これ以降、帯津良一さんの言動に注視して、信愛を重ねている。


私は70代入門した当時は、心身共に自立し健康的に生活できる健康寿命を意識して、
確かな『生きがい』と『健康』、そして『気力』を持続できるように、
ときおり願いながら歩いたりしてきた。

       
こうした中で、私は母の遺伝を素直に受けたらしく男の癖に、おしゃべりが好きで、
何かと家内と談笑したり、ご近所の奥様、ご主人など明るく微笑みながら談笑したりしている。

或いは、好奇心をなくしたらこの世は終わりだ、と信条している私は、
体力の衰えを感じている私でも、その時に応じて溌剌とふるまったりしている。

もとより健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
独りで自宅から数キロ以内の遊歩道、小公園などを歩き廻ったりして、
季節の移ろいを享受している。
                   


こうした中、天上の神々か仏(ほとけ)様の采配か解らないが、
生かしてもらっている、と思いが強く、

亡くなわれた御方のしぐさ、表情が走馬灯の思い浮かび、
過ぎし日々に愛惜を重ねたりしている。

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