夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

桜花、どなたでもお住まいの地域の桜花こそが、より美しく感じる、私は微笑み・・。

2023-03-27 08:49:15 | 喜寿の頃からの思い

私は東京の調布市に住む年金生活の78歳の身であるが、
ここ一週間、各地で桜が開花、七分咲き、或いは満開とテレビのニュースで報じられて、
微笑んだりしている・・。

東京の都心の多くは、染井吉野(ソメイヨシノ)の桜が3月14日に開花宣言をされた後、
5月のような陽気となったりして、満開となった中、各地に花見が盛大に行われた、
と私はテレビのニュースで知ったりした。

こうした中、私も自宅付近を散策して、春到来の情景を撮った・・。





やがて一昨日の25日、昨日の26日は、2月下旬のような寒さの中、小雨が降ったりした。

そして私は、せっかくの土曜、日曜日に、
花見を楽しみにされた働いて下さる諸兄諸姉の御家族・・、
お気の毒だよなぁ・・と天上の気候の神々の采配に戸惑ったりした。


私の住む地域は、桜花の時節は染井吉野(ソメイヨシノ)が開花した後、その後に山桜(ヤマザクラ)、
やがて4月下旬に八重桜(ヤエザクラ)が散り始めるのが、毎年の習性となったりしている。

こうした思いを馳せていると、過ぎし年に日本の各地の桜花が、
脳裏から舞い降りてきた・・。



私たち夫婦は国内旅行も共通趣味のひとつで、日本の各地の桜を観たりしてきた。

この中のひとつとして、南東北地方の桜の名所をバスでめぐる観光団体ツアーに、
私たち夫婦は参加した。

私のノートに記載されたメモを見ると、
2005年(平成17)年4月18日から1泊2日の短かき旅路であった。


樹齢1000年以上で日本一の紅枝垂桜(べにしだれざくら)と知られている『三春』の滝桜、

蔵王連峰を背に7キロ前後に1000本の咲く『白石』の一目千本桜、

最上川の置賜地域のさくら回廊として名高い『最上川』千本桜、

樹齢1200年でエドヒガンザクラと有名な『長井』の久保桜、

1000本前後の桜が咲き誇る会津の名所の『鶴ヶ城公園』、

1200本の桜が咲く福島の名所である『開成山公園』、

このような6ヶ所の桜めぐり旅であった。

私は旅行をした後には、その時に感じたことを記載する旅ノートがあり、
この旅路には下記のように記していた。


私達夫婦は東北地方の南部地方に、桜の季節を訪ねるのは初めてであったので、
未知の世界でもあった。
    
郡山の近郊にある《三春の滝桜》は、一分咲きだった。

紅枝垂桜(べにしだれざくら)で樹齢千年以上いわれる大木で、
枝は支柱で支えら、里の中の斜面に忽然とあった。

見事な大木であったが、支柱に支えられるのを視ると、
何かしら痛ましいような感情をよぎった・・。


この桜の周辺は、樹齢50年以上の桜が30数本あり、やはり一分咲きであったが、
清々しく、東北の遅い春を現(あらわ)していた。
肌寒かったが、観光客で賑わっていた。

その後、白石市のはずれにある白石川の川堤で、数多くの染井吉野が七分咲きを見せていた。
観光客は少なく、市民の人たちで賑わっていた。

この川べりに7キロ近くわたって千本の白っぽくたわわな桜並木が続いている、
と市民の方から教えて頂く。
こうした情景を観ると、地元にお住まいの市民の方たちの春の訪れを楽しまれているのに、
素朴な喜びを頂いた・・。

この地を後にして、宿泊先の蔵王温泉より高台にあるホテルに行くため、
スカイケーブルを乗り継いだ後、根雪が2メートル以上残っているので、雪上車に乗った。

落葉したブナ林の中に、ホテルがあり、その周辺にドッコ沼があった。
浴室から、ブナの樹木を通し、ドッコ沼が見え、根雪が沼に押し寄せていた。
雪解けのひとつの情景である。
   
早朝、部屋からドッコ沼を眺めた・・。
弱い朝陽がブナの樹木を照らし、樹元の根雪は幾分薄く、少し離れた根雪は相変わらず厚く、
沼岸に押し寄せている。

沼の水面は、陽差しを受けて早春の漂いを見せていた・・。

ホテルをチェックアウト後、
スカイケーブルで下山する途中、蔵王温泉の街並みが快晴の陽だまりの中、浮いているようだった。

バスの車窓からは、山形盆地の街並みが一望でき、ここからの景観は何回見ても飽きない光景である。

盆地特有の山並みから緩やかな斜線の中での雑木林が観られ、
その山里には、切り開かれた畑があり、点在した人家が見られた。
盆地の底は、人家の多い街並みがあった。

最上川に面した白鷹町の付近にある河川岸にある千本桜は、固いの蕾であった・・。
川の流れは急速で、ゆたかな清冷な流れでを見せてくれた。
やはりこの地は、東京の郊外より、暦(こよみ)を一ヶ月もどしたような遠方な地であった。

長井市にある久保桜を観に行くため下車し、歩き始めた時、田畑の道あぜの付近には、
土筆(つくし)、蓬(よもぎ)が見られた。
素朴な情景であったが、この後の江戸彼岸桜はどうでも良い、と思えた。

里の春の訪れを確かに受容できたので、私は満足し、心が豊かになったことを自覚した。

久保桜は、一分咲きで樹齢千二百年の風格があったが、
先ほど見た土筆、蓬の方に、私は魅了された。

観光客は多く、地元の方が、この地で採れた蒟蒻(こんにゃく)を串刺しで、
烏賊(イカ)で味付けをしたのが、
家内はイカ味を工夫してあって美味しい、と言った。

私は地酒の試飲をした後、純米酒は美味しくなく、やむなく原酒を買い求めた。

会津若松の鶴ヶ城公園の桜も、一分咲きであった。

その後、郡山の開成山公園に行き、満開の桜に出会ったのである。

桜はもとより、白木蓮、日陰の付近に辛夷(こぶし)咲き誇っており、
周辺一帯を白い花で染められていた・・。

旅の終わりに、たわわに咲く満開の桜の樹の下で、家内と言葉を交わした。

『色々と観て廻ってきたが・・
ここで春一色とは・・予想もしなかったょ・・』
と私は家内に言葉をかけた。


このようなことを拙(つたな)いメモ書きで綴っていた。

私は読み返したりして、やはりお住まいの地域で桜花を愛(め)でるのが最良、

と確信を深めたりした。



もとよりその地にお住まいの方が、寒い長きの冬の時節を過ごされて、
梅の咲く時節には春がまもなく到来すると感じ、やがて桃の花を眺めて、
そして桜の花が咲き、春爛漫の時節を家族、知人ともに悦ぶ合う季節である。



このようなことを感じたら、私の場合は近くに流れる野川の桜並木、               
そして上流に向かい45分ばかり歩いた先の私が通学した中学校の近くの都立・神代植物園、
私は調布市の片隅に結婚前後の5年を除き、73年ばかり住んでいるので、
過ぎ去る日々の時代の愛惜感も重ねながら、地元の桜が圧倒的に愛(いと)おしいのである。

このようなことをぼんやりと思ったりしたが、
どなたでもお住まいの地域の桜花こそが、どの桜より美しく感じる、

と私は気付き、微笑んだりしている。

コメント
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