私は東京の調布市に住む年金生活の78歳の身であるが、
ここ一週間、各地で桜が開花、七分咲き、或いは満開とテレビのニュースで報じられて、
微笑んだりしている・・。
東京の都心の多くは、染井吉野(ソメイヨシノ)の桜が3月14日に開花宣言をされた後、
5月のような陽気となったりして、満開となった中、各地に花見が盛大に行われた、
と私はテレビのニュースで知ったりした。
こうした中、私も自宅付近を散策して、春到来の情景を撮った・・。
やがて一昨日の25日、昨日の26日は、2月下旬のような寒さの中、小雨が降ったりした。
そして私は、せっかくの土曜、日曜日に、
花見を楽しみにされた働いて下さる諸兄諸姉の御家族・・、
お気の毒だよなぁ・・と天上の気候の神々の采配に戸惑ったりした。
私の住む地域は、桜花の時節は染井吉野(ソメイヨシノ)が開花した後、その後に山桜(ヤマザクラ)、
やがて4月下旬に八重桜(ヤエザクラ)が散り始めるのが、毎年の習性となったりしている。
こうした思いを馳せていると、過ぎし年に日本の各地の桜花が、
脳裏から舞い降りてきた・・。
私たち夫婦は国内旅行も共通趣味のひとつで、日本の各地の桜を観たりしてきた。
この中のひとつとして、南東北地方の桜の名所をバスでめぐる観光団体ツアーに、
私たち夫婦は参加した。
私のノートに記載されたメモを見ると、
2005年(平成17)年4月18日から1泊2日の短かき旅路であった。
樹齢1000年以上で日本一の紅枝垂桜(べにしだれざくら)と知られている『三春』の滝桜、
蔵王連峰を背に7キロ前後に1000本の咲く『白石』の一目千本桜、
最上川の置賜地域のさくら回廊として名高い『最上川』千本桜、
樹齢1200年でエドヒガンザクラと有名な『長井』の久保桜、
1000本前後の桜が咲き誇る会津の名所の『鶴ヶ城公園』、
1200本の桜が咲く福島の名所である『開成山公園』、
このような6ヶ所の桜めぐり旅であった。
私は旅行をした後には、その時に感じたことを記載する旅ノートがあり、
この旅路には下記のように記していた。
私達夫婦は東北地方の南部地方に、桜の季節を訪ねるのは初めてであったので、
未知の世界でもあった。
郡山の近郊にある《三春の滝桜》は、一分咲きだった。
紅枝垂桜(べにしだれざくら)で樹齢千年以上いわれる大木で、
枝は支柱で支えら、里の中の斜面に忽然とあった。
見事な大木であったが、支柱に支えられるのを視ると、
何かしら痛ましいような感情をよぎった・・。
この桜の周辺は、樹齢50年以上の桜が30数本あり、やはり一分咲きであったが、
清々しく、東北の遅い春を現(あらわ)していた。
肌寒かったが、観光客で賑わっていた。
その後、白石市のはずれにある白石川の川堤で、数多くの染井吉野が七分咲きを見せていた。
観光客は少なく、市民の人たちで賑わっていた。
この川べりに7キロ近くわたって千本の白っぽくたわわな桜並木が続いている、
と市民の方から教えて頂く。
こうした情景を観ると、地元にお住まいの市民の方たちの春の訪れを楽しまれているのに、
素朴な喜びを頂いた・・。
この地を後にして、宿泊先の蔵王温泉より高台にあるホテルに行くため、
スカイケーブルを乗り継いだ後、根雪が2メートル以上残っているので、雪上車に乗った。
落葉したブナ林の中に、ホテルがあり、その周辺にドッコ沼があった。
浴室から、ブナの樹木を通し、ドッコ沼が見え、根雪が沼に押し寄せていた。
雪解けのひとつの情景である。
早朝、部屋からドッコ沼を眺めた・・。
弱い朝陽がブナの樹木を照らし、樹元の根雪は幾分薄く、少し離れた根雪は相変わらず厚く、
沼岸に押し寄せている。
沼の水面は、陽差しを受けて早春の漂いを見せていた・・。
ホテルをチェックアウト後、
スカイケーブルで下山する途中、蔵王温泉の街並みが快晴の陽だまりの中、浮いているようだった。
バスの車窓からは、山形盆地の街並みが一望でき、ここからの景観は何回見ても飽きない光景である。
盆地特有の山並みから緩やかな斜線の中での雑木林が観られ、
その山里には、切り開かれた畑があり、点在した人家が見られた。
盆地の底は、人家の多い街並みがあった。
最上川に面した白鷹町の付近にある河川岸にある千本桜は、固いの蕾であった・・。
川の流れは急速で、ゆたかな清冷な流れでを見せてくれた。
やはりこの地は、東京の郊外より、暦(こよみ)を一ヶ月もどしたような遠方な地であった。
長井市にある久保桜を観に行くため下車し、歩き始めた時、田畑の道あぜの付近には、
土筆(つくし)、蓬(よもぎ)が見られた。
素朴な情景であったが、この後の江戸彼岸桜はどうでも良い、と思えた。
里の春の訪れを確かに受容できたので、私は満足し、心が豊かになったことを自覚した。
久保桜は、一分咲きで樹齢千二百年の風格があったが、
先ほど見た土筆、蓬の方に、私は魅了された。
観光客は多く、地元の方が、この地で採れた蒟蒻(こんにゃく)を串刺しで、
烏賊(イカ)で味付けをしたのが、
家内はイカ味を工夫してあって美味しい、と言った。
私は地酒の試飲をした後、純米酒は美味しくなく、やむなく原酒を買い求めた。
会津若松の鶴ヶ城公園の桜も、一分咲きであった。
その後、郡山の開成山公園に行き、満開の桜に出会ったのである。
桜はもとより、白木蓮、日陰の付近に辛夷(こぶし)咲き誇っており、
周辺一帯を白い花で染められていた・・。
旅の終わりに、たわわに咲く満開の桜の樹の下で、家内と言葉を交わした。
『色々と観て廻ってきたが・・
ここで春一色とは・・予想もしなかったょ・・』
と私は家内に言葉をかけた。
このようなことを拙(つたな)いメモ書きで綴っていた。
私は読み返したりして、やはりお住まいの地域で桜花を愛(め)でるのが最良、
と確信を深めたりした。
もとよりその地にお住まいの方が、寒い長きの冬の時節を過ごされて、
梅の咲く時節には春がまもなく到来すると感じ、やがて桃の花を眺めて、
そして桜の花が咲き、春爛漫の時節を家族、知人ともに悦ぶ合う季節である。
このようなことを感じたら、私の場合は近くに流れる野川の桜並木、
そして上流に向かい45分ばかり歩いた先の私が通学した中学校の近くの都立・神代植物園、
私は調布市の片隅に結婚前後の5年を除き、73年ばかり住んでいるので、
過ぎ去る日々の時代の愛惜感も重ねながら、地元の桜が圧倒的に愛(いと)おしいのである。
このようなことをぼんやりと思ったりしたが、
どなたでもお住まいの地域の桜花こそが、どの桜より美しく感じる、
と私は気付き、微笑んだりしている。