夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

ブログの世界でも、出逢い、別れがあると、改めて実感させられて・・。

2023-03-23 08:38:55 | 喜寿の頃からの思い

私は東京の調布市に住む年金生活の78歳の身であるが、
この3
月、園児の卒園式、中学、高校生の卒業式、或いは社会人の入社式などのニュースを見たりし、
思いで深い人と別れて、新たな旅たちをされる人たちから、感動させられることが多かった・・。

私も民間会社に35年近く勤め2004年(平成16年)の秋に定年退職を迎えたが、
この間は人事異動などで、もとより数多く人とめぐり逢う中で、
上司、同僚、後輩など盛んに交流を重ねたりしてきた。

やがて私は、定年後は多々の理由で年金生活を始めて、
次第に疎遠になり、年賀状だけを交わすだけが大半となっている。

或いは一部の人たちと、年に一度ぐらい居酒屋で会ったり、
会社のOB懇親会がある時は、必ず出席して、懐かしき人と談笑を繰り返してきた。

古来より誰しもが長き人生を過ごす中、人との出逢い、別れがあると学んできたが、
改めて年金生活を過ごす中、実感を深めて、愛惜を重ねてきた・・。



こうした中で、過ぎし年金生活を始めた当時、ネットの世界は私は殆ど無知な癖に、
この当時にIBMなどからホームページ作成素材のソフトを買い求めて、
漠然としながら『ホームページ』を立ち上げようと思ったりした。

そして自身の日々の思い、そして過ぎ去った時代の思いのことなどを
出来うる限り随筆風の散文を綴り、公開しょうと思案したりしていた。

しかしながらホームページの開設までの技量に乏しく、
無名の私が開設・運営した所で果たして、と躊躇していた時に、
偶然に本屋の店頭で一冊の本にめぐり逢え、私は初めて『ブログ』の世界を知った・・。


この本は『はじめよう! みんなのブログ』(インプレス)と題された、
別冊インターネット・マガジンであった。



ブログの世界は、多くは匿名制度であり、ある程度の良識を根底に於けば、
それぞれの御方が自由に、私生活の出来事から、政治、外交、軍事、経済、社会などの分野まで表現でき、
日本でも2002年(平成14年)の頃から急速に普及し、
誰でも発信できる人類史上初めての時代が到来してきた・・。

この少し前の時代は、もとより各専門知識のある有識者が、雑誌、新聞などに寄稿文を掲載することができる時代で、
私のように無名で素人の身は、せめて新聞・雑誌などの読者コーナーで、記事を投書できる範囲であり、
何よりも掲載の判断は、編集部の意向で決められていた。

こうした結果として、私は自在に私の生活のことから、政治、経済、社会などに専門知識がない私でも、
私なりの思いを発露できる上、何よりブログはホームページより手軽に開設、運営できると感じ、
ブログに加入しょうと決意した。

そして2004年(平成16年)11月12日にある大手のブログサービスに加入した後は、
2つばかりの10万人ぐらい加入していた小さなブログサービスに彷徨(さまよ)った後、
この【gooブログ】に翌年の2005年(平成17年)1月19日に加入した。

この間、まもなく他のブログサービスに加入して熱中して、2度ばかり中断したが、
やがて2008年(平成20年)の5月以来は継続し、今日に至っている。    

このような軌跡で、ブログの世界を知って丸18年が過ぎて、早や19年生となっている。
結果的には、パソコンの故障、国内旅行、入院などしない限り、日に少なくとも一通は投稿してきた。



こうした根底には、私の幼少時代から年金生活している現在までの生きてきた心の軌跡を発露して、

自己表現のひとつとして、心の証(あかし)として残したいからであった。

そして年金生活を過ごしている今、日々に感じたこと、思考したことなどあふれる思いを
心の発露の表現手段として、ブログの投稿文を綴ったりしている。

私は綴る際は、自身のその時の心に素直に綴るようにし、
あとで振り返った時、あの時はこのような思いで過ごしていたのか、
何より自身に対して、その時の思いの心情を大切にしているひとりである。

恥ずかしながら数多くの駄文を綴ってきたが、
ひとえに自身の為の心の軌跡の発露、と言っても差し支えない。

こうした中で、60代の投稿文の内容は、やはり幼年期~現役サラリーマン時代の想いでが多く、
或いは年金生活を過ごす実情を脚色もせず、ありのまま数多くの投稿文を綴ってきたりした。

そして70代になると、無念ながら自身の体力の衰えを実感した為か、
健康、病気、介護、葬儀、家計などを学んだことに、
私の思いを前後に加味した投稿文に変貌した内容となり、
まるで餡子(あんこ)の入った『お饅頭(まんじゅう)』のような投稿文となり、
独り微苦笑する時もある。                                   

最近、反省をして、初心に帰れと、随筆風の投稿文に帰路したりしている。



こうした中で、私は投稿文の時に、多くの方に読んで頂きたい自己顕示欲もあり、

投稿文の中では、改行を多くし読みやすいようにしている。

或いは11年近く前の頃から、何とか写真を添付することが出来たので、
乏しい筆力を補(おぎ)いながら、カット代わりに写真を掲載したりしている。

私はブログを投稿する際、ひとつのテーマを決めて、真摯に、ときには楽しく綴ることもあるが、
不勉強の為に筆力が乏しいながら、最後までお読み頂けるように試行錯誤をしたりしている。

しかしながら私の投稿文の内容は、あふれた思いを伝わるように熱意ばかりで、
一気呵成に書き上げてしまい、ときには長き投稿文になったり、
投稿文を送信した後、読み返したする時、つたない綴りが多いので反省する時もある。



こうした中で、ブログの投稿文を10年を過ぎた中に於いて、
ブログ上で出逢い、やがてコメント上で心の交流を盛んに重ねても、
ふとしたことで疎遠になり、別れとなる場合もある・・。

私がブログを初めてまもない2004年(平成16年)の12月の時、
ブログ形式に準じた【簡単gooホームページ】に加入している中、
確か一カ月後に、九州の北部にお住まいの60歳前後と思われる奥様と
投稿文に於いてコメントをお互いにしたりした。

その後、2年ぐらい高校生の交換日記のように、殆ど毎日コメント欄で心の交流を重ねた。

こうした中で、この奥方が一枚の写真を添付し、
散策する時に何かと魅せられている小花のひとつです、

と投稿文に掲載されていた。

私は恥ずかしながら無知であったので、ネットで検索したら、
『オオイヌノフグリ(大犬の陰嚢)』と明記されていたので、
命名された植物学者は、余りにも文学性の感性が欠落している、と思い苦笑した。

そして『瑠璃唐草』、『天人唐草』、『星の瞳』とも名づけられていたので、
この奥様に、『星の瞳』に瞬時に魅せられました、と私はコメントしたりした。


☆過ぎし2008年3月、私が近くに流れている野川の川べりで、
    偶然に『星の瞳』にめぐり逢い撮った一葉☆



こうした淡き心の交流を2年半していたが、ご主人様がご病気となり、入退院をされる中、

奥様の投稿文も途絶え、やがて私たちの交流も途絶えがちとなり、
まもなく加入している【簡単gooホームページ】自体が閉鎖となり、そして交流も終えてしまった。

このような私にとっては、貴重な思いを秘めているので、
『星の瞳』を通して、この奥様は、私の年金生活を始めて不安な心情の中、心おだやかに過ごせたので、
女神のような人と私は思っている・・。

そして、その後に私は春先に散策したりする時、『星の瞳』を見かけたりすると、
あの奥様はどのように過ごされているのかしら、と思ったりし早や15年が過ぎている。



或いは私より年配の男性の3名の御方のブログに魅せられて、愛読してきたが、
ある日、突然にブログの投稿が途絶えたりした・・。

この中のひとりの御方は、体調を崩されて、入院後、この世を去った、
と御子息がブログ上で公開して下さったりした。

或る御方は、介護施設に入居するので、ブログの投稿は途絶えると思われる・・、
と記載された後、最後の投稿となったりした・・。

このようなことを私は読ませて頂き、
私たち夫婦は子供に恵まれず、たった二人だけの家庭で、

こうした中で、家内は私のブログに関して、まったく関心がなく、
私もいつの日にか、この世とお別れになる前、突然に最後の投稿文になるかしら、
と思い馳せたりしている・・。

コメント (8)
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