過ぎし10日、私は駅前の大きな本屋に寄って、何かしら魅了される本はないかしら、
と単行本のコーナー、新書本のコーナー、そして文庫本のコーナーを見たりしていた。
そして探し求めている中、店内からクライスラーの『愛の喜び』、メンデルスゾーンの『歌の翼に』、
シューベルトの『アヴェ・マリア』などが流れて、
私は思わず微笑みながら、やはり本屋にはクラシックの珠玉曲が相応(ふさわ)しいよねぇ、
と心の中で呟(つぶや)いたりした・・。
私は民間会社のある会社に35年近く勤めて、2004年(平成16年)の秋に定年退職し、
この間、幾たびのリストラの中、何とか障害レースを乗り越えたりしたが、
最後の5年半はリストラ烈風が加速され、あえなく出向となった。
こうした中で遠い勤務地に勤め、この期間も私なりに奮闘した結果、
身も心も疲れ果てて、疲労困憊となり、定年後はやむなく年金生活を始めたひとりである。
そして年金生活は、サラリーマン航路は、何かと悪戦苦闘が多かった為か、
つたない半生を歩んだ私でも、予測した以上に安楽な生活を享受している。
日常は定年後から自主的に平素の買物担当となり、
毎日のようにスーパー、専門店に行ったりし、ときおり本屋に寄ったりしている。
その後は、自宅の周辺にある遊歩道、小公園などを散策して、季節のうつろいを享受している。
日常の大半は、随筆、ノンフィクション、現代史、総合月刊雑誌などの読書が多く、
或いは居間にある映画棚から、20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
ときには音楽棚から、聴きたい曲を取りだして聴くこともある。
音楽を聴くと明記したが、恥ずかしながら、
楽譜も読めなく、楽器もさわれない拙(つたな)い男であるので、
やむなく感性を頼りに聴いたりしている。
このようなに日常生活を過ごしたりしているが、
定年退職後、多く聴いた曲は、と先程ぼんやりと振り返ったのである。
私は音楽に関してはオペラとジャズは苦手であるが、
クラシック、ハード・ロックから歌謡曲まで聴いたり、抒情歌も聴いたりしている。
そして、ときにはクラシックの珠玉のような数多くの名曲を聴くこともある。
このような珠玉曲を5分間ばかり思い浮かべと、やはりねぇ、と微苦笑したのである・・。
イギリスの作曲家のひとりでエルガーが『朝のあいさつ』と題した名曲を遺(の)こされているが、
この曲を特にサラリーマンを卒業した定年退職後した数年は、最も多かったりした。
私は農家の三男坊として生を受け、小学低学年まで農家の児として育てられたが、
父が病死し、祖父も亡くなったので、生家は衰退し、一時は生活に困窮した時代もあったりした。
この曲を聴くと、イギリスの田園風景の中で、程ほど大きな邸宅の裕福な家で、
朝のひととき優雅な情景を私は重ねてしまうのである。
私は幼年期の劣等感、そして身過ぎ世過ぎの年金生活を過ごしている今、
せめて心の中だけでも優雅な裕福のひととき・・と思っているせいか、
この曲を聴く時が多いのである。
そして、恥ずかしいことを告白すれば、
たまたま私は音楽業界のあるレコード会社の情報畑、管理畑などに35年近く勤めた身であったが、
現役時代は無知で、定年後にブログの世界を学び、
たまたま私が加入したサイトで、お互いにコメントを寄せあったりした
30歳前後の女性から教示された珠玉曲がある。
アルビノーニの『アダージョ』である。
私り現役のサラリーマン時代に於いては、クラシックに関し、
モーツァルトのピアノ協奏曲第20番、ベートーヴェンのピアノソナタの『悲愴』、『月光』、『熱情』、
そしてショパンの『12の練習曲 作品10、作品25』が圧倒的に魅了されて、
何百回を聴いたりしていた。
定年後はアルビノーニの『アダージョ』が加わっている。
私はこの曲を聴くたびに、
まぎれない美に触れ、作曲家の想いに深く立ち入れる時もある。
そして私のその時の心に動きにより、美はするりと逃げ去られたり、
ただの儚(はかな)さしか享受出来ないこともある。
この曲は確かな美の結晶であるが、
私のその時の心境により移ろう不思議な力が存在する。
美はこのように魔力を秘めている。
このようにアルビノーニの『アダージョ』に魅了され、
私は何百回も愛聴し、私が死去した時のセレモニーの時は、
この曲も加えてほしい、と家内に言ったりしている。
このように私は深く信愛し、16年が過ぎた・・。
そして、音楽の基礎知識に乏しい私は、過ぎし年に、
フリー百科事典として名高い【ウィキペディア】の解説をこっそりと読んで、
動顚させられたのである・・。
《・・ アルビノーニのアダージョ 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
アダージョ ト短調は、レモ・ジャゾットが作曲し、1958年に初めて出版した作品で、
弦楽合奏とオルガンのための楽曲。
弦楽合奏のみでも演奏される。
この作品は、トマゾ・アルビノーニの『ソナタ ト短調』の断片に基づく編曲と推測され、
その断片は第二次世界大戦中の連合軍によるドレスデン空襲の後で、
旧ザクセン国立図書館の廃墟から発見されたと伝えられてきた。
作品は常に「アルビノーニのアダージョ」や「アルビノーニ作曲のト短調のアダージョ、ジャゾット編曲」などと呼ばれてきた。
しかしこの作品はジャゾット独自の作品であり、原作となるアルビノーニの素材はまったく含まれていなかった。
雄渾多感な旋律と陰翳に富んだ和声法ゆえの親しみやすい印象から広まり、
クラシック音楽の入門としてだけでなく、
ポピュラー音楽に転用されたり、BGMや映像作品の伴奏音楽として利用されたりした。
日本や欧米で葬儀のとき最も使われている曲の一つである。
(略)・・》
このように解説されて、私のクラシックの無知をさらけだし、
その上、《・・日本や欧米で葬儀のとき最も使われている曲の一つである・・》と明記されて、
知らなかったょ、と私は赤面したりした。
このような体験をしてきた私は、遥か過ぎし日々、独身の20代後半の1970代の前半期に、
ある音楽専門大学のピアノ科を卒業された女性と交遊していたことが思いだされてしまう。
この女性の御宅に行ったりして、この御方のお母さまには私は可愛いがれたりした・・。
そして私の生家に来て貰ったりし、やがて私は求愛したりしたが、
私の魅力が乏しい為か、結婚することが出来なかった苦い経験があった。
年金生活の19年生の昨今、齢ばかり重ね音楽に素養のない私は、
やむなく感性を頼りに、ときおり日常生活でクラシックの珠玉曲を聴いたりして、
ときには独り微苦笑をしたりしている。