捨てるなんて「もったいない」^^;
塩っぱいナス漬けが、貴重なおかずだった。今は亡きお袋が若い頃、「茄子漬ひと粒でご飯はいくらでも食べられる。」と言われ、それで身体を壊したと恨み節を吐いていた。冷蔵庫もなく、輸送方法も確立していない山形県の内陸部では、魚介類は塩蔵品や干物が多く、また貴重な食べ物であったから、身体を作るタンパク質をどう補給していたのだろう?ましてや、現金収入のない小農では、夏のナスやキュウリは自家菜園で出来る貴重なおかずであり、冬場への保存食だったのである。肉類が無いとご飯が食べられないというのは、贅沢の極みでありますわなぁ^^; 「昔の生活ぶりをすれば、お金はいくらでも貯められる。」なんて、親父は言っていたけれど、一度甘露を味わうと、「昔の生活」になんて戻れないのが世の常でありますよ。ちなみに「甘露」とは、中国古代の伝説では、天子が仁政を施すと、天が感じて降らす甘い露のことであり、インドでは、飢渇をいやし不死を得る天人の食べ物を指すらしい。漬物を食べない若い世代が増えているようにも感じますが、今のところ「ひと口丸茄子」は、まだ一定層の支持を受け、我が農園でも貴重な現金収入源となっている。定植から1ヶ月ほどで最初の収穫物をいただき、これはこれはとほくそ笑んだものの、思いのほか収穫量が伸びないのよねぇ…「薄皮丸茄子」に至っては、ポツポツとした結実しか見られませんのよ。
そろそろ倒す時期が来た…
うどん粉病で肌の見た目が悪くなった春蒔きの「スナップエンドウ」の莢が開いて、見事な「グリーンピース」になっていました。「グリーンピース」は、本来は青実用エンドウであり、品種的には「碓井豌豆」が有名なようでありますけれどね。料理の彩りとして使われたり、水煮の缶詰が一般的でありますが、一度知り合いの商店さんから「グリーンピース作らないの?」と尋ねられたことがある。某所で「豆ご飯としての需要があるんだけれど…。」とのことである。莢の肌色が良ければそのまま出荷ということも可能ですが、肌色が悪くてはねぇ…実を取り出していたら手間賃にならないし。自身でも塩ゆでして試食してみて、甘さが感じられたので、梅雨空の手持無沙汰(作業の合間)に、実を取り出して出荷してみましたよ。「生グリーンピース」が売れた。手間賃にもなりませんけれど、現金収入が少ない時期には、貴重な商品かも知れない。売らないことにはね、お金も入って来ないことですし^^;
遅い梅雨入りで、外作業も停滞気味でありますからねぇ。「甘露」が仁政の証ならば、今降る雨は何なんだろう?作業者にとっては、鬱陶しい雨ではあるけれど、稲には酸素を供給し、畑には潤いを与えてくれる天の恵みではある。「捨てる神あれば拾う神あり」なんて言いますけれど、天が降らせる「甘露」を味わえるのは、一部の人々に限られているような気もするなぁ。宮内庁長官まで「陛下も感染拡大を懸念されていると拝察される。」と定例会見で談話を発表されたようだけれど…政治には口を出さないのが不文律のはず。意外にも、陛下の方が庶民の気持ちを代弁しているような気もするが…しかし、西村長官!発言には気を付けられた方が良いかと。更迭覚悟の発言だったりしてね。政治屋より、まともな人間がいたような気分になってきた(笑)