冬越ししたネギが「分げつ」開始…
寒冷地のネギ栽培では、秋に種子を蒔き、春に苗を植えるのが一般的ですが、家庭菜園では、冬越しした太いネギを畑に伏せ込むことで「分げつ」し、また立派なネギになる。寒さには強いので、東北地方では重宝な作物ではありますなぁ^^;
根は当然の如く土の中、緑色の部分が「葉身」で、白い部分は「葉鞘」と呼ばれるから、葉ネギを食べる文化、白い部分を食べる文化圏と分かれますが、結局のところ私たちは葉を食べていることになりますなぁ。それでは「茎」はと言いますと、根と葉の接合部分(硬い部分がちょびっとだけある。)であり、まぁ切り落として利用はしないでしょう。「根も葉もない」とは、根(根拠)が無くては、葉も育たないという意から生じた言葉のようでありますが、「茎」という硬い支えがないとこれまた植物として成り立たないのよねぇ。(葉状植物といって、藻類や地衣類が存在しますけれどね。)
地上生活する上では背骨が重要であり(昆虫の場合は、外骨格で硬い皮膚に守られている。)、しっかりとした支えが必要なんだと考える。日々の生活に右往左往している『おやじぃ』ではあるけれど「芯」がないとねぇ…。しかしですよ、ここのところ予想外の展開が多過ぎる。捨てるよりはマシかと思って始めた「グリーンピース」が好調で、「明日も入荷しますか?」なんていうお問い合わせもあったとか。「ハイハイ、それなら割には合わないけれど明日も出しましょう。」なんてね、方向性がグラついている。当面「お客様ファースト」で対応いたします^^;
『半三郎君♂』もサマーカットで男前^^;
さて、「コロナは只の風邪である。」…季節性インフルエンザもコロナウイルスによるものだから、この主張自体は間違ってはいない。2018年のインフルエンザによる死亡者数は3,325人(厚生省発表)、これにインフルエンザに罹患したことによって、慢性疾患が悪化して死亡した事案と合わせると1万人程度(厚生省発表)と言われる「超過死亡概念」という考え方らしい。これに加齢による「自然死(寿命)」は一定数存在するのだから、コロナウイルス恐れるに足りずといった主張をされる方もいらっしゃるのでね…コロナ感染症による「急性増悪」という症例には応えていないような気もするが…。まぁ、これは世の中の動きであり、我が集落では?「例年の奥津島神社の例大祭。神社の草むしり、清掃作業は密を避け、役員だけでやりましょう。」…何でもかんでも嫌なことはコロナを理由にパスしましょうっていう風潮が多過ぎやしませんかねぇ?「酒を飲んで、カラオケをしてどんちゃん騒ぎをしよう。」てぇ訳じゃないんですけれど…。
地元の酒屋さんも仕出し屋さんも影響をモロに受けている。「冠婚葬祭」もまた、新しい生活様式の勧めということで簡素に…イベント化してしまったようなお葬式には辟易していたから、それはそれで結構なのだけれど、物が動かない。「新しい生活様式」のためには、職業もまた変えて(変わって)行かなければいけないのだろうか?
ネギの需要は減らないでしょう。食べる方が減るとも思えない。自らが変わって行くこと、変えていくことも必要ではあるのですが、地域コミュニティや「ゆい」の精神は失ってはいけないものだと思うんですけれどねぇ…自助、共助、公助…菅総理は、就任早々「公助」の順番をあえて後にしたっけ。先見の明がある方かも…これこそ根も葉もない『おやじぃ』のたわごとになって欲しいものだわ(笑)