「ラブレター」という花言葉を持つ花…
お相手に愛情を伝える手紙…「ラブレター」もまた令和の世の中では死語ですかねぇ?
差出人の気持ちをお相手も薄々感じていたならば受け取っても頂けるかも知れませんが、全く意識外の方から突然届いたら、今では「キショイ」などと言われて拒否されるに違いない。『おやじぃ』の世代では、携帯電話も当然メールも無かったから、直接「告白」するか「ラブレター」という手段しかなかったような気もするが…結局のところ、口コミや噂、日頃の言動など、お相手の気持ちも推測しながら、出すタイミングを図るということも重要だったような気もしますけれどね。(今でも、そのタイミングを図るという行程は、手段は違えど同じかも知れない^^;)
さて、昨日はお昼から「安倍元首相の銃撃」そして、医療スタッフの懸命な救命、蘇生措置にも関わらず、夕方には残念ながら「死亡発表」と騒然とした一日となってしまいましたね。(改めて、安倍元首相のご冥福をお祈りいたします。)そして、また、大きなストレスを抱える結果となってしまいましたよ。
「政界の要人の銃撃事件」「蘇生措置の状況」etc.確かに、その後の詳報を知りたいという気持ちはあるのだけれど、同じ銃撃の映像、また、違った角度からの映像と繰り返し、繰り返し『垂れ流される』映像を観ている。(見せられている。)確かに、衝撃的な映像は、逐一チェックして流してはいるのだろうけれど、『言論への暴力による封殺』という『錦の御旗』の下に、視聴率稼ぎという思惑も見え隠れしたりしてね、結局、夜は地上波から衛星放送に切り替えてしまいましたよ。
(日本トラウマティック・ストレス学会では、つらい思いをする場合、惨事映像から離れることを推奨しております。)
ほおずきには「心の平安」という花言葉が…
「惨状映像」と「ラブレター」を一緒にしちゃいけないかも知れないけれど、お相手の気持ちも察しないで出し続けたら逆に嫌われる。折しも参議院選挙期間中だから「民主主義への挑戦」「政治テロ」と政治家の皆さんは口々におっしゃいますけれど、『おやじぃ』には、マスコミによって、いたずらに国民(視聴者)に不安を与える行き過ぎた『煽動報道』としか受け取れないのでありますよ。それでストレスを抱え込んでいたらバカバカしい。見なければ済むことなのだけれど、どのチャンネルも同じ映像の繰り返しなのだもの…。
はてさて、そこで『おやじぃ』は考えた…同じ映像が繰り返し流されるのであれば、別の角度から報道を見てやろうじゃないか! 記者会見に臨んだ岸田首相の眼が少しだけ赤く潤んでいるようにも見えた…『ああ、もう蘇生出来ないと伝えられたのではないだろうか?』(この方はウソをつけない方なのかも知れない…ご免なさい、死亡発表前です。個人の勝手な思い込みです。) 病院側の記者会見:「輸血量100単位以上…。」…『おいおい、輸血量で20リットル以上かい…過剰輸血では?ご家族が到着するまで死亡診断を遅らせたスタッフの配慮かな?』(これまた、個人の勝手な思い込みです。)とまぁ「惨状映像」に心を痛めるよりも、その間に繰り広げられた人々の心情(思いやり)に思いを馳せてみた訳です。「知る権利」と「覗き見志向」はまったく別物であるし、「報道の役割」もまた、大人だけでなく子どもたちも見ていることに配慮して欲しいもんだわと感じた一日でありましたよ。
安倍元首相のご冥福をお祈り申し上げます。
♯戦争反対 ウクライナ侵攻の映像もまた同じこと。心的ストレスから解放されるためには見ないこと…そして、戦争など無いことが一番だと思う。