ガウラ(ハクチョウソウ)は『白鳥草』ではありません^^;
同級生のお庭に咲いたハクチョウソウ(白蝶草)を一枚。思い込みとは恐ろしいもので、「ハクチョウソウ」と聞いて『白鳥草』の漢字が頭に浮かんだのでありますが、和名としては「白蝶草」が正解…「白蝶草」なら『シロチョウソウ』と読んでも良いはずなのにと、どこまでも意地を張る。そうそう、ガウラ(ハクチョウソウ)には「負けず嫌い」という花言葉があるから、片意地張るところは似たり寄ったり…しかし、もうひとつ「清楚」などという花言葉は、『おやじぃ』には似ても似つかぬものである^^;
さて、暑い最中に定植して、萎れたホワイトコーンも多少の植え痛みがあるものの、何とか活着しそうであります。(ヨシヨシ!)折角、植え付けても枯死してしまっては無駄な作業となってしまうから、様子を見てから…と、また一日お休み。あくまで、様子見のつもりでしたけれど、困ったことに身体が動かない。今年の「夏バテ」はかなりの重症のようであります。(大体ねぇ…健康のバロメーターであるはずのご飯が食べられないのだから、身体が動くはずがないのでありますよ。)それでもブログ(日記)は書き続けている。これさえも止めてしまったら、『おやじぃ』には何も残らなくなってしまう…夏休みの絵日記のように、ただただ、漫然とその日を暮らしたら最後には何も書くことが無くなってしまうのでありまして、書けるということは、動けなくても何かの活動(思索)をした結果と思うことにしております^^;
そして、今朝は『河川愛護デー』の一環で、河川清掃(草刈り)ボランティア…集落役員として、機械損料を経理したり、飲み物を手配したりと雑用をこなしております。(こればかりは、他の役員に迷惑を掛けてしまうから最低限のお仕事として動いておりますが…。)
これが河川?田んぼの水路では?
我が集落には「定川(さだめがわ)」という名の町管理河川がありまして、「流末」は最上川(松川)に流れ込むことは確かなのでありますが、源流(流始というべきか?)が定かで無い川があります。結局のところ、農業排水が最終的に「定川」に流れ込むということなのだろうけれど、意外とこれが厄介でありまして、田んぼが湛水機能を発揮している夏は、さほど心配ないのでありますが、貯水能力を超えたり、秋口に田んぼを落水してしまうと豪雨で流末(樋門)が溢れてしまうということが度々ありました。(災害時には国交省の大型排水ポンプで汲み出してからは稀にはなりましたけれど…。)最近では、二年前かなぁ…本流の最上川も氾濫危険水位を超えてしまい、避難命令が出たことから、委託業者さんも当然撤退。結果、流末の集落で何戸か床下浸水の被害を出しております。高畠町の街場でも、上流域の田んぼが転作田として畑地化された結果、逃げ場を失った水が、町内の用水路を溢れさせるということも起こっておりましてね…田んぼの「湛水機能」というものを痛感するのでありますよ。(生産緑地という面だけでなく、防災機能も担っていると理解してもらえるとありがたい^^;)
はてさて、この「定川」には「定橋」という橋が架かっておりまして、この世では結ばれない若い男女がこの橋で落ち合ったとか、己の定め(運命)を嘆いた母子が身投げをしたとか、土地の年寄りたちの物語もあったような記憶もあるのですが、今ではそんな物語を語る年寄りも居ない。
この世に運命(定め)というものがあるならば、それに従って生きて行くしかないのか…日頃からの管理で災害を減らせるものならば、集落の人足仕事にも意味がある。しかし、それを超えて起こるのが「自然災害」でありますから、日頃から防災意識だけは高めておかないとなぁ…。
♯戦争反対 人智を超えたところで起こるのが「自然災害」であるとすれば、戦争行為は「人智の範囲内」…解決手段はあると思えるのですが、「負けず嫌い」という人の性。自然との折り合い、人との折り合いというものが存在することを信じたい。