「アガパンサス」の花も開き始めました^^;
「その物言いが気に入らない。」とか「物言いがきつい。」という場合の「物言い」は物の言い方にあり、相撲の場合は、行事の勝負判定に、審判委員や控え力士が異議を申し入れることを言う。
「人の口に戸は立てられぬ」などと申しましてね、お隣の庭に咲いた「アガパンサス」の花のひとつ一つがお口だったら、いや~口々に勝手なことを言っているに違いないなどと妄想しております^^;
さて、大相撲名古屋場所も、上位陣が精彩を欠いて、盛り上がりも今ひとつというところでありますが、今場所はとみに『物言い』が多いと言われているようでありますなぁ…。行司さんは、同体取り直しという判定が出来ないから、どちらかに軍配を上げなければいけない。記録を遡ってみますと、幕内では1988年5月場所の霧島VS水戸泉戦で、三度の「同体」の混戦の末、四度目で決着した取り組みもあったようです。実に行事泣かせの勝負でありますけれど、相撲の場合は、確かに微妙な判定はあっても、必ず白黒(勝敗)をつけなければいけないから仕方がない…一方、人の申し立ての方はと言いますと、果たして白黒つけられるのか、甚だ疑問であります。当事者は、必ず自分が正しい(権利がある)とそれぞれ考えている訳だし、時には「言った。言わない。」という曖昧な主張でまくし立てられても仲裁できる訳も無い。仲裁する方は、しっかりした力量(権威)がないと裁定など出来ないし、逆恨みされるのも叶わないから、日本人得意の『玉虫色の決着』に着地点を求めたりすることも多いと思いますよ。ちなみに、行司は、審判委員の協議に「口をはさめない。」とのことだから、可哀想でもありますが、総てがビデオ判定(事実の積み上げ)だけであったなら、味気ないものになってしまうような気もしますけれどね^^;
果たして何を見ているものやら^^;
はてさて、『猫には霊感があって、幽霊のいる場所をみつめているのではないか。』という説(噂)を唱える方もいらっしゃるらしい。(そもそも、幽霊の存在そのものが否定も肯定もされていないのだけれど^^;)猫が何も無い場所をじっと見つめているのは、①人間には聞き取れない音のする方向を見ている。②人間が嗅ぎ分けられない匂いのする方向を見ている。③紫外線を見ている。(イギリスで実験検証済み。)④考えごとをしている可能性がある。というところに落ち着くらしい。(個人的には、幽霊が見えていたり、お金の匂いや儲け話が見えたり聞こえていてくれていると楽しいのだけれど^^;)まぁ何とか、人間にも理解出来る理屈を並べ上げて、納得している訳なんですけれどね。
ニャー!(おお、餌が無いか。)ニャー!(おお、中に入りたいか。)ニャー!(『おやじぃ』、ワシはここに居るゾイ。)なんてね、言葉が通じないから「ニャー!」のひと鳴きを何とか聞き分けようとする。「ニャー!」…餌もあるし、『おやじぃ』だって傍にいるのに…何だね今度は?聞き分けられない(理解出来ない)「ニャー!」には、相手(猫)の気持ちを慮ったりしてね…。
一方、人間の場合は、下手に言葉が通じてしまうから、「何でこの気持ちが分かってもらえないのよ。」なんてぇことが日常茶飯事のような気もする。(本当に、本音を語っているかは別だけれど。)事実を積み上げて行っても、納得を得られないのは、『感情』というものがあるからかなぁ?『勝負事』でない限り、相手を慮る気持ちがあったならばねぇ…。
#戦争反対 勝ったもん勝ち…猫だって、一戦交えても最後までは戦わないというのにねぇ。