「リアトリス(麒麟菊)」と「ギシギシ」???
ちょっと見た限りでは似ているが、実際は全く違うものを「似て非なり」と言う。中国の思想家「孟子」の「子曰く、似て非なる者を悪む(にくむ)」が由来となっているらしい。『今を盛りに咲いていた「麒麟菊」の花穂も連日の暑さで枯れてしまいました。』などと書くと信じてもらえるかも?放置された畑の「ギシギシ」の花穂が「麒麟菊」のそれに似ているなぁ…なんて感じただけでありますけれど。
さて、増上寺で行われた安倍元首相の告別式…沿道には多数の弔問者が集まった様子であります。『言語不明瞭意味不明瞭』または『言語明瞭意味不明瞭』と揶揄された、昭和の歴代首相に比べれば、方向性は別にして「言語明瞭意味明瞭」の首相だったに違いない。(巧みな話のすり替えという場面もあったような気もするけれど…。)恐らく、「記録と記憶に残る首相のひとり」となるに違いないと思いますよ。
はてさて、孔子が語った「似て非なる者を悪む。」とは、「うわべだけの偽善者は、真の善人とまぎらわしいから余計問題だ。」という教えらしい。犯行当初には「暴力による言論封殺」や「政治テロ」というフレーズが飛び交い(結果論ではあるけれど『おやじぃ』は、犯人の政治的背景はないと思っていた。)、次には「特定宗教団体との関連性への逆恨み」という論調になり、「特定宗教団体の素顔に迫る」的な報道になっている。(おいおい、あの団体って『おやじぃ』が学生時代の頃から、霊感商法など問題のあった団体じゃなかったのかい?…何を今さら。)マスコミは『権力への番人』などと称しながら、批判記事を書くことで、購読者、視聴者を確保してきた。ネタ元は当局発表なのにね…そして、国民はその記事の流れにうなずき、納得してしまう。そんな風潮の方が『おやじぃ』には怖い世の中と思えてしまうのでありますよ。
およよ、何か臭うかね?
さて、『おやじぃ』が働かない替わりに長男『ポン太郎君』は良く働いてくれております^^; いつまでも、『おやじぃ』が幅を利かせているのではなく、徐々に代替わりを模索する『絶好の機会』なのかも知れないと、前向きに思い始めております。(動かない身体には後ろめたさも感じてはいるのだけれど。)
昨日は、集荷場もお休みの火曜日(最盛期には、土日関係なく集荷は行うのだけれど。)…昨年までは集荷センターは稼働していたはずだから、取り敢えず集荷場に電話を入れてみましたけれど繋がらない。いわゆる『働き方改革』というやつで、集荷場を閉鎖して完全休養に当てているようであります。(『オラだの農協』職員だって、勤め人なんだから、休養日くらい設けなければねぇ…と理解は示しております^^;)アハハ、しかし畑の「キュウリ」は休んでくれないから、『キュウリ農家屋さん』は、お休みが無いのよねぇ。(その分、冬期間は休んでいるかぁ^^;)こうしてみると『農家の働き方改革』ってどういうもんよと考えてしまう。(自分は休んでいるくせに…しかし、一切、実入りがない。)これが、畜産・酪農家ならば…生き物を放って休むという訳にもいかないし。(ヘルパー制度というものもありますけれどね。)収穫を諦めて休む。(売上の減少)ヘルパーを依頼する。(価格が人件費に追い付かない。)とまぁ、今のところ打つ手なし…元気に働き続けるしかないようでありますなぁ。ようやく、お腹の調子も回復してきたようである。袋詰めくらい手伝うことにしますかね(笑)
#戦争反対 聖戦、軍事支援と名を変えても、戦闘行為に変わりは無い。「似て非なり」…「仮想の敵」を作って叩くことで留飲を下げることも、今のマスコミの在り方と変わらないように思える。