親子三代で何を祈ります?
「祈り」とは、宗教によって意味が異なるが、世界の安寧や他者への想いを願い込めること(Wikioedia)…とまとめられている。
他所様の心の中まで覗き込もうなどとは思いませんが、この三年間、コロナ禍で前夜祭のイベントは中止。親子そろってお参りに来た家族の後ろ姿が微笑ましく、『幸せ』を感じたので一枚^^;
「豊作祈願」「合格祈願」「家内安全」etc.…自己実現、他者への想いは様々あれど、神仏に手を合わせた『瞬間』だけは、『清純無垢』な「自己」が現れるような気がする。(これが唯一の宗教効果かなぁ^^;)しかし、次の瞬間には、雑念・煩悩の世界に迷い込み、場合によっては、他者を「呪詛する」などという恐ろしい方もいらっしゃるだろうから、やっぱり人って怖いわねぇ…。
もしも、「神さま」というものが存在するならば、同じ人への「良き願い」も「悪しき願い」も『聞き取って』くれる訳だから、両者から利益(お賽銭)を得る『利益相反』行為を繰り返していることになる。したがって、人の願いを叶えたりはしない。『聞き役』に徹しているだけだから、これなら『詐欺行為』にはならないだろうなんてね。(「神さま」を『詐欺師』呼ばわりするとは、かなりのバチ当たり者であるわなぁ。)これって、神羅万象の中に八百万の神々が宿るという日本の原始宗教的な発想に基づくものだから、『唯一絶対神』の世界ならどうなるのだろう…? 明確に『善人(信者)』と『悪人(異教徒)』を切り分けてしまうのだろうか? 人(指導者)が創り出す世界って、本当に怖いものですわなぁ…『おやじぃ』は、今、こうして居られることに「感謝」することにしよう。それだけなら、他所様に迷惑も掛けないし、平穏な心で居られるような気がするから…。
いつの間にか『居場所』になった^^;
さて、餌をねだる時にはすり寄ってくる同居猫『シロ♀』でありますが、最近は、冷蔵庫の上、エアコンの吹き出し口の下に『居場所』を見つけたようであります。(昨年までは、ここに登ることは無かったのに…。)『天は人の上に人を造らず、人の上に猫を造った。』などと、毎晩、同居猫に見下されているような気分であります^^;(高い所から周囲を警戒するのが猫の特性なのにねぇ。)
これって、「餌」を「票」に置き換えると、どこかで見たような光景のような気もする。「私を働かせてください。」…「どうぞ存分に働いてください。」 「私を再度国会に送ってください。」…「しょうがないなぁ、まぁ頑張って。」 「私を助けてください。」…「助けて欲しいのはこちらなんですけれど。」とまぁ、選挙日前日までは、政策はそっちのけでお願いの連呼。「落選したのは、私の力不足。」と反省の弁を述べるのも常套句ではあるけれど、当選してしまうとどこかに消えてしまうのも、『議員属』という『種』の特性なのかも知れないなぁ(笑) 叶わぬ「祈り」と思いつつ、一票(浄財)を投じるのも「神さま」に手を合わせるのと同じような気分になってくる。今回の参議院議員選挙では、定員総数248名の『参議神』が全国からかき集められたようでありますよ。
はてさて、「神さま」は、人の願いを叶えたりしない。『聞き役』に徹するだけである…聞いてくれれば、まだマシな方で、どこかに雲隠れしてしまうから、むしろ厄介かも知れない。そうそう、お賽銭(献金)お賽銭(献金)…小さな神社に寄せられた少額の浄財は、雑入として、拝殿を守る役員の缶ビール代金に変わりましたけれど、『議員神』の皆さまには、個人のお賽銭(献金)なんて、取るに足らないものかも^^; 6年に一度の『例大祭』ではねぇ…やっぱり、信者(投票率52%)も減ってしまうかも知れないなぁ(笑)
#戦争反対 聞いてもらえないとは分かっていても手は合わせますよ「平和な世界」のために…戦争は、人々が起こすものだもの。