「黒装束」のハグロトンボですが…
「光と影」「明と暗」etc.…物事は「表裏一体」の存在である。(何だなんだ朝から^^;)音もなく蝶のように飛ぶ「ハグロトンボ」は正直なところ苦手である。子どもの頃から、黒い色に『霊的なモノ』を感じてしまうんですなぁ…これは、『おやじぃ』の思い込みであって、当のトンボには何の罪もない。事実、「ハグロトンボ♂」の腹部は緑色の金属色の光沢を帯びており、装飾品を身に着けているようにも見える。(一方、♀は総身、黒一色であるけれど。)
「ダークサイド」…社会や人生の暗黒面。「黒」という色に「影」や「闇」を感じてしまっているのだけれど、このトンボに光が当たっていない訳ではない。光のすべての波長を吸収してしまうから、人間の眼には黒く映るだけであり、反対側の光の当たっていない部分は、果たしてどんな状態なのだろうなどと、つまらないことを朝から考えていただけであります^^; そして、満月に限りなく近づいている夜空の月を眺めながら、これまた、子どもの頃から疑問に思っていた『月の裏側』ってどうなっているの?などという思いに至った次第であります。けれども、よくよく考えてみると『月の裏側』にも、月の半分は光が当たっている。(新月)…目に見えていないだけであって、「表」「裏」に関係なく光は平等に当たっているんだわなぁなんて、朝から『哲学』したのでありますよ^^;
安倍元首相の銃撃事件後の報道を見ながら、不幸な偶然の積み重なりと、それぞれの「光」と「影」の部分が見えて来ると、果たして、人には平等に「光(幸福)」が当たっているのだろうかなどと考えてしまった訳です。(決して、犯行を正当化したりはしませんけれどね。)
モミジに花言葉ってありますか?
晩秋にブーメランのような羽をつけた「モミジの実」は良く目にしますが、春に咲くと言う花に気付かない。そんなところから「遠慮」などという花言葉もあるようです^^;
「幸せを数えたら 片手にさえ余る♪」…「ばんばひろふみ」さんの「SACHIKO」という曲にはそんな歌詞があり、「不幸せ数えたら 両手でも足りない♪」と続く。そうそう、『不幸自慢』(失礼)を始めたら止まらない方が居る…「何の苦労も知らないお前に何が分かる?」…その通り『おやじぃ』は、他人の『不幸話』に耳を傾けることは出来ても、その『痛み』まで感じ、汲み取ることが出来ないのでありますよ。『痛み』は、ご本人が感じるものであって、その強弱まで感じ取ることが出来ない。
その方にとっては乗り越えられなかった『壁』を『おやじぃ』は、いとも簡単に乗り越えられたかも知れないし、またその真逆のこともある。「今日もオマンマが食べられた。」「今日も無事に健康で過ごせた。」ありふれた、つまらない日常にも『幸せ』を感じられたら幸せであるし、「おかずの品数が足りない。」とか「今朝も下痢だった。(失礼^^;)」などと不満をつのらせれば『不幸』の数も増えるかも?(やっぱり、『おやじぃ』は苦労知らずなのかもしれない^^;)
そうそう、他所様と比較して、目に見えている部分だけで比較するから、『不幸』の数が増えてしまうのかも知れないなぁ…他所様の目に見えない部分まで覗きたいとは思わないけれど、万人に平等に「光(機会)」が当てられているのだろうか?「光(機会)」を見逃していることはないだろうか?
『月の裏側』にも半月の間、光はあたっているという事実…「絶食」でへこんだお腹は見えているけれど、自分の背中はやっぱり見えていないわ。こりゃ~相当な「苦労知らず」だわ(笑)
#戦争反対 都合の悪い真実は闇の中…これが一番厄介だわ。