「刺し身コンニャク」と「豆腐」ですが…
過去にあったことを、すべてなかったことにすることを、「水に流す」と申しますが、「禊(みそぎ)」…「水濯ぎ(みずすすぎ)」が語源となっているらしい。最近では「禊」などと言うと、政界の用語になったような帰来もありますけれどね^^;
恒例の晩酌会で出た「コンニャク」と「豆腐」…「コンニャク」はその約96%が水分であり、残りは「グルコマンナン」なんですと、こちらは水にも溶けず、消化もされずに体外に押し出されてしまう。一方の「豆腐」は、80~90%が水分で低カロリー…それぞれ、「水」を食べているような食品なんですなぁ。体調不良で、ほぼ絶食状態のような日々が続きましたけれど、ようやくご飯が食べられるようになりました。そろそろ、栄養価の高い物を…アハハ、「水に流す」というよりは、『水を流す』ような食生活でありますよ。はてさて、体力を回復して、後半戦に挑まなければと思った次第でありますが…。
まずは、今の生活態度(気持ち)を切り替えて、少しはお仕事に取り組まなければ…と「抑制キュウリ」の植え床準備をしてみましたけれど、ハウスの中は40℃超え。今度は「熱中症」で動けなくなりそうだから、短時間で作業を切り上げる。徐々に、徐々にと思いつつも、苗は水曜日には届くはず。何とか間に合わせようとは思うのだけれど、サボったツケは、倍以上の労苦として圧し掛かるようであります。早々に諦めてしまうのも、ひとつの手ではあるのだけれど、必ず後悔するだろうから、まずは出来るところまでやってみる。「植えなければ(蒔かなければ)採れない。」と自分自身にムチ打っているところでありますが、これまた『気合』の世界でありますことよ(笑)
「為せば成る、為さねば成らぬ…」
『気合』(実に昭和臭のする言葉^^;)という言葉を笑いながら、結局のところ、奮起する気持ちが出ることを待っているのだから、さらに笑いが噴き出してしまいます。(それでも気持ちの持ちようという考え方は持っている^^;)
まだまだ増え続けるであろう新型コロナ新規感染者数を追いながら、それでも「行動制限」には否定的な政府の対応に注目しております。(今回ばかりは強い意志を感じるぞ^^;)元々、飲食店がやり玉に上げられたのは、感染経路を追い掛けて、マスクを外して感染者と接触した機会を思いつく限り拾い上げた結果なのではなかろうかなどと素人ながら考える。(因果関係を否定している訳ではありません。)…最近では、当初、感染事例の少なかった子どもたち若年層の感染事例が増加し、結果的に「家庭内感染」というキーワードが急上昇してしまい、「行動制限(飲食)」をしても意味がないという方向性が出て来てしまったんじゃないかと。素人判断は危険である…だからこそ、「社会経済活動の回復」という曖昧な表現ではなく、具体的な考え方を庶民に示すべきときではないかと思うのですけれどね。
『当初より重症化率が低下し、インフルエンザ並みの疾患となっている。』とは、今は口が裂けても言えないかぁ…責任取れないもの。けれども、政治家の皆さんは『禊ぎ(選挙)』という、『水に流す術』を持っていらっしゃるじゃないですか…『あの時の選択は、あの状況下では仕方がなかった。』と過去を振り返ることも出来る。『気合』と『根性』で、コロナに立ち向かい、従順な庶民は、政府方針に自主的に協力してくれるなどと言われても困るもの^^; もう既に、自主的な『行動制限』はし始めていると思いますけれどね。
#戦争反対 『水に流して』仲直り…大人の世界では難しいよなぁ。