「うなぎの蒲焼き」は画像で…(笑)
明日は、「土用の丑の日」…うなぎにとっては受難の日であります^^;
WWFジャパン(環境保全団体)のHP情報では、日本のうなぎ消費量は年間5万トン(2016年統計)で、蒲焼きに限っていうと約40%が「土用の丑の日」に消費されているらしい。一体、日本中で何匹のうなぎが焼かれていることやら?
ちなみに、うなぎの消費量と農業就業人口には「負の相関」があるとのことで、うなぎは「都市型の食べ物」と解説される方もいらっしゃる。最近では、スーパーの店頭やコンビニで予約販売などということもありますけれど、こちら山形では『上等な』お客様だから「うなぎ」でも…などと言うことは無かった。(大体、うなぎ屋さんがありませんから^^;)「お客様だから、中華(ラーメン)でも取るか?」というのが「おもてなし」のせいぜいだったような気がする。(最近では、出前をしてくれるラーメン屋さんも近所に無くなってしまったのでありますよ。)
さて、上方落語に「始末の極意」という演目がある。(この場合の「始末」とは「節約」の意ですと。)うなぎ屋の前で匂いを吸い込んでご飯を食べる。匂いの代金を請求に来たうなぎ屋に、お金の音でお代を払うというアレですなぁ…そんな類のケチ(節約)話が沢山出て来る。亡き我が親父が、お金を貯める秘訣として「握った物は絶対離すな…。」という教訓を語ったことがありましたが、そのお話もこの落語が原典だったかなどと今頃になって気付く。我が大先輩(お金持ちだと思っている^^;)の場合は『さんかく』を極意と話されていた…「義理欠く、人情欠く、恥をかく」の『さんかく』なんですと。勤め人時代のつながりで、頂いた義理は返さなけれないけない。困った人は助けなければいけない。(お金の支援はできないけれど^^;)売り上げをあげるために、恥と汗をかきましょう…そろそろ飽きてきたけれど。とまぁ、お金持ちへの道は程遠いようでありますよ(笑)
サルはサル、鰻は鰻の運命かい?
まぁまぁ、「日々何とか食べていけて、これからの人生を楽しまなければ。」と始めた『お百姓さん』稼業だから、『大儲け』なんぞ望んでもいないのだけれど、「始末の極意」に出て来る人々は、実にケチである^^;
酒、煙草は言うに及ばず、奉公人の数、我が女房までも無駄に思い出し、最後は自分自身も無駄であると思って消えてしまう…一体、何を残すと言うのでしょうかねぇ? 「老後の資金2,000万円不足」なんて書かれると、せっせと貯蓄しなければとか、資金運用して利殖に励まなければと素直に考えてしまう。『儲け』とは「信者」と書く…人を信じるのか、お金の力を信じるのか、宗教を信じるのかは別にして、「損せぬ人に儲けなし」という諺もあるくらいだから、ここいらで一念発起、一発勝負に出てみますか…止めとけ、止めとけ、大ケガするのがオチでありましょう^^;
今ある物(資金)を極力減らさないで生き延びるか、今ある物(資産)を増やしていくか、人それぞれの考え方はあるのでしょうけれど、「土地神話」は崩壊し(田舎では、農地は資産価値を持たない^^;)、「年金財政」も先細り…国(政府)を信じた結果が今なのか、一億総中流社会などと浮かれていた自分が悪かったのか? デフレ社会(低金利社会)にどっぷりと浸かり過ぎて、インフレ社会では、お金さえも価値を失ってしまうことをとんと忘れておりましたからねぇ…。
店頭の蒲焼きのポスターで、ご飯を食べてみますかなどと、冗談を言っていられるのも今の内…『おやじぃ』自身が信じられない今、若者たちは何を信じて生きれば良いものやら?
#戦争反対 銃を撃ったら銃身がすり減る。ミサイルを発射したら大金が吹き飛ぶ…世の中、ケチばかりだったら戦争も起こらないかも?