世の中はいつも、変わっているから 頑固者だけが、悲しい思いをする
変わらないものを、何かにたとえて その度崩れちゃ、そいつのせいにする
シュプレイヒコールの波、通り過ぎてゆく 変わらない夢を、流れに求めて
時の流れを止めて、変わらない夢を 見たがる者たちと、戦うため
「世情」より抜粋 作詞・作曲 中島みゆき
ひとりの田舎者が、声を大にして叫んだとしても何も変わらない。社会の矛盾に矛先を向けて、巨大な何かと戦おうとしても、仲間たちは、最後に大企業や中央会や公務員という盾の中に紛れ込んでいったのであります。結局、変わっていく者は自分自身であり、薄っぺらな知識と議論とで、何かにいつも青白い怒りというエネルギーをぶつけようとしていただけかもしれません。
東小金井南口商店街の人々の暖かさと寮のおばちゃんたちに支えられ、何とか寮委員を勤め上げました。何だかんだとドタバタ劇を繰り返し、実は欅寮の寮長まで務めることになるのですが…。寮委員としての経験は、時として自己矛盾に気づく場面が多々ありました。寮食のおばちゃんは、国家公務員(栄養士)、大学雇い(嘱託契約)、学生雇いの三種類の職給があり、学費値上げ反対と叫ぶ一方で、19歳の学生が労務管理をしなければならないという事実にぶち当たるのであります。職安に求人を出したり、職員の慰安旅行を段取りしたり…、そして、内容証明郵便で呼び出され、弁護士と面談することになったり…。
大学2年の春は、思いも寄らない事件、事故の連続でありました。新入寮生を追いかけて、家出してきた高校生(♀)、入学から僅か一週間で、自室で自殺してしまった獣医の新入寮生。家族不和を理由に、寮の4階から飛び降り自殺してしまった清掃会社の社員。二十歳の学生にしては、途轍もない経験を積ませていただきました。
かつての寮長室だった101号室も、今では中壁で仕切られエアコンが導入されて、個室化が進んだようであります。当時だって、男4人のタコ部屋よりは個室の希望が多かったし、時代の流れなどと言うものではなく、当然の帰着というものでありましょう^^;
学びに生きる者を学生と呼ぶ…いや、私の場合は、生き方を学びに学生となったのである。年々、値上げされる授業料…何故か私立大学との格差是正が、文部省の表立った理由のひとつでありました。国立大学の学費が、私立大学並みに引き上げられたら、田舎の貧乏な家庭の子息は学びの機会を奪われてしまう。「そんな貧乏な家庭だったら、初めから大学に進学しようなんて思わないんじゃない…。」(同級生♀)いくらクラス内でオルグをしても、神奈川県出身の彼女との考え方の違いは埋まりませんでした。「授業料値上げに反対する署名活動、学生ストライキ、日比谷公園に集結してはデモ行進…日和見活動家も少しは、学生運動に参加したのであります^^;
学部長交渉で、寮内の設備改善を申し入れたり、学費値上げ反対闘争の一環でのストライキの最中に『金大中氏拉致事件の真相究明を求める緊急決議』が全学連より提案された時、「今回のストは、授業料値上げに反対し確立したストである。このドタバタに乗じて、何の議論も関係も無い金大中氏の問題を持ち込む全学連の姿勢に断固抗議する…。」寮長として筋を通したのは、これだけかもしれない。後は、授業も受けずに部屋で寝ていたような気がする^^;
「チャーハンと卵スープ」で腹がはち切れそうになった中華料理店『千成(せんなり)』は名称が変わり、この様子では経営者も変わったのでありましょう。マスターにコーヒーの入れ方を教えてもらった『マトリックス』は、流行りそうも無いカラオケ屋へと変わっておりました。変わらないのは「新鮮なお付き合い~♪」の『スーパーいなげや』といつまでもガキのような心を持ち続ける自分というオヤジ…。
帰りの車窓から、大学3年生の時からお世話になった埼玉県久喜市駅周辺と埼玉県園芸試験場(現:埼玉県農業総合研究センター園芸研究所)の流れる景色に納めながら、私は山形に戻ったのであります。遠い昔に何が起こったのか忘れてしまったかの如く、また、無く食わぬ顔で、食うための仕事に戻るのであります。
『ダイイチ ケヤキ シゲレル』とは、地方出身の学生に合格通知をいち早く伝えるための、ラグビー部の打電アルバイトの電文…今では、地方でもインターネットで合格を知ることが出来るのでありますけれどね^^;
いつかまた、第2の故郷の思い出を綴ってみたいと思います。(第一部終了~^^;)