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その日暮らし

田舎に暮らすこの虫は「カネ、カネ、カネ」と鳴くという。

雲と自由が棲むという里で百姓に成りきれるかな?

広くて狭い…

2022-12-11 07:50:31 | 転職

同居猫『シロ♀』のお手伝いですが…^^;

『おやじぃ』が必死こいて年間作業時間の集計作業をしているというのに、彼女は『おやじぃ』の膝の上で、さらには「ワンクリック」で日々の飯代を稼いでおります。(効率の良い『お仕事』とは、こういうものである^^;)
はてさて、サッカーW杯…連覇を期待されていたブラジルが、PK戦の上、日本も惜敗したクロアチアに敗れてしまうなど、日々、話題に事欠きません。ネイマール選手の涙が印象的でもありましたけれど、彼は「The King of Football」と呼ばれる『ペレ選手』と並び、代表最多の77得点目を上げたようであります。『おやじぃ』が子どもの頃は、やっぱり、ブラジルの『ペレ選手』であり、西ドイツは『ベッケンバウアー選手』が有名どころだったかな。(日本の場合は「釜本選手」を外せない^^;)
『野球』(この場合、下手くそな『おやじぃ』たちが経験した球技は「やきゅう」とは言わず、『のだま』と呼ぶらしい。)の場合、ゴムボールと稲杭を切って作ったバットがあれば、耕作前後の田んぼで幾らでもやれた。『尾崎将司さん』によって、ゴルフブームが起これば、『野球』に飽きて、稲杭を抜いた穴を『カップ』に見立て、『ゴルフ』を楽しんだのでありますよ。(元々、ゴルフは、イギリスの牧童たちの暇つぶしという説もあるから、オシャレなんかしなくても、これで十分なのである^^;)
しかし、サッカーはというと、ボール一個あれば良いはずなのだけれど、それで遊んだ記憶がとんとないのでありますよ…適したボールが無かったから遊ばなかったのか、まだまだ、マイナーなスポーツだったからマネしなかったのか?メキシコオリンピックでは、銅メダルを獲得したというのにねぇ。(かなり、古い話題である^^;)


3年半で『ペレさん』の記録に到達する^^;

実は、今朝一番の驚きは、『ペレ選手』は愛称であり、「エドソン・アランテス・ド・ナシメント」が本名であるということを知ったこと。(この一件だけでも、『おやじぃ』が俄かサッカーファンであることがバレてしまうのであります^^;)彼の生涯得点は、実働22年間で、公式戦、親善試合を通算して1,284点(1,281点)とされているようであります。(Wikipediaの情報だから、数値もズレがある^^;)
今さら、『おやじぃ』が、この記録に挑戦する訳もありませんが、毎晩「なべ焼きうどん」を食べ続けても、3年半掛かる計算である。センターフォワードというポジションと当時の戦術ということもあるけれど、『サッカーの王様』にとっては「ゴールマウス」が広く見えたに違いないなどと思うのでありますよ。
翻って、今、話題のPK戦…ゴールキーパーの身長が高く、腕が長いということもあるだろうけれど、同じサイズのはずの「ゴールマウス」が狭く感じるから不思議である。弱っちぃ『おやじぃ』は、『精神論』とか『根性』という言葉が好きになれないのだけれど、何故かしら感じてしまう『威圧感』^^;
同じ『入口』でも、広く感じれば入りやすく、狭く感じれば入りにくいに違いない。(『精神論』が嫌いと言いつつ、これって、やっぱり『精神論』だわなぁ^^;)
はてさて、本日は、集落神社の『年越祭』、そして、午後からは5回目のワクチン接種の予定であります。コロナ感染者増加の間口は広かったけれど、出口はかなり狭いようでありますなぁ。

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大黒様のお歳夜

2022-12-10 09:16:05 | 転職

「みかん」でも食べながら…

今では一般的に『米俵に乗って、大きな福袋を肩に掛け、打出の小槌を持った』姿の「大黒様」は、江戸時代に作られた造形であり、元々はヒンドゥー教の「シヴァ神」(マハーカーラ)の異名なんだそうですねぇ…。(「マハー」…大、「カーラ」…黒で、大黒ねぇ^^;)そう言えば、我が家の神棚にも、『米沢笹野一刀彫』の「大黒様」が祀られていたような気もするが…。ふくよかで微笑みを湛えたお顔で表現されるから、財福の神と思われがちであるけれど、『元神様』は軍神であったらしい。12月9日に山形県北部の庄内地方では『大黒様のお歳夜』として、焼いた鰰(ハタハタ)をお供えし、商売繁盛、子孫繁栄をお祈りする行事があるようですが、南部の置賜地方では、食文化の違いでしょうか?そうした風習はないのであります。また、ハロウィンでもないこの節に、大きな袋を肩に掛けて街中を闊歩したならば、不審者として即座に「職質」されるに違いない…「私は、大黒天です!」とか「少々気の早いサンタクロースです!」なんて言い訳したところで、容易に信じてもらえないと思いますけれどね。本来は、子どもたちに夢を与える役割も、田舎でも「お帰りなさい。」と声を掛けただけで『声掛け事案』として報告されてしまうのでありまして、物騒な世の中がそうさせるのか、人のつながりが薄れてしまった結果なのか情けない限りでありますよ。
あらあら、早い早い。師走12月に突入したと思ったら、もう残すところ3週間…NHKの「紅白歌合戦」が第73回を迎え、テレビ東京の「年忘れにっぽんの歌」が第55回を迎えるようであります。(山形県では映らないけれど^^;)そうそう、「年忘れ」…今年は何を忘れ去ろうかなどと考えておりますが(笑)


今夜もやっぱり『なべ焼きうどん療法』

「あれれ?オラ掛け算が出来なくなった?」…表計算ソフトを多用した結果、頭が混乱して人工数と時間数を掛け合わせた答えが総計に合わない!(その時は、結構あせっていた^^;)なんてことは無い、「各々の人工数と時間数を掛けてから合計する」ところを、『人工数の合計と時間数の合計を掛け合わせる』という『加重計算』をしていたようである…やっぱりおバカになっている^^;
他人に言えば「笑い話」で済ませることも出来るけれど、結構あせったのよねぇ…集計作業の最初の段階だったから。(やっぱり、このお仕事は早々に辞退することにしようなんてね^^;)だったら、今の『おやじぃ』に何が出来るの?と問われると、今となっては、目立ったキャリアもなく、運転免許証しか『資格』がないから、『華麗なる転身』など望める訳もない…それでも生活費は稼がなければいけないしねぇ。
はてさて、『晩酌会』改め『終活会』の話題は、『華麗なる転身』…現在の事業では『儲け』も薄く、将来が見通せないから、『新たな事業展開』を考えるとのこと。まずは、キッチンカーで『なべ焼きうどん店』の開業を…。(季節的な制約が大き過ぎるような気もするが^^;)現在の原価計算の結果は200円…材料費を3分の1に収めることにしても、最低販売価格600円。コンビニの「なべ焼きうどん」は、凡そ450円だった。調理に時間がかかり、回転数が悪すぎるetc.なんてね。『夢』を語っている内は良いのだけれど、現実を冷静に見つめ直すと課題が多過ぎる。この際、『大黒様』の袋の中に手をねじ込んで、アイディアの『ネタ』でも入っていませんかと強奪を図る^^; どうやら、不景気で袋の中から出て来た答えは『ノープラン』のカード…『華麗なる転身』は『加齢への転進』のようである。折角だから、年末に忘れるべきは『お歳のことは忘れましょう。』ということで、良いお年の『おやじぃ』たちがワイワイガヤガヤやっているのも良い『終活』だったりして(笑)

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青春群像劇…

2022-12-09 08:54:03 | 転職

家族たちはサッサと前を行く^^;

何かに急かされて生きている訳でもないから、漫然とその日、その日を過ごしていたら師走、12月でありますなぁ…。そろそろ、事務室の大掃除でもして、軌道修正をしようと思っていた矢先に、ネットの無料配信ドラマに見入ってしまいましたよ。「オレンジデイズ」…妻夫木聡さんと柴咲コウさん主演の青春群像。グレーのスーツに身を固めたうだつの上がらないサラリーマンと青春を謳歌する学生たちの中間点、就活期の学生さんたちのお話でありますが、放送は2004年のお話であります。18年前…『おやじぃ』は、ドラマで揶揄されるようなサラリーマンではなく、仕事(プロジェクト)も順調に軌道に乗っていた頃と思うのだけれど、ふと今振り返ると、一体何をして来たのかと少々後悔が残り、その『後悔』とは、壮年期には、学生時代の生き方を『後悔』し、前期高齢者層を前にした中間点では、その壮年期さえ『後悔』してしまう日々のような気がする。決して後戻りなど出来ないことは分かっているのに、もう少しだけ『違った人生(選択)』もあったのではないかなんてね…。それはそれでアリかも知れないけれど、『その時』は、精一杯生きていたに違いない。今まで、先頭で引っ張り、支えて来たはずの家族でさえ、参道をどんどん先に進んでいく…これからは、若者たちの時代なのだから、『おやじぃ』としての役割はひと通り終えたということにいたしましょう。残った時間は、思い切り『脇道』に反れながら、今まで前ばかりを見て気付かなかった『モノ』でも探すことに徹しましょうなどと思っておりますけれど…今までもかなり『脇道』に反れた生き方をして来たはずだが(笑)


今夜の前菜も「ブリ大根」…そして^^;

「これからは『晩酌会』を改め、『終活会』に名称を変える。」…友人『ノロ社長』が突然宣言する。「終活」とは、自らの死を意識して、人生の最期を迎えるための準備作業ではあるけれど、彼の言う『終活』は、「これからの残り少ない人生を如何に楽しく生きるか。」ということにあるらしい。曰く、『一升瓶に残り2合の酒しか残っていないと考えるか、まだ2合の酒が残っているか。』と考えるかの違いでありますなぁ。『おやじぃ』が思うに、彼の場合は、常人が味わう『一升分(一生分)』の酒(人生)を味わい尽くしたはずであると思うのだけれど^^;
さて、世の中、物価高倒産が増加しているようである。農業法人もまた、倒産の憂き目に遭っている。資金繰りさえ付けば、赤字であっても経営を続けることは出来るのだけれど、『親』からの受注件数が減り、製造原価は上昇しても、納品価格に転化できない。賃金上昇で、好条件の職種に人が流れて慢性的な人手不足etc.…コロナ禍ばかりでもありますまい。時代遅れの企業は撤退しなさいも結構ですが、『小』が潰れて『中』が生き残れる訳もなく、『大』は果たしてどこへ発注するのやら?これまた『時代遅れ』の考え方かも知れませんけれどね。『一升瓶に残る酒(中小)』はいつまで持つことやら。「寄らば大樹の陰」も『大樹に陰り』が出て来てはにっちもさっちもなんてね。
『ドブネズミ色』の背広を揶揄するようなサラリーマン像から始まる「オレンジデイズ」も、『炎の色』が示す温度はまだ低い…『オジSUNず』が『終活会』を催して、最後に『青白い閃光』を放つことが出来るだろうか?「青春群像劇」ならぬ『老年群像劇』の始まりでありますが、何の『戦功』も上げることなく、『閃光』を放つ前に『線香』を上げられることがオチだったりして…まだまだ(笑)

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食わず嫌い…

2022-12-08 09:14:20 | 転職

かれこれ2ヶ月続いておりますが…

友人『ノロ社長』の『なべ焼きうどん療法』…飽きもせず、身体を張って研究を続けて来た成果は?前回、彼が受診した際に血圧が下がっていた。なるほど『おやじぃ』たちの諫言により、味付けも以前から比べれば塩分濃度は抑えられている。炭水化物、脂質、タンパク質と栄養バランスも取れているように思えるのだけれど、決定的に不足する物…繊維質の量が少な過ぎる。結果、『おやじぃ』は、朝、『ブツ』の硬さに苦労しております^^; 歯が悪くなってからは、家族が食べるサラダという生野菜が食べられないのでありまして、「なべ焼きうどん」に限らず、日々の食生活での繊維質が不足しているようであります。酒の量も減っている(減らしている)ような気もするけれど、一方では、以前なら胸やけした「あんぱん」などの菓子パンを間食するようになり、体質が変わったのだろうかなどと思っておりますけれどね。
『体質が変わる。』…未だに変わらないのは『増税路線』。さすがに来年度は『見送り』という見解が示されておりますけれど、これまた、来年春の統一地方選をにらんだものですかねぇ…。一般家庭であれば、不足する財源(家計費)は、独自で稼ぎなさいということになるのだけれど、物価は上がっても手取りが目立って増える訳でも無く、ならば必要なものに絞って買い物をするということになるのだけれど、何が必要かも論議しないで、防衛費枠だけが先行して決められていくという不可思議なことがまかり通っている。ウクライナ侵攻、北朝鮮のミサイル発射など、連日、聞き馴らされると反対の声も少ないとは思いますが、本来は「何が必要か」を見定める必要があると思うのでありますけれどねぇ。


一生涯、勉強の連続である^^;

仏教語でいうところの「無学」であるはずの「阿羅漢」さんも、未だに『経文』を読んでいらっしゃる。幼児の『脳みそ』は、乾いたスポンジのように水(知識)を吸い続けるのでありまして、「何で?」「何で?」を連発されると、大人の方が根負けしてしまいますなぁ。こと、大人になって「何で?」「何で?」を連発したならば、『面倒くさいヤツ』と鼻つまみ者にされるに違いない^^;
はてさて、受託しているアルバイト作業で、「集計金額が少ないのではないか?」とのクレームが1件ありましてね…『報告書通りに集計した。』という思いをジッとこらえて、「再度、確認してみます。」と応えた。大体ねぇ、PC集計しているから誤りはないなどと考えるのが大きな間違いの始まりで、プログラムミスや元データに誤りがあれば当然結果も違ってくる。『答え』は一目瞭然で、2頁分の報告分が集計表から抜けていたのでありますよ。(意固地になって、『間違いない。』などと言い放たなくて良かったよかった^^;)こうした誤りに気付けば、次回は集計の際に『補助頁』を作れば解決できそうでありますよ。日々、『衰え』を感じる己に対して素直に向き合い、『補助具』を使うことも必要かも…お天気にもよるけれど、新聞の字がほとんど読めなくなったもの^^;
欠けていくものを補い、日々を平穏に暮らす…『防衛費』もまた、『食わず嫌い』で語るのではなく、何が欠けているのかをそろそろ考えなければいけないのかも知れない。『銃後の護り』とばかり、剣道有段者の友人『ノロ社長』と『竹槍』を構えても、『塹壕』ひとつ満足に掘れない『おやじぃ』たちでありますからねぇ(笑)

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耄碌する^^;

2022-12-07 09:55:20 | 転職

「鰐口」を調べていたんですけれど…

神仏を参拝する際に、鈴や「鰐口」を鳴らすのは、「オラ、お参りに来たぜ!」と神仏に来訪を告げるためではなく、邪鬼を祓うためらしい^^; そうそう、全知全能の神仏が、衆生の民を救済するのに、響き渡る音やお賽銭の多寡で区別、差別するとも思えない。区別するのは、神仏に仕える『人』である…。
我が町の観光客数調査(山形県公表)では、年間120万人程とされており、その多くは学業成就の神様(仏様)である「亀岡文殊堂」を訪れているはずである…皆で「鰐口」の紐を引っ張って音を鳴らすから、落下防止のために「紐」が取られちゃっていた。『困ったときの神頼み。』などと言われますが、『困る前に良く勉強しておくように…。』などと標語でもあったならウケそうである。自分自身の日々の生活ぶりは置いておいて、『困ったときにだけ』お参りに来られても、神様仏様だって『困ってしまう』に違いない。今、国会で審議されている『救済新法』は、『法人等による寄付の不当な勧誘の防止等に関する法律案』という名称らしい。受験生やその家族だって、『試験の合否によって、その将来が決まってしまう。』などという不安定な精神状態にあるならば、『お賽銭10,000円以上で合格確定!』などと勧誘されたら迷わず払う方も居たりして…。(御祈祷料なんてのもあるからねぇ^^;)『合格(五画)鉛筆』『合格米』etc.…と神仏に頼った商売だってありましてね、それが『マインドコントロール下』の喜捨なのか、『自由意志』での喜捨なのか金額の多寡の線引きや精神状態の有り様を推し量るということは、とても難しい問題だと感じる『おやじぃ』ではありますけれどね。


今夜もノロ社長の『なべ焼きうどん教』…

「信じています。」と口から吐き出せば、清浄な言葉のようにも思えるのだけれど、聞きようによっては『貴方任せ』の感が否めない。昨日、お給金を頂いたお礼に、お歳暮代わりにウイスキーを一本差し入れたのだけれど、「ろくに仕事もくれないから、接待交際費を使って、お仕事を貰いたい。」と冗談を言ったら「ろくな仕事とは何事か…楽な仕事なのに…。」と友人『ノロ社長』は聞き間違えた^^;
「碌(ろく)✕」で「陸(ろく)」が正しい漢字らしく、「陸(ろく)」とは「平らなこと」「正常、まともなこと」を意味するらしい。『おやじぃ』を「耄碌爺」扱いする友人『ノロ社長』ではあるけれど、彼も耳も『来てます。きてます。』…いや、これもまた、歯の無い『おやじぃ』の発音が悪いせいだろうか?ちなみに「耄碌」の「耄」は、「ぼれる」と読み、年老いてぼんやりすることを意味するらしい^^;
はてさて、今さら加持祈祷の類で、受験合格を祈願する歳でもなく、商売繁盛を願うほどの事業をしている訳でも無い。せいぜいが『家内安全』を祈るのみでありますが、こうして、平穏無事でぼんやり生きていられることが幸せなのかも知れないと感じる『おやじぃ』でありますよ。
神様仏様に手を合わせるのは、清純無垢な心の一瞬が得られるから…神様仏様が、窮状から救ってくださるなどと考えてはいけない。ましてや、「相分かった。」とか「賽銭が足りない。」などと神仏の声が聞こえたことなどないのだから…聞こえたとすれば、それは『おやじぃ』が、それこそ「耄碌」したか、「人の声」を聞いたに違いないと思うのでありますけれどねぇ(笑)

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ひとつの壁…

2022-12-06 09:27:47 | 転職

「十六羅漢」の一体…「第七 迦理迦尊者」かなぁ?

サッカーW杯「クロアチアvs日本」戦、延長、PK戦の結果、ベスト8ならず…残念でした。先制したものの、『足がボール(地)に着かない』というか、敗れる時というものは、大方こんなものだろうと、やけに納得している『おやじぃ』であります。トップ世界との大きな差(壁)をまた一枚感じたところです。
さて、年末年始の混雑を避けて帰省した二女の『も~ちゃん』も東京に戻る…彼女の住所は、既に東京に置いているのだから、『戻る』というよりは『帰る』という表現が正しいのかも知れない。高々4年間を東京で暮らした『おやじぃ』ではあるけれど、大学の4年目には、寮のある駅に降り立ったときに『帰って来た』という思いがあったもの…そんな遠い昔のことを思い出しております。
はて、久し振りに帰省した二女に何かご馳走を…あまり美味しく感じない『東京のラーメン』よりは、地元のあっさり系の『米沢ラーメン』でもと、家族を誘ったところでありますが、学問の神様(仏様)で有名な「亀岡文殊」に行きたいとオッカーが言う。何で今さら?どうやら二女『も~ちゃん』の職業にも国家資格が導入されるらしい。『国家資格』などと聞くと、またぞろ財団法人でも設立し、官僚の天下り先を確保するのかいな…と斜に構える『おやじぃ』でありますよ。それでも、国家資格を得れば、お給金に影響するかもなどと俗な煩悩が湧き出しまして、久し振りに『学問の仏様』に手を合わせたのでありますけれどね^^;
『アラ還』にして、既に学ぶ意欲を失っている『おやじぃ』でありますから、文殊菩薩の本堂よりは、参道の「十六羅漢像」が気になりまして、一体々々数えている。「確かに十六体あった。」風化している中でも特徴的な『羅漢様』を一枚なんてね…。


記憶とは違った味でしたけれど…

『羅漢様』の傍らにいるのは、タヌキかクマか…古代インドで、狸・熊の類もあるまいに^^; 調べてみると「第七尊者 迦理迦尊者」は「左手で虎を撫でている。」という記述がヒットしましてね…「迦理迦尊者」を彫ったものに違いないと勝手に決めつけた『おやじぃ』であります。「学」を修め、もはや修学するものがなくなった者を仏教では「無学」というらしい。俗世では「無学」を学問・知識がないことを指すから大違いでありますなぁ…。ただし、「無学」でない者が「無学(阿羅漢)」を名乗ることは、永久追放の対象となるとのことであるからややこしい。「学」を修め、悟りの境地に達すれば、どう猛なトラさえすり寄って来る…家庭内のどう猛な『トラ』一匹さえ、手懐けることの出来ない『おやじぃ』は、悟りの境地など程遠く、手っ取り早い『諦めの境地』に達するのでありますが、本質は『諦め』ではなく『無視されている』のが正解かも知れないなぁ(笑)
はてさて、参道から脇道に反れず、「亀岡文殊堂」の本堂では…「普賢菩薩は貧乏で、文殊菩薩に宿を借りている。」と亡き祖母が言っていたような^^; 本堂裏に、「丑寅虚空蔵」「辰巳普賢」「未申大日如来」が祀られているんですなぁ。我が子三人、こちらで手を合わせれば、『守護本尊』を同時にお参りすることが出来るんですなぁ…果たして、「普賢菩薩」が貧乏だったかどうか事の真偽は分からないけれど、家内の安全を祈ったところでありますよ。これまた、脇道ですなぁ…「文殊菩薩」が願掛けの本筋である!ありがたいことに、我が家では「亀岡文殊堂」にお参りしているから、それぞれが受験には失敗していない。受験に失敗していないのではなく、身の程を知っているから失敗しない学校を選んで来たといった方が正解かも。「受験」も『ひとつの壁』かも知れないけれど、どこまでも続く『学びの道』…学ぶ姿勢が大切なのかも?



 

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一家団欒…『猫鍋』

2022-12-05 08:26:07 | 夢屋工房

今夜は飼い猫で「お出汁」をとってみました^^;

年末年始には、首都圏に出て行った叔父たちが帰省し、束の間の休暇を我が家(実家)で過ごしたものである。時が経ち、お嫁さんが加わり、子ども(従妹弟)たちが加わり、そりゃ~賑やかでしたわなぁ^^;
故郷に帰り、お袋(祖母)に元気な顔を見せ、また、成長する孫たちの顔を見せる。時として、夏休み、冬休みの旅行としての意味合いもあったかも知れない。その子どもたちも成長し、お袋(祖母)が他界し、兄(親父)も他界すれば、当然、足も遠のくものである。(叔父たちも高齢となり、移動が容易ではないという理由もある。)『おやじぃ』は、人が集まればうれしい限りでありましたけれど、それを支えるお袋(母)は、休みにも関わらず料理を算段し、大人数の布団を準備し、休む暇も無かったに違いない。(いわゆる長男の嫁というやつでありますよ。)
世代が変わり、今では『おやじぃ』が娘を迎える立場となってしまった…それぞれ、未だ結婚していないから、集まるメンバーは今のところ肉親だけということになるけれど^^; オッカーも帰省した二女『も~ちゃん』を歓待するために台所に立っているけれど、『他親』が加わらない分だけ必要以上に気を使う必要もなさそうである。『おやじぃ』は少ないお小遣いから奮発して「しゃぶしゃぶ」などご馳走しようかなどと提案したのだけれど、明日、東京へ戻る娘に用意した晩餐は「鶏団子鍋」、「お寿司」に「数の子豆」、まるで『お年越(大晦日)』のようなご馳走でありますよ。鍋の蓋を開けたら、「鳴門巻き」ならぬ「にゃると巻き(伏見蒲鉾)」が出て来た…彼女の茶目っ気が出る料理でありますなぁ(笑)


『お出汁』にされなくて良かったねぇ^^;

夏は冷蔵庫の上、秋には『おやじぃ』のお腹の上、そして、今は『おやじぃ』のオマタの間で眠ることが定番となった同居猫の『シロ♀』であります。寒さが増す度に、眠る場所を変え、布団の間に潜り込むことも…早いもので3度目の冬を迎えることになりますよ。子猫(ノラ猫)の時は、『おやじぃ』にも牙(乳歯)を剥いていたのだけれど、母親にも捨てられてしまい、餌だけは続けてくれる『おやじぃ』だけには懐いたようでありますよ。(今でも、他人は不得手なようである^^;)
『シロ♀』『クロ♂』『ブチ♂』という仮初めの名前を付けて、子猫三匹を引き受けたのだけれど、『ブチ♂』は幸運にも貰い手が現れ、今では『風太♂』として可愛がられているはずであります。『シロ♀』にも貰い手が付いたのだけれど、飼い猫を失い、その方は傷心のため飼うことを見送られた。最後に残るのは、運動オンチの『クロ♂』だろうと覚悟したのでありますが、2年目の雪の降る夜に出掛け、二度と帰ることは無かったのであります。(三週間ほど事務室を空けたことがあったので、その内帰ってくると思っていたのにねぇ…雪の用水路にでも落ちてしまったのか、今でも分からない。)結局、三匹のノラ子猫の内、『シロ♀』が残る結果となってしまったのだけれど…。
はてさて、我が子どもたちが、それぞれに成長し、今後は独力でやってくれるものと思っており、最期は見送ってくれるものと信じているのでありますが(それが順番というものである^^;)こと『シロ♀』に関しては、少々怪しげな雰囲気になって来た。(何とか最期を見送ってやりたいとは思うのだけれど…。)「これからは生き物(ペット)は飼えないな。」と思いつつ、『癒し』を与えてくれますからねぇ…。
親子水入らずの一家団欒…いつまで続くことやら?こういうことを言う『輩』に限って、ジトジトと長生きするのも世の常でありますけれどね(笑)

 

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お袋の味…

2022-12-04 08:43:58 | 転職

今夜のお通しは「ブリ大根」から^^;

『おやじぃ』も『来てます、来てます。』…春先に「事業計画書」を官署に提出したはずなのだけれど、「許可書」「承諾書」の類さえ見当たらない。こりゃ~前年度の「完了報告書」を提出したことと取り違えているのだろうか?記憶があいまいなまま、官署からの通知文書を整理し直し、文書を綴ったはずのファイルを見直してみましたよ。「あった!」…原因は、年度当初に届いた前年度の「完了報告書(控え)」を綴り直すために、文書の最初に仮綴りしたため、それ以前の文書を全て「完了報告書」と勘違いしてしまったようであります。(同じような改良事業をしているから、中々区別が難しい^^;)しかし、根本的な原因は、いわゆる『ハンコ行政改革』で、公文書にも「公印」が省略されている…事務連絡箋も公文書も、一瞬で見分けがつかないということにもあるようだ…。(公文書には「公印」があって当然という習慣が全身に染みついているようでありますなぁ。もっと言えば、文書整理が出来ていないということなのだけれど^^;)「事業計画書」さえ提出していれば、あとは、遅れた「完了報告書」を作るだけ…午前中、外は強烈な『靄(もや)』に包まれていたのだけれど、午後には『おやじぃ』の不安な心も外の景色も晴れ渡りましたけど^^;
しかしなぁ…官署から届く「変更通知書」にも「公印」は無く、コチラから提出する「申請書」にも「印」は必要なし。重要な「契約案件」ではないという判断なのだろうけれど、ワープロ打ちの文章は、後からいくらでも「改ざん」できる。「契約」とは当事者の善意に基づく、意思合意を示すものだから「自署」すらない契約書が有効なのだろうかと少々疑問が湧く『おやじぃ』でありますよ。『判子』の無い国だって、サイン(自署)が意思表示だと思うのだけれどねぇ…。


今夜も飽きずに『なべ焼きうどん』…

さて、二女の『も~ちゃん』が帰省しているというのに、晩酌会に参加している『おやじぃ』であります。「そういう態度だと、死んでも湯棺の際に身体を拭いてもらえないぞ。」と悪態をつく友人『ノロ社長』でありますが、元々の呼び出し犯は彼である!(と、文書整理も晩酌会参加の悪癖も、総て他人のせいにする『おやじぃ』であります^^;)
さて、お通しの「ブリ大根」をいただきながら、『おやじぃ』にとっての『お袋の味』とは何だったろうかと考える。子どもの頃は『ブリのざっぱ煮』であって、画像のように上品ではなく、その匂いに辟易したものである。『棒鱈』『カラカイ(エイのひれ)』『高菜の煮物』と大鍋で長時間煮込み、やっぱり台所中が『異臭』に包まれることが度々でありましたよ。『沢庵漬け』など、弁当に入れられた場合など、教室中に『異臭』が拡がるのでありまして、『お袋の味』は、味ではなく『匂い』として記憶に残っているのでありますけれど…叔父たちは、それでも懐かしいと食べておりましたけれどね。
はてさて、二女『も~ちゃん』の場合は、『鍋』『ミートソース』『シチュー』と続く…「今日のお昼は外食でも…。」と提案したのだけれど、今日のお昼は『ひっぱりうどん』がご所望なのだそうだ。日頃、食べ慣れていて、何の変哲もない手作りの料理(オッカーよご免なさい^^;)が、彼女にとっての『お袋の味』なのかも知れませんなぁ。そうそう、日々、曖昧になっていく『記憶』に不安を覚える『おやじぃ』でありますが、『お袋の記憶』さえ、次第に曖昧になっていく。もうこの世にいない人だから、わざわざ悪態をつく必要もありますまい。『料理上手な人だった。』『優しい人だった。』と、自分に都合よく『記憶』を書き替えることにいたしましょう…ところで、最期に食べられるとしたら『お袋の味』に何を所望するのだろうか?出て来ない(笑)

 

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木枯らしに抱かれて…

2022-12-03 08:19:36 | 転職

『ドライ』か『ウエット』か…

1971年に笹沢左保が発表した小説「木枯らし紋次郎」では、口に咥えた長楊枝を吹き飛ばす時に流れる音が『木枯らし』のあだ名となったとされている。中村敦夫さんが演じた『紋次郎』は、ニヒルであり、世間との関り合いを避けるドライな役どころなのだけれど、何故かしら女人のドロドロの運命に巻き込まれてしまうのでありますよ。ドラマを観て、小説でも読んだ高校生時代の『おやじぃ』は、ニヒルを演じることが婦女子にモテる要素であると勘違いしていたのだけれど、それは只の『しょしぇがり(恥ずかしがり屋)』の為せる業であって、婦女子に関心を持っていただくためには、常に話題を提供するような立場にいないとモテないということに後から気付いたのであります。(実に、損をしたものである^^;)
『KYON2(キョンキョン)』こと歌手の小泉今日子さんは、「木枯らしに抱かれて」という曲の中で、少女の片想いを切なく歌い上げておりますが、残念、ニヒルを演じていては、手を差し延べることも出来ないのでありまして、また、手を差し延べたところで、想いは別の人にあるから、下手に関わったところで想いはコチラに向かうはずもなく…まぁまぁ「アッシには、関わり合いのないことでござんす。」とドライに振舞う方が得策という場合もありましてねぇ…。
そうそう『木枯らし』って何なん?「太平洋側に晩秋から初冬(東京では、10月半ばから11月末まで…気象庁)に吹く風速8m/s以上の北よりの風」とされているから、山形では『木枯らし』は吹かないことになる。確かに、気圧配置が西高東低で、北西の風が吹けば、山形では冷たい雨か雪になり、乾燥した風が『木枯らし』として関東地方に吹く訳だから、いくら『ドライ』を装ってみても、山形県民の本質は『ウエット』なのかも知れませんなぁ(笑)


鬼だって、鼻水を垂らしますけれど…

さて、受託アルバイトの金配りを終えて、お給金を頂戴し、定番の『なべ焼きうどん療法』にお付き合いしましてね、遅ればせながら『事業報告書』を作成しようとしたら、ベースとなる『事業計画書』が見当たらない…春先に作成し、ファイリングしていたはずなのだけれど無い…パソコン上にはデータが残っているのだけれど? 遂に『ボケ症状』が出始めたのだろうか?? 夏場にサボり過ぎて、書類の保管場所すら分からなくなってしまったようでありますよ。記憶があやふやというのも危なっかしい。
『記憶は常に自分に都合よく書き替えられる。』…誰が言った言葉かは知らないけれど、確かに、この春の記憶は、自分にとって良い方向で『格納』されているようでありますよ。はてさて、困ってしまった…こうなると、高校生時代の記憶も、『彼女が秘かに私に想いを寄せていたはずである。』などという記憶も、総てが自分にとって都合よく書き替えられた結果ではないのだろうかなどと、途端に自信を失ってしまうのであります。(かなり飛躍したお話になっている^^;)
初老期の『物忘れ』は、直近の記憶であって、遠い昔の記憶は、自分にとって『都合が良い』か『都合が悪いか』は別にして、しっかり『沈着』『定着』しているはずである…と自分をまず納得させないとなぁ。「それ、この前も言ったよ。」とか「おじいちゃん、何やっているの?」という言葉は『おやじぃ』には無縁の『呪文』と思っていたのだけれど、やっぱり『来てます。来てます。』^^;
ならば、まずは確実なことだけは思い出そう…『木枯らし』が吹くように、お財布がカラカラであることは確からしい。山形には『木枯らし』という風は吹かないらしいのだけれど、歳を重ねるということは、『ドライ』か『ウエット』かに関わらず冷たい風が吹くようでありますよ。「加齢」という老化現象に正しく向き合わなけれないけないなぁ(笑)

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白紙に戻す…

2022-12-02 08:24:36 | 転職

「うどん」改め「味噌ラーメン」…?

本日、友人『ノロ社長』は大忙し…県内の荷下ろしと明日(未明)には新潟県まで遠征しなければいけないようであります。彼の『なべ焼きうどん療法』へのお誘いと、お給金のお支払いの打診があったのだけれど、夜中の出発で飲めない彼の前で晩酌するのも如何なものかと思いまして、やんわりとお断りいたしましたけれどね。ましてや、二女『も~ちゃん』が東京から帰省するとのことだから、久し振りに家族そろって鍋をつつきましたよ^^;
年末年始の混雑を避け、同僚の休みと調整して帰省するのだろうけれど、何故か彼女が帰って来ると「雪が降る。」…長女『有季菜先生』は、彼女のことを『雨女』ならぬ『雪女』と呼んでいるようだけれど、未だ出逢ったことのない『雪女』は、色白で痩身の美女でなければいけない。(『おやじぃ』の勝手なイメージである。自分の娘に対して、親父がこき下ろす必要もない^^;)まずは、丸顔の『雪女』も合流して、家族がこの一年、大病、事故なく過ごせたことに感謝する『おやじぃ』であります。
はてさて、もう一匹の『雪猫』…『シロ♀』も事務室で『おやじぃ』を待っている。明日の早朝には、サッカーW杯「スペインvs日本」戦があるのだからと、そそくさと事務室に戻ってベンチ椅子で一緒に眠り、決戦に備えたのでありますが、前半11分でゴールを決められ、やっぱり『おやじぃ』は『疫病神』であると思い込み、テレビをつけっ放しで『寝る』という、『日本の必勝パターン』に持ち込んだのでありますよ。何故か堂安選手のゴールシーンで目が覚め、三苫選手のゴールラインぎりぎりの折り返しシーンを観ることが出来ました。後は、「ドイツvsコスタリカ」戦の試合状況で、決勝トーナメント国が、コロコロ変わる展開にハラハラドキドキ…「ドーハの悲劇」をテレビ観戦しているから、残り30秒まで気が抜けないなんてね。今朝はやはり興奮気味でありますよ^^;


決して「飲んだくれて」いた訳ではない^^;

さて、一進一退で他人の評価はコロコロ変わる。「引き分けならば御の字」と思っていた『おやじぃ』でありますが、得失点差で引き分けでは決勝トーナメントに進めないという理解不能なルールで一喜一憂し、元々E組からの進出は難しいという事前予想だったはずだから、ドイツ戦勝利での歓喜とコスタリカ戦での失望と、スペイン戦での大興奮と、やっぱりコロコロ態度が変わっておりますなぁ^^;
後は、監督采配への評価を『白紙に戻して』…また、トーナメント戦を応援できる。次はクロアチア戦かぁ…。
はてさて、『白紙に戻す』…かの中国では『白紙運動』が拡がっているようである。「白紙」は文字通り「白色の紙」なのだけれど、「もとの状態」という意味もあるらしい。この場合、「元に戻す」という意味合いよりも「白紙ならば、削除のしようがない。」という意図が込められているという説もある。(運動の解釈には諸説あり。)W杯の興奮をひとまずおさめて考えるに『おやじぃ』には、1989年の「第二次天安門事件」を思い出してしまうんだなぁ…。コロナ対策への不満、経済低迷への不満が取り沙汰されているのだけれど、若者たちの主張が、また、力によって弾圧されないか心配する『おやじぃ』でありますよ。(力による抑圧は、最後に敗れ去ると信じているのだけれど、代償としての犠牲がねぇ…。)
今回のW杯は、各組で『番狂わせ』が起こっているようであります。決勝トーナメント常連国が、予選で敗れるという波乱…各国の若手選手が、ヨーロッパリーグetc.で着実に力を付けている結果かも知れませんなぁ。『世界の勢力図』は、少しずつ変化しているのかも知れません。若者たちの力に期待する『おやじぃ』でありますよ…もう『引退』した身なのでね(笑)

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