「鰐口」を調べていたんですけれど…
神仏を参拝する際に、鈴や「鰐口」を鳴らすのは、「オラ、お参りに来たぜ!」と神仏に来訪を告げるためではなく、邪鬼を祓うためらしい^^; そうそう、全知全能の神仏が、衆生の民を救済するのに、響き渡る音やお賽銭の多寡で区別、差別するとも思えない。区別するのは、神仏に仕える『人』である…。
我が町の観光客数調査(山形県公表)では、年間120万人程とされており、その多くは学業成就の神様(仏様)である「亀岡文殊堂」を訪れているはずである…皆で「鰐口」の紐を引っ張って音を鳴らすから、落下防止のために「紐」が取られちゃっていた。『困ったときの神頼み。』などと言われますが、『困る前に良く勉強しておくように…。』などと標語でもあったならウケそうである。自分自身の日々の生活ぶりは置いておいて、『困ったときにだけ』お参りに来られても、神様仏様だって『困ってしまう』に違いない。今、国会で審議されている『救済新法』は、『法人等による寄付の不当な勧誘の防止等に関する法律案』という名称らしい。受験生やその家族だって、『試験の合否によって、その将来が決まってしまう。』などという不安定な精神状態にあるならば、『お賽銭10,000円以上で合格確定!』などと勧誘されたら迷わず払う方も居たりして…。(御祈祷料なんてのもあるからねぇ^^;)『合格(五画)鉛筆』『合格米』etc.…と神仏に頼った商売だってありましてね、それが『マインドコントロール下』の喜捨なのか、『自由意志』での喜捨なのか金額の多寡の線引きや精神状態の有り様を推し量るということは、とても難しい問題だと感じる『おやじぃ』ではありますけれどね。
今夜もノロ社長の『なべ焼きうどん教』…
「信じています。」と口から吐き出せば、清浄な言葉のようにも思えるのだけれど、聞きようによっては『貴方任せ』の感が否めない。昨日、お給金を頂いたお礼に、お歳暮代わりにウイスキーを一本差し入れたのだけれど、「ろくに仕事もくれないから、接待交際費を使って、お仕事を貰いたい。」と冗談を言ったら「ろくな仕事とは何事か…楽な仕事なのに…。」と友人『ノロ社長』は聞き間違えた^^;
「碌(ろく)✕」で「陸(ろく)」が正しい漢字らしく、「陸(ろく)」とは「平らなこと」「正常、まともなこと」を意味するらしい。『おやじぃ』を「耄碌爺」扱いする友人『ノロ社長』ではあるけれど、彼も耳も『来てます。きてます。』…いや、これもまた、歯の無い『おやじぃ』の発音が悪いせいだろうか?ちなみに「耄碌」の「耄」は、「ぼれる」と読み、年老いてぼんやりすることを意味するらしい^^;
はてさて、今さら加持祈祷の類で、受験合格を祈願する歳でもなく、商売繁盛を願うほどの事業をしている訳でも無い。せいぜいが『家内安全』を祈るのみでありますが、こうして、平穏無事でぼんやり生きていられることが幸せなのかも知れないと感じる『おやじぃ』でありますよ。
神様仏様に手を合わせるのは、清純無垢な心の一瞬が得られるから…神様仏様が、窮状から救ってくださるなどと考えてはいけない。ましてや、「相分かった。」とか「賽銭が足りない。」などと神仏の声が聞こえたことなどないのだから…聞こえたとすれば、それは『おやじぃ』が、それこそ「耄碌」したか、「人の声」を聞いたに違いないと思うのでありますけれどねぇ(笑)