ご当地キャラの『けーじろー』でありますが…
「花の生涯」…どこかで聞いたことのあるタイトルではあるけれど?1963年にNHK大河ドラマで放送された「井伊直弼」の生涯を描いた作品であるから、『おやじぃ』は観ている訳もない。(我が家には、白黒テレビも無かったなずである^^;)そうか!これも後から刷り込まれた記憶だわなぁ…2009年に上杉藩家老「直江兼続」を描いた大河ドラマが「天地人」であり、2008年にはスピンオフ作品「義風堂々 直江兼続」が漫画(花の慶次)として連載されているから、「前田慶次郎(前田慶次)」がドラマに登場していたらなぁなんて考えている^^;
ここは、山形県米沢市万世町堂森…真言宗「善光寺」の境内なのだけれど、「前田慶次郎利益(とします)」の供養塔が建てられております。(昭和55年建立)晩年を市井の人々と暮らし、「慶長18年6月4日病死す。」と米沢市郷土史料にあるらしい(別記録もある^^;)のだけれど、加賀藩史では会津で亡くなったとする説や慶長10年11月9日に亡くなったとされる史料もあり、どうも不明である。加賀藩前田家の系譜を持ち、武勇、文人として評価があっても、歴史上では『脇役』であるから、その生涯もそんな扱いだったに違いない。一方では、『脇役』であるからこそ、その伝聞を基に、イメージを膨らませる結果になっているとも言えますけれど^^; 使えるモノは、何でも使う…観光キャラクターである『けーじろー』も活躍しておりますけれどね。年末では恒例化している『忠臣蔵』を衛星放送で観ながら、ドラマ化、脚色化されて、脳内に刷り込まれてしまった『歴史(史実)』を考え直しているところでありますよ。
材料も尽きて今夜が最後かな^^;
友人(先輩)がコロナ感染症で亡くなってしまった。(え"~何で今…まだ若いのに…。)若い頃は、その武勇、酒量、食欲と豪快な人物だったのだけれど、この5年程は人格が変わったように変容してしまっていた。(病気や薬の影響とも思えるのだけれど…。)亡くなってしまった方の『悪口』を言っても仕方が無いことだから、恐らく彼の『花の生涯』は、『おやじぃ』たちによって『豪傑』として語り継がれるに違いない。『記録』として残される訳でもない市井の『史実』は、『記憶』として残っていく…。
そうそう『忠臣蔵』であった…祖母から繰り返し聞かされた『仮名手本忠臣蔵リメイク版』で、『義士』としてのイメージが頑なに定着してしまった『おやじぃ』であるけれど、中坊時代に「集団による殺人事件ではないか?」という指摘にイメージや『価値観』を粉々に砕かれた記憶がある。そもそも、「仇討ち」は江戸時代の武士階級では許されていたらしいけれど、深夜の『狼藉』に及ぶことが果たして『武士道』と言えるのか…なんてね。そのとばっちりは、上杉藩にも及び、当時の藩主「上杉綱憲」は「吉良上野介」が実父であるから、急を受けて派兵すべきだったはずであるけれど、家老職「千坂兵部」が諌止したと脚色化され(既に千坂は亡くなっていたとか?)、何かなぁ…腰抜け感が漂ってしまうんですけれど。
まぁまぁ、自分にとって都合の悪い部分は、『記憶の消しゴム』で消し去ってしまって、すべて、『花のある生涯』だったと語り継ぐことにいたしましょう。ロシアによるウクライナ侵攻が、今後にどんな書き換えが行われるかは分からない。早く終わって欲しいとは思うのだけれど…。