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蟋蟀庵便り

山野草、旅、昆虫、日常のつれづれなどに関するミニエッセイ。

千灯明

2005年08月03日 | つれづれに

 昼間の油照りの余熱がまだ境内に籠もっていた。心配していた風もおさまり、夕凪の中を次第に闇が落ちてくる。大宰府天満宮・夏の風物詩、「千灯明」の夜が来た。
 小学校3年生と幼稚園年長組の孫娘が、初めての大冒険。二人だけで空の旅をして羽田から飛んできた。二人は大人達の心配をよそに、何事もなかったように空港係員のお姉さんに連れられて改札口から降りてきた。
 折良く翌7月25日は天満宮の夏祭り2日目。早速家内が浴衣を着せ、早めの夕食を終えて出掛けることにした。参道裏の駐車場に車を止めて境内にはいると、幾つもの屋台が並び、縦横に張り巡らされた提灯の列の下に夏祭りの賑わいが弾けていた。氏子達や子供達の浴衣姿に、境内はいつにないざわめきの中にあった。小さな手を合わせて殊勝に参拝する孫の姿に目を細めたあと、茅の輪をくぐり、現在、過去、未来を繋ぐと言われる朱塗りの太鼓橋に上がった。蝉の姦しい鳴き声も鎮まり、盆踊りの音が消されて静寂が落ちる。氏子や子供達が描いた絵が灯籠に仕立てられ、参道の上に掲げられている。そういえば娘の絵が飾られたのは、もう何年前のことだろう。
 午後8時。打ち鳴らされる太鼓を合図に、心字池の周りと太鼓橋の欄干に取り付けられた数千本の蝋燭に灯がはいる。分けてもらった蝋燭に灯を移し替え、孫達にも点灯の経験をさせた。上の子は昨年の大晦日、山門脇の禅寺・光明寺で初めて除夜の鐘を撞く体験もした。35年住んだ太宰府で娘達が体験してきた行事を、こうして少しずつ次の世代に受け継いでいく。ライトが落とされた中で揺らぐ蝋燭の灯が心字池の水面に映え、幻想的な世界が夜の底に広がっていった。橋から眺め、橋を降りて眺め、池の畔を周りながら眺め、光の揺らぎはいつまでも飽きることがなかった。
 静止する電灯でなく、生きた小さな焔の揺らぎだからこそ広がる幻想の世界。いつまで「ジージ」「オバアチャン」と慕ってお正月と夏休みに来てくれるかわからないけれども、この静かな光の饗宴を忘れないでいてほしいと思う。
 半ば蝋燭が燃え進む頃、再び盆踊りの輪が蘇った。神官や宮司の家族も踊りの輪の中で笑顔を振りまいていた。そんな姿にカメラを向けて挨拶しながら、孫達の手を引いて輪の外を巡った。
 汗に濡れた肌を夜風が優しく撫でて過ぎる。梅雨が明け千灯明も終わると、太宰府の夏は一段と暑さを募らせる。2週間の孫達の夏休みがこうして始まった。
        (2005年8月:写真:大宰府天満宮・千灯明)

少年時代

2005年08月03日 | 季節の便り・虫篇

 「おじちゃーん!」お向かえの誠也クンの声がする。玄関を開けると、誇らしげに右手を挙げながら「ノコギリクワガタ!」と叫ぶ誠也クンがいた。4年生の虫キチだが、その知識は侮りがたいものがある。
 町内の子供達を集めて、毎年「夏休み・平成おもしろ塾」なるものを開いている。町内のお年寄り達が、ボランティアでお点前やお習字や大正琴を子供達に教える小さな塾なのだが、毎年身近な虫の話の特別授業をするのが塾長としての私の役割なのだ。子供達から「虫博士」と呼ばれて悦に入っていたが、誠也クンの博学に脱帽し、先年「虫博士」の資格を彼に譲ることにした。夏の間中、虫かごを離さない健気さが嬉しい。
 中学校時代、いっぱしの虫キチだった。学校の裏山に365日通い詰め、虫を追い続けた。何月のこの時期、この時間にここに立つと、こっちからあっちへ何々という蝶々が飛んでいく(これを「蝶道」という)ということを極めるまで詳しくなり、東京の大人の同人誌に投稿するほど虫にハマッていた。
 当時、昆虫少年は少なくなかったが、今みたいにあらゆる道具が揃っている時代ではなく、捕虫網、三角ケース、捕虫瓶、展翅台、ピンセット、標本箱など全てが手作りだった。当時のノートを開くと、その製作メモが克明に綴ってあり、豊かでなかった分、「創造の喜び」をほしいままにしている幸せが行間に溢れている。勿論珍しい虫を売りつける哀しい大人など存在しなかった。世の中が豊かになっていくにつれて喪われていったものは数限りない。
 夜中に起きて自転車で1時間の山の中に入り、樹液を溢れさせる櫟の木立を何度も廻って、30匹ほどのカブトムシやクワガタを箱一杯に詰めて薄明の中を帰って来たり、山中に泊まり込み、白いシーツを樹間に張り巡らせて、藪蚊に苛まれながらアセチレン灯で虫を集めたり、毎日が夢のように過ぎていった。
 しかし、標本箱の数を誇る期間は短かった。虫を殺せなくなった幾つかのキッカケがある。その一つ、中学卒業式を終えた早春の一日、まだ寒風が吹く太宰府・都府楼政庁址で、スカンポの葉裏に初めてベニシジミの幼虫を見付けた。淡いグリーンに優しいピンクを掃いた幼虫はあまりにも可憐だった。道端を小さな焔のようにチロチロと舞うベニシジミは、私の一番好きな蝶だった。雪に埋もれ、半ば凍結したまま冬を越すその幼虫の神秘に打たれ、やがて「採集」から「飼育」に転じた。大人になってからは300ミリの望遠レンズを着けたカメラで、野にあるがままの姿を追うようになって今に至っている。
 今、誠也クンの周りに昆虫少年の輪が出来始めている。この前も3人の悪ガキ共が「おじちゃーん、スズムシ見せて!」とやって来た。この夏、孫達が二人だけで飛行機に乗って横浜から帰省する際、虫かごを抱えてきた。5匹のスズムシが育ち、数日前から綺麗に鈴を転がし始めている。我が家の孫娘二人も、「虫愛ずる姫君」に育ちつつあり、元・虫博士としては、密かに快哉を叫ぶ日々である。
 夏の日差しには、「少年時代」への郷愁を誘う魔力があるようだ。
           (2005年8月:写真:ノコギリクワガタ)