昼間の油照りの余熱がまだ境内に籠もっていた。心配していた風もおさまり、夕凪の中を次第に闇が落ちてくる。大宰府天満宮・夏の風物詩、「千灯明」の夜が来た。
小学校3年生と幼稚園年長組の孫娘が、初めての大冒険。二人だけで空の旅をして羽田から飛んできた。二人は大人達の心配をよそに、何事もなかったように空港係員のお姉さんに連れられて改札口から降りてきた。
折良く翌7月25日は天満宮の夏祭り2日目。早速家内が浴衣を着せ、早めの夕食を終えて出掛けることにした。参道裏の駐車場に車を止めて境内にはいると、幾つもの屋台が並び、縦横に張り巡らされた提灯の列の下に夏祭りの賑わいが弾けていた。氏子達や子供達の浴衣姿に、境内はいつにないざわめきの中にあった。小さな手を合わせて殊勝に参拝する孫の姿に目を細めたあと、茅の輪をくぐり、現在、過去、未来を繋ぐと言われる朱塗りの太鼓橋に上がった。蝉の姦しい鳴き声も鎮まり、盆踊りの音が消されて静寂が落ちる。氏子や子供達が描いた絵が灯籠に仕立てられ、参道の上に掲げられている。そういえば娘の絵が飾られたのは、もう何年前のことだろう。
午後8時。打ち鳴らされる太鼓を合図に、心字池の周りと太鼓橋の欄干に取り付けられた数千本の蝋燭に灯がはいる。分けてもらった蝋燭に灯を移し替え、孫達にも点灯の経験をさせた。上の子は昨年の大晦日、山門脇の禅寺・光明寺で初めて除夜の鐘を撞く体験もした。35年住んだ太宰府で娘達が体験してきた行事を、こうして少しずつ次の世代に受け継いでいく。ライトが落とされた中で揺らぐ蝋燭の灯が心字池の水面に映え、幻想的な世界が夜の底に広がっていった。橋から眺め、橋を降りて眺め、池の畔を周りながら眺め、光の揺らぎはいつまでも飽きることがなかった。
静止する電灯でなく、生きた小さな焔の揺らぎだからこそ広がる幻想の世界。いつまで「ジージ」「オバアチャン」と慕ってお正月と夏休みに来てくれるかわからないけれども、この静かな光の饗宴を忘れないでいてほしいと思う。
半ば蝋燭が燃え進む頃、再び盆踊りの輪が蘇った。神官や宮司の家族も踊りの輪の中で笑顔を振りまいていた。そんな姿にカメラを向けて挨拶しながら、孫達の手を引いて輪の外を巡った。
汗に濡れた肌を夜風が優しく撫でて過ぎる。梅雨が明け千灯明も終わると、太宰府の夏は一段と暑さを募らせる。2週間の孫達の夏休みがこうして始まった。
(2005年8月:写真:大宰府天満宮・千灯明)