蟋蟀庵便り

山野草、旅、昆虫、日常のつれづれなどに関するミニエッセイ。

秋、高く

2014年10月18日 | つれづれに

 抜けるように高い青空だった。台風19号が空の塵を払い、俄かに朝晩の冷気が身を引き締める季節になった。

 来春に咲く山野草の花の鉢を植え替えた。余分な根を切って株を整理し土を新しくして、苛烈な夏の間は寒冷紗の半日陰に置いていた棚を、日差しを浴びる日向に移す。傍らの鉢では、やがて開くイトラッキョウがみっしりと蕾を増やしていた。花時の長い花である。晩秋から初冬にかけて、花火のように可憐な花を弾かせ続けてくれる。時たま、ぼろぼろに傷んだ翅を懸命に羽ばたかせながら、幾種類かの蝶が庭を横切っていく……少し物哀しい秋の日溜まりである。夜毎の蟋蟀の声も、少しきしり始めた。

 家内の書道家の従妹が、「かな三人展」を開いた。「おめでとう」と家内が花を贈って、二人で会場を訪ねた。眩しい秋日に目をそばめながら、我が家から歩いて10分、太宰府天満宮参道から細い路地を入った奥の古民家の座敷、昭和以前の鄙びた佇まいを残した部屋に、流れるように美しい水茎の跡が並べられていた。
 受付の来場者の記帳を見て、思わずたじろいだ。毛筆の見事な名前が並び、悪筆の我が身ではとても手が出ない。見かねた受付の女性が、そっとサインペンを差し出してくれた。諦めて自虐の文字を並べて、会場にはいった。
 万葉集、古今集、古今和歌集、源氏物語和歌集、和泉式部歌集抄、道真公、芭蕉、山頭火、西行、虚子、久女、与謝野晶子、蕪村、竹久夢二……歌や句の数々が、流麗な仮名文字で書かれ、考え抜いて選ばれた表装が一段と花を添える。眩しい秋日が畳から翻って、観る角度によって文字と背景の輝きを変える。
 廊下の奥に立てられた衝立の一句と文字が心に残った。安元溢という私の知らない名前の人の句を、三人会の一人が筆をそよがせるように書いていた。

   立冬や 生きるときめき 忘れまじ

 玄武厳寒の歳に到った我が身にとって、妙に心に染み入る文字と句だった。
 
 立ち去り難い静寂のひと時を過ごした後、日差しの参道に戻った。俄かにコリアンやチャイニーズのけたたましい声が耳に触る。日本語を聴くことが少ないと感じるほど、最近の太宰府はアジア系の傍若無人の姦しさが募っている。来るたびに新しい店が増え、かつての門前町の佇まいが薄れゆく参道の雑踏を縫いながら、行きつけの店で辛子明太子を求め、お馴染みの店で「梅ヶ枝餅」を二つ買って、いつものように歩き食いを楽しんだ。
 九州国立博物館エントランスへのエスカレーターは家内に譲り、久々に120段の階段を上った。痛めた膝を少し気にしながら一気に歩き上ると、さすがに少し息が上がる。まぎれもなく夏の間の運動不足のツケが、いま此処こにある。
 七色の歩く歩道を出たところで左に折れ、四阿への道を辿ってみた。春、一面に土筆の群落だった湿地はスギナに覆われ、そこかしこがイノシシのぬたばとなって荒らされていた。今日は舞う蝶の姿もない。

 裏から湯の谷口の89段の階段の途中ののり面の笹の枝に、待望のオオカマキリの卵塊を見付けた。折り取って、帰り着いた我が家の庭の鉢に差した。来年の春たけなわの頃、数百匹のちびっこカマキリが、溢れるように誕生することだろう。
 秋の空はいよいよ高く、日差しは汗ばむほどに暖かかった。
               (2014年10月;写真:立冬の句)