東に面した塀際に植えた山茶花が、秋風と共に白い大輪の花を咲かせ、毎日のように一匹のスズメバチ(キイロスズメバチ?)が羽音も高く蜜を吸いにやってくる。
先日傍らを通った時、何を思ったのか突然首にとまった。スズメバチ類の中で、最も刺される事故が多い怖ろしい蜂である。一瞬固まった。動けば間違いなく刺される。中学生の頃、無謀にも捕虫網に捕えて刺された経験があるから、二度目にはアナフィラキシー・ショックという恐ろしい事態もあり得る。首筋の脈動は止めようがない。ひたすら息をひそめて固まっていた。ほんの十数秒のことだったのに、限りなく長く感じられた。
やがて蜂は再び山茶花に戻り何事もなく済んだものの、緊張の数瞬だった。
日差しが斜めに傾いた頃、落ち葉を掃きに庭に出たとき、山茶花の根方で2匹のスズメバチが戦っていた。組んずほぐれつ、絡み合い噛み合いながら地面を転げまわっている。獰猛で雑食の蜂である。蜘蛛、蠅、虻、蝉など数十種類の生き物を捕食し、仲間であっても容赦しない。山茶花の蜜を争っての死闘だったのだろうか、いずれ1匹が死ななければ終わらないと思わせる激しい戦いだった。
しかし、やがて1匹がもう1匹を振り放して飛び立ち、東の屋根を越えて遠くに消えていった。残された1匹も暫く地面をよろよろと這いまわっていたが、辛うじて飛び立って弱々しく翅を震わせながら何処かへ去った。骨肉の争いは何とか引き分けに終わったものの、小さな生き物の命を懸けた戦いは、凄絶だった。
秋の日の日課の落ち葉掃きが続いている。朝の目覚めの後、真っ先に箒を持って庭に降り、道路を掃いて玄関先と庭を掃く。しかし夕方になると、道路は再び落ち葉落ち葉である。ハナミズキの落ち葉は、乾くと砕けるから始末に悪い。箒で掃き寄せる後ろでカサコソと音がする。振り向けば、また新たな葉が散っている。まだ3割ほど散り残した頃、今度はコブシの葉が散り始める。それが終わると、蝋梅とイロハ楓、そして最後はキブシの落ち葉の季節である。
「落葉樹ばかり植えるから」と陰で言われても、いろいろ訳あって植えてきた木々である。それぞれに、我が家なりの思い出があるのだ。これまでに2本の木を枯らした。出入りの植木屋さんが言う。「木が枯れるときには、その家の誰かの身代わりになって命を助けてる」と。我が家には、確かに思い当たることがある。
まだまだ当分この日課は続く。尽きることのないイタチごっこであり、不毛の戦いでもあるのだが、掃きながら、どこか無心になっている自分がいる。面倒をかこつより、季節の移ろいを気持ちのどこかで楽しんでいる自分がいる。
落ち葉の後には、木々の新たな命の再生がある。ハナミズキには小さな玉のような花芽が鈴なりとなり、キブシには既に夏の頃から春3月頃に咲く花房がみっしりと育ち始める。掃き終わって見上げた枝先には、そんな新しい命再生の姿がある。だから、決して落ち葉掃きは苦にはならないのだ。
以前は、掃いた落ち葉を可燃ごみ袋に入れ収集日に出していた。しかし、やっぱり大地の恵みは大地に返そうと、3年前から庭の隅に積み上げ腐葉土に変えることにした。しかし、一朝一夕で腐葉土は出来ない。腐葉土が出来るのと、我が身が土に還るのと、どちらが早いか「神のみぞ知る」である。
風の吹くままに隣近所に散った落ち葉を追いかけ、夕凪を待って向こう三軒両隣りの道路を掃き終わる頃、日が西に傾いて吹く風が俄かにひんやりとしてくる。
この微かな冷たさを含んだ風こそ、肌で感じる秋の息吹である。
(2014年10月:写真:スズメバチの死闘)