蟋蟀庵便り

山野草、旅、昆虫、日常のつれづれなどに関するミニエッセイ。

死闘

2014年10月26日 | 季節の便り・虫篇

 東に面した塀際に植えた山茶花が、秋風と共に白い大輪の花を咲かせ、毎日のように一匹のスズメバチ(キイロスズメバチ?)が羽音も高く蜜を吸いにやってくる。
 先日傍らを通った時、何を思ったのか突然首にとまった。スズメバチ類の中で、最も刺される事故が多い怖ろしい蜂である。一瞬固まった。動けば間違いなく刺される。中学生の頃、無謀にも捕虫網に捕えて刺された経験があるから、二度目にはアナフィラキシー・ショックという恐ろしい事態もあり得る。首筋の脈動は止めようがない。ひたすら息をひそめて固まっていた。ほんの十数秒のことだったのに、限りなく長く感じられた。
 やがて蜂は再び山茶花に戻り何事もなく済んだものの、緊張の数瞬だった。

 日差しが斜めに傾いた頃、落ち葉を掃きに庭に出たとき、山茶花の根方で2匹のスズメバチが戦っていた。組んずほぐれつ、絡み合い噛み合いながら地面を転げまわっている。獰猛で雑食の蜂である。蜘蛛、蠅、虻、蝉など数十種類の生き物を捕食し、仲間であっても容赦しない。山茶花の蜜を争っての死闘だったのだろうか、いずれ1匹が死ななければ終わらないと思わせる激しい戦いだった。
 しかし、やがて1匹がもう1匹を振り放して飛び立ち、東の屋根を越えて遠くに消えていった。残された1匹も暫く地面をよろよろと這いまわっていたが、辛うじて飛び立って弱々しく翅を震わせながら何処かへ去った。骨肉の争いは何とか引き分けに終わったものの、小さな生き物の命を懸けた戦いは、凄絶だった。

 秋の日の日課の落ち葉掃きが続いている。朝の目覚めの後、真っ先に箒を持って庭に降り、道路を掃いて玄関先と庭を掃く。しかし夕方になると、道路は再び落ち葉落ち葉である。ハナミズキの落ち葉は、乾くと砕けるから始末に悪い。箒で掃き寄せる後ろでカサコソと音がする。振り向けば、また新たな葉が散っている。まだ3割ほど散り残した頃、今度はコブシの葉が散り始める。それが終わると、蝋梅とイロハ楓、そして最後はキブシの落ち葉の季節である。
 「落葉樹ばかり植えるから」と陰で言われても、いろいろ訳あって植えてきた木々である。それぞれに、我が家なりの思い出があるのだ。これまでに2本の木を枯らした。出入りの植木屋さんが言う。「木が枯れるときには、その家の誰かの身代わりになって命を助けてる」と。我が家には、確かに思い当たることがある。

 まだまだ当分この日課は続く。尽きることのないイタチごっこであり、不毛の戦いでもあるのだが、掃きながら、どこか無心になっている自分がいる。面倒をかこつより、季節の移ろいを気持ちのどこかで楽しんでいる自分がいる。
 落ち葉の後には、木々の新たな命の再生がある。ハナミズキには小さな玉のような花芽が鈴なりとなり、キブシには既に夏の頃から春3月頃に咲く花房がみっしりと育ち始める。掃き終わって見上げた枝先には、そんな新しい命再生の姿がある。だから、決して落ち葉掃きは苦にはならないのだ。
 以前は、掃いた落ち葉を可燃ごみ袋に入れ収集日に出していた。しかし、やっぱり大地の恵みは大地に返そうと、3年前から庭の隅に積み上げ腐葉土に変えることにした。しかし、一朝一夕で腐葉土は出来ない。腐葉土が出来るのと、我が身が土に還るのと、どちらが早いか「神のみぞ知る」である。

 風の吹くままに隣近所に散った落ち葉を追いかけ、夕凪を待って向こう三軒両隣りの道路を掃き終わる頃、日が西に傾いて吹く風が俄かにひんやりとしてくる。
 この微かな冷たさを含んだ風こそ、肌で感じる秋の息吹である。
                 (2014年10月:写真:スズメバチの死闘)

Happy Halloween !

2014年10月26日 | つれづれに

 「Trick or treat!(お菓子をくれなきゃ、悪戯するぞ!)」……今年もたくさんの子供たちがやって来た。1週間早めの土曜日、Halloween Nightである。予め子供会から託されたお菓子を準備し、夕飯を遅らせて待ち受けた。
 去年までは、アメリカで買い求めてきたAvatarの仮面で迎えたが、不気味さを怖がる子供が多いので、今年はネットで仕込んだ宇宙人に扮した。SFっぽくて、結構可愛いと自画自賛しながら、2本の角を振り立てて待つ。玄関には、Happy Halloweenのリースを掛けた。

 3グループに分かれた子供たちが、ダースベーダ―に扮したお父さん達に率いられて宵闇の中をやってくる。「Trick or treat!」25人の子供たちに、「宇宙人のおじさん」は概ね好評だった!お母さんたちも、意外な出迎えを喜んでくれた。
 「夏休み平成おもしろ塾」で小さな幼子だった子がもう6年生になり、少しはにかみながら「宇宙人のおじさん」を恐る恐る見詰めているのが、何となくほのぼのとして可笑しい。童心に帰って楽しんだ秋の一夜だった。

 元々は古代ケルト人が秋の収穫を祝い、悪霊などを追い出す宗教的な意味合いのお祭りだったらしい。今は本来の宗教的な意味合いはほとんどなくなり、カボチャの中身をくりぬいて「ジャック・オー・ランタン」を作って飾ったり、子どもたちが魔女やお化けや映画のヒーローなどに仮装して近くの家々をまわってお菓子をもらう。アメリカの娘の家でも、魔女やスパイダーマンなどに扮した子供達や大学生までが扉を叩いて、秋の夜を楽しませてくれた。
 古代ケルトの信仰では、新年の始まりは冬の季節の始まりである11月1日のサウィン祭(収穫祭)だった。現在の暦で言えば10月31日の夜に始まり、かがり火を焚き、作物と動物をいけにえに捧げて火のまわりで踊るうちに、太陽の季節が過ぎ去り、暗闇の季節が始まる。11月1日の朝が来ると、各家庭にこの火から燃えさしが与えられ、人々はそれを家に持ち帰り、かまどの火を新しくつけて家を暖め、悪い妖精などが入らないように祈る。1年のこの時期には、この世と霊界との間に目に見えない「門」が開き、この両方の世界の間で自由に行き来が出来ると信じられていたという。

 朝晩は冷え込んでも、昼間は汗がにじむほどの暖かい秋晴れが続く。Halloween Nightの翌朝、日差しが強くならないうちにいつもの散策に出た。折りから開催中の「台北国立故宮博物院 神品至宝」特別展の開館時間で、既に館の外は1時間待ちの長蛇の列である。我が家は既に先日、「午後3時半以降」のご近所タイムに、待ち時間ゼロで、話題の「肉形石」もたっぷり時間を掛けて閲覧済みである。(この時間になると、遠来の客は家路を急ぎ、帰宅の長さや時間を気にしない近場の客の天下となる。)
 行列を横目に見ながら過ぎ、四阿の散策路に抜けて、イノシシの荒らした湿地を仄暗い階段に進み、やがて「野うさぎの広場」に登る山道にはいる。先日の台風の余波で、道には折り取られた木の枝が散乱していた。広場の木漏れ日を作っていた大きな木までが根元から折れ、広場を横切るように倒れ伏していた。19号が直撃していたら、この散策路も惨憺たる様相を呈していたことだろう。
 僥倖を喜びながら、暫く枯れ草の上にシートを敷いて、ほしいままの静寂の空間に浸った。

 風の音と、時折小鳥の囀りが降りかかるだけの、私の秘密基地のひとつである。風に転がる枯葉が、ひっそりと秋を囁いていた。
              (2014年10月:写真:Happy Halloweenのリース)