蟋蟀庵便り

山野草、旅、昆虫、日常のつれづれなどに関するミニエッセイ。

亡び前線北上

2015年07月17日 | 季節の便り・虫篇

 風が吹く。庭の木立を激しく揺らして、風が吹き荒れる。巨大な渦を巻きながら勢力を保ったまま四国沖に迫る鈍足台風11号の余波で、ここ太宰府にも烈しい風が吹き荒れた。翻弄される梢が、うねるように鈍色の空を掃く。

 「こんな夜は出て来るなよ!」祈るような思いで、夕飯後の風吹く宵闇に立った。風の危険を察知したのだろうか、いつもの八朔の高い枝に這い上がることなく、根方に立つホトトギスの15センチほどの高さの茎に2匹がいた。背中に緑が盛り上がり、やがて羽化し始めようとするところだった。この夏、40匹目の誕生である。去年のこの日の38匹を超えた。

 二日早く、15日にワシワシ(クマゼミ)が鳴いた。「ワ~シ、ワシ、ワシ、ワシ…!」姦しさでは蝉の王、暑熱の象徴のような鳴き声が油照りの真夏を謳いあげる。だから、この地方では「ワソワシ」と呼ばれる。少年時代の夏休みのBGMには、いつもこの声があった。遠い日の郷愁を手繰り寄せながら、ワシワシの声を聴いていた。
 
 羽化するヒグラシの傍らの葉陰に、乾いた泥に白くまみれた小さな抜け殻を見付けた。
 「おっ、ニイニイゼミ!」
 体長20ミリあまりの小さなセミだが、「チ~、ジ~!」と鳴く声は意外に大きく、昔はごく身近なセミだった。しかし、幼虫が生存するには湿った土壌が必要であり、都市化が進み、土が乾いたり舗装されたりで、急速に数が少なくなっていった。
 ところが嬉しいことに、近年、全国的に生息数が増え始めているという。「乾燥した土壌に耐性が出来、次第に順応し始めているらしい」と、ネットにあった。かつて「渓流の宝石」といわれ、綺麗な水にしか棲まなかった翡翠(カワセミ)が、都市部の川で見られるようになったのも同じ理由だろう。生き物たちの環境への順応力には目を見張るものがあるが、その順応力でさえ耐えられないほどの環境破壊が、生き物達の絶滅を加速している。勿論、全て人間の為せる業である。

 灰褐色の身体と翅の斑ら模様が木の幹の瘤のような保護色になり、遠目にはなかなか見つけられないセミである。20ミリほどの抜け殻は、小さくて丸っこく可愛らしい。35ミリあまりのヒグラシの抜け殻と並べると、その可愛さがわかる。白く乾いた泥にまみれているし、低い枝や草の茎で羽化するから、他のセミの抜け殻とは容易に見分けがつく。我が家の1匹目は、ベニシジミの為に植え込んであるギシギシの茎だった。(因みに、植え込んで10年以上になるが、物置の陰という場所が悪いのか、いまだにベニシジミの産卵はない)
 成虫になるまでの時間が短く、ほかのセミは夜に羽化して翌朝飛び立つが、ニイニイゼミは羽化した日の夜のうちに飛び始める。
 ネットに「東北地方(特に秋田市)では、地球温暖化等を背景に、近年ニイニイゼミの数が増加している」という記載があった。これも、喜べない環境変化である。温暖化による生き物生息前線の北上は、わが家で見付けた南方種のアカギカメムシ、九州国立博物館裏で見かけた同じ南方種のタテハモドキ等、私自身も何度か実感している。生息前線の北上は、亡び前線の北上でもあるのかもしれない。

  北上する台風が、室戸岬近辺くに上陸して四国を縦断した朝、2匹は無事に飛び立っていった。
台風一過、間もなく梅雨が明ける。夏が一気に弾ける。
             (2015年7月:写真:ヒグラシとニイニイゼミの抜け殻)