蟋蟀庵便り

山野草、旅、昆虫、日常のつれづれなどに関するミニエッセイ。

明けやらぬ梅雨

2015年07月29日 | 季節の便り・虫篇

 一朝、庭の片隅にアブラゼミの亡骸が転がっていた。最近少なくなった蟻に曳かれることもなく、朝風に揺れながらひっそりと横たわっていた。
 7月27日、昨年より3日早く我が家のセミの羽化が終わった。74匹、去年の128匹に比べると著しく少ないが、これも6~7年前の産卵の結果であり、自然界の気まぐれでもある。
 絢爛の誕生の舞台となった八朔にクロアゲハがしきりに舞って、葉裏に小さな真珠のような卵を産み付けている。主役の交代である。
 スミレの鉢に、いつの間にかツマグロヒョウモンの幼虫が数頭誕生し、葉を食い尽くしてはモコモコと次の株に移動を続けている。
 3頭のキアゲハが松の枝を掠めて縺れ飛んだ。雌の奪い合いだろうか?ふと気づいてパセリのプランターを覗いたら、いたいた、2頭のキアゲハの幼虫が育ち始めていた。まだ1センチ余りの若齢幼虫である。吹きつける風に吹かれて合わない焦点に苦労しながら、マクロレンズを近付けた。昨年に懲りて、今年は春から8株のパセリを植え込んであるから2頭には十分だろう。しかし、この2頭で終わる筈はない。まだまだこれからぞろぞろと孵化してくることだろう。また夜の闇に紛れて、近場の家庭菜園のニンジン畑に緊急避難させる羽目になることだろう。苦笑いしながらも、どこかで喜んでいる自分がいる。

 昨日、九州国立博物館の特別展「大英博物館展―100のモノが語る世界の歴史」特別観覧に、第2期環境ボランティアOBとして参加した。懐かしい同期の仲間や、第3期の教え子(?)たちと挨拶を交わし、1時間を楽しんだ。700万点の中から大英博物館自ら選び展示監修した100点の主張は興味深かった。説明文が多く、残念ながら1時間では満足な観覧が出来ないうちに許された時間が過ぎ、後半は改めて来館することにして、夕暮れの博物館を後にした。
 最後の101点目だけ、九州国立博物館が選んだものが出口近くに置かれている。まだ観ていない人のために敢えて書かないが、「う~ん!」と唸って納得。

 それに先立ち、文化交流展示室のミュージアム・トーク「むしの考古学」に参加、トンボ形の鞘金具、銅鐸や銅鏡に描かれた蝶やトンボ、土器に埋もれたコクゾウムシの痕跡、化石の中のトンボのヤゴなどを見て、主任研究員の説明を聴いた。虫と人との関わり合い、それは人類の歴史と共に紡がれ続けている。
 6年間の環境ボランティアを卒業して1年余り、付きまとう淋しさを心の片隅で転がしながら、久し振りに3時間半を博物館で楽しく過ごした。虫ジジイが、夏の暑熱から逃げ込む絶好の空間である。

 7月が終わろうとしているのに、北部九州だけが梅雨明けに取り残されている。今朝も湿度84%、熱中症を煽るように、参議院の安保法案審議が不毛に不毛な議論を重ね続けている。我が家のセミの抜けた後のように、穴だらけの法案につじつまの合わない答弁が続く。急落する支持率に喘ぐ総理の草臥れ切った醜い表情が、一層不快感を増す。余命幾ばくもない内閣と信じよう。支離滅裂の、稚拙なたとえ話でごまかす政府答弁なんか、もう聞きたくはない。党内で反論・批判が何ひとつ出ない自民党とは、いったいどういう集団なんだろう?託すに足る政治家のいない日本、行く末の暗雲が背筋に冷たい汗を滴らせる。

 梅雨明けを信じて、明日から南阿蘇・俵山の秘湯の離れで、部屋付き露天風呂三昧の一夜を過ごす。苛烈さを増す油照りの夏に備え、気力体力に大自然の英気をたっぷりと蓄えてこよう。
 アブラゼミとクマゼミが熱気をかき回した後は、やがてヒグラシが黄昏を呼ぶ時間である。
               (2015年7月:キアゲハの幼虫)