蟋蟀庵便り

山野草、旅、昆虫、日常のつれづれなどに関するミニエッセイ。

春を駆ける

2018年04月12日 | 季節の便り・旅篇

 小さな実を育て始めた白梅の下を、ユウマダラエダシャクが儚く舞った。
 「え?こんな時期に!」
 「梅雨の蛾」である。梅雨間近になると、この尺取蛾が舞い始める。まだ4月初めなのに、晩冬と初夏……汗をかいたり霜に震え上がったり、傍若無人に右往左往する異常な季節……今年の春は、まるでこの国の宰相のように、好き勝手に厚顔無恥な振る舞いを続けて顧みることがない。

 風呂場の片隅や洗面台の傍らに、ふと抜け毛が落ちていて、淋しさを醸し出す。アメリカに住む次女が、二十数年振りに日本の桜が観たいと帰ってきた。開花予想に合わせてスケジュールを組んだのに、1週間季節を先取りして桜が満開を迎えた。珍しく晴天続きの半月あまり、もうこれ以上の桜はないというほど桜尽くしを満喫して帰って行った。その翌日から、また雨と戻り寒波が来た。運の強い娘である。

 糸島半島・二宮神社、閏神社、産宮神社、櫻井神社を巡り、船越漁港の牡蠣小屋で焼き牡蠣や蛤、帆立貝を、お腹がはち切れるほど食べることから、欲張りな駆け回りが始まった。
 京都に新幹線で走った。開花予想日だった筈なのに、迎えてくれたのは満開の枝垂れ桜だった。高校の修学旅行がスキーだったために、次女は京都を全く知らない。最も混雑するこの時期の京都である。無駄なくベタな京都を巡るために、観光タクシーを二日間チャーターした。これは正解だった。アジア・欧米の観光客が溢れる雑踏の中、効率よくコースを組んでくれて、三日間で回った神社仏閣は16!個人で回ったら、おそらくこの半分も回れなかっただろう。
 その上、観光客が来ない穴場の静かな寺院なども案内してくれた。

 清水寺から始まった旅だった。カミさんと私は、半世紀前の静かな京都を知っている。だから、想い出を壊しそうで、現在の京都には躊躇いがあったのだった。清水の坂で人波をかき分け……建仁寺、三十三間堂、方広寺、豊国神社、辰巳大明神。鴨川も白川も高瀬川も、まさに爛漫の枝垂れ桜並木だった。
 一夜目の宿を、八坂神社脇の昔ながらの和風旅館に取り、駆け足の旅の疲れを取ろうと大浴場に行ったら、周りは全てお喋り好きなイタリア人!日本人は誰もいない。隅っこに小さくなって湯を楽しんで出たら、エレベーターから現れたのが芸妓さんと舞妓さんの3人連れ!「こんばんわ」と声を交わし、舞妓さんが開けて待ってくれていたエレベーターで部屋に戻った。思いがけない出会いに舞い上がって、舞妓さんの顔を思い出すことが出来なかった。(因みに、カミさんと娘は舞妓さんに出会うことはなかった。)
 股関節を労わって休む私を置いて、カミさんと娘は夜の祇園の散策に出かけた。古い町並みが風情を醸す花見小路やねねの道を歩き、高台寺のプロジェクション・マッピングで光の幻想を楽しんだという。
 
 朝の八坂神社から円山公園は、目を瞠るほど見事な枝垂れ桜の満開だった。知恩院、天龍寺……野々宮、祇王寺、落柿舎、そして化野の念仏寺へと続く昔一番好きだった嵯峨野の竹林で愕然、何という雑踏だろう!擦れ違うのも難しいほどの人混みの間を、車まで入ってくる。微塵に砕かれた想い出の重さに耐えかねて、ほうほうのていで逃げ出した。
 金閣寺、今宮神社。最後に寄ってくれたガイドお勧めの泉湧寺・雲龍院の静寂は、これこそかつての京都だった。写経する人を除いては、誰一人観光客がいない古刹の沈黙に浸った。

 最終日、京都駅近くのホテルで前日の8500歩の歩きに痛む股関節に、私は部屋で休養。カミさんと娘は東寺、東福寺、智積院を回って……慌ただしいながら、全く無駄のない3日間の京都だった。

 翌日、満開のソメイヨシノの並木が連なる御笠川沿いを歩き、太宰府政庁跡で花吹雪を浴びながらお握りを食べ、居酒屋での河豚のフルコース、嬉野温泉での露天風呂三昧、博多座の市川海老蔵公演……びっしり詰め込んだスケジュールを韋駄天で駆け回り、お土産に膨らんだ23キロのスーツケース二つと、5キロのキャリーバッグにリュックを担いで、娘は名残りを惜しみながらカリフォルニアに帰って行った。
 またいつ会えるかわからない遠国である。落としていった抜け毛が、淋しさを齎す所以である。

 かつて次女が住んだジョージア州アトランタの市の花・ハナミズキが一斉に開いた。淡いピンクが五月のような青空に映える。春を通り越して初夏真っ盛りの風情である。
                   (2018年4月:写真:円山公園の枝垂れ桜)