
瞼の裏にオレンジ色を焼き付けて太陽が燃えた。南緯10度に満たない殆ど赤道直下の日差しは、まさに壮絶といいたいほどに強烈だった。
椰子の木陰に置いたデッキチェアーに懶惰に横たわり、文庫本を片手に無為の時を流しながら、心は限りなく贅沢だった。向こう1週間何の予定もない。気が向けば海に飛び込み、空腹になればボーイを呼び、うつらうつらと熱帯の日差しの中でまどろみながら、無造作に自分を放り出しておく。何もしない贅沢を初めて知ったのが、ここバリ島のビーチだった。
インド洋とティモール海が接するあたりの外洋の波涛は豪快に沸き立ち、この島が世界中の若者達のサーフィンのメッカであることを文句なしに頷かせる。その波音の合間に、空の高いところから鳥の形をした大きな凧の羽音が降ってくる。それにかぶさるように椰子の木立の奥からけだるいガムランの音楽が響く。日差しは苛烈なまでに強いのだが、吹き抜ける海風が汗を拭い去り、日本の夏のような不快感はない。時たま熱い砂を踏んで頭から涛に飛び込んでは、またデッキチェアーに寝そべって肌に塩を吹かせる。太陽が西に傾き、華麗な残照の夕焼けが始まるまで、贅沢な無為の時が過ぎていった。
多島海インドネシア中南部の外れ、ジャワ島の東に潜むように小さな島・バリがある。その又南の外れに小さな島を橋で繋いで、全島リゾートとして開発されたヌサ・ドゥア。五つ星クラスのホテルが点在し、ゴルフ場と専用ビーチを持ったここは、一般の人々を中に入れない、治安と美観に何の不安もない別天地である。
先年、ジャワ島にある世界最大の仏教遺跡ボロブドゥールを観たくて初めてインドネシアを訪れた。そのツアーに組み込まれていたのがここヌサ・ドゥアのバリ・ヒルトン・ホテルだった。椰子の木立に囲まれ、バリ特有の数々の石像を配して、一切の壁や扉を取り払ったエントランスからロビーへの佇まいに魅せられて、以来ここがバリの定宿になった。
5月の連休を終え、日本では観光の端境期になる頃訪れると、日本人の姿も少なくなり、迎えるスタッフも、特に夫婦者や家族連れの客には限りなく優しくなる。
初めての時は、何も解らないままに旅行社任せの盛り沢山のツアーだった。デンパサールの街を歩き、ジャワ島のジョクジャカルタに飛んで、ボロブドゥールやプランバナンのヒンズー教の寺院を観て再びバリに戻り、ロブスター・ディナーを楽しみながらバロン・ダンスやケチャック・ダンスを観賞して、バリ絵画の村ウブドゥ、木彫りの村マス、銀細工の村チュルク等を駆け足で回り、キンタマーニ高原に駆け上がってインドネシア料理を食べ…やたらに忙しい旅をした。
純化された特有のバリ・ヒンズー教の信仰と歌や踊りの芸能、バリ・アートと言われる絵画や彫刻や金銀細工、バティック(蝋染め)やイカット(絣)という染色織物、それらが日常生活の中に渾然一体となって何の違和感もない。“神々に最も近い島”として一度訪れたら病みつきになってしまう島の観光は忘れ難いものだったが、それにも増して何よりもの収穫は「何もしない贅沢」を身をもって知ったことだった。
昼間のビーチやプール・サイドに日本人の姿はない。右往左往しながら「元を取らなきゃ損」とばかり駆け回り、疲れ切ってホテルに戻って寝てしまう日本人観光客の姿を見て、あれが昨日までの自分たちだったのだと思うとおぞましい。リゾート、バカンスに関してはまだまだ日本は後進国なのだろう。オーストラリアやヨーロッパからの滞在客は、すべからく何もしない。一見怠惰に見えて実は何という贅沢な過ごし方だろう。
日が傾いた頃ビーチを引き上げ、途中プールに飛び込んで塩を洗い落とし、少し着飾って今夜は隣のホテルのダイニング・ルームでディナーを楽しむことにしよう。ギターを抱えたトリオが寄ってきて、ラテン・ナンバーのリクエストに応えてくれる。それを快く聴きながら、キャンドルの淡い光に包まれて摂るディナーの何とリッチであったことか。
昨日はシャトル・バスに乗って夕暮れのクタの街に出掛け、英語を話せないドイツ人と日本人の夫婦4人連れが、英語の通じない街でショッピングするという珍道中を楽しんだ。これが旅なんだな…そんな確かな実感があってやたらに嬉しかった。
日が落ちるとバリに深い闇が落ちる。もう日本ではよほどの山奥に行かないと見ることが出来ない濃密な夜がやってくる。殆どの商店も民家も短い蛍光灯1本だから、夜空に光が拡散することがない。見上げると幾層もの厚みを持った奥行きのある夜空が、怒濤のように落ちかかってくる。憧れ続けた南十字星でさえ、この絢爛たる星屑の海では慎ましく目立たない存在でしかない。わざわざ椰子の木に擦り寄り、その葉末に南十字星を搦めてようやく確認しなければならなかったほどに、この星空は華麗だった。そしてそれを引き立てる豊かな闇があった。
3年間の空白が、しきりにバリに心をいざなう。守護神ガルーダが呼びかけてくる。ガムランの音色が心の奥に蘇る。…心を揺する振幅が次第に止められなくなって、思わず吐息を洩らしてしまう…それが私達のバリなのだ。
(1997年10月:写真:バリ・ヒルトン・ホテル)
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