
机の上に置いた透明なシートの下に、2枚の写真がある。バリ島ヌサ・ドゥアの朝日と、ハワイ・マウイ等の夕日。海のうねりも雲の佇まいも、黙って示されたらどちらが夕日でどちらが朝日なのか全く区別がつかない。ファインダーを覗いた私だけが知る微妙な違いなのだが、太平洋とインド洋の波頭を煌めかせ雲を染める太陽には、共通するある潔さがある。
水平線を割り、天頂に向かって躍り上がる朝日は黎明を引きずらないし、雲を一瞬燃え上がらせて波間に沈む夕日も、決して黄昏を引きずらない。明け惑い、暮れなずむ曖昧な昼と夜の交代劇の躊躇いが見事なまでにないのだ。
太陽の下縁が水平線を離れた瞬間に、もう眩しく輝く昼が始まり、上縁が波間に没した瞬間に潔く一気に夜の帳が引き下ろされる。
日の出と日没の違いは、見る者の心の中にだけ存在する。目覚めと、新たなる一日の始まりに寄せる漠然とした期待が朝日をより眩しくさせ、いつものように何事もなく一日を終え、少しの安堵と少しの諦めを心に取り残して去っていく夕日をもの哀しくさせる。朝日に喜びを、夕日に哀しみを感じさせてくれるのは全て人の心のなせるわざなのだが、何かに託してみたくなる…それが私自身にとっての太陽の存在感だった。
「タナロット寺院の夕日を見に行こう!」発作的に思った。バリ島西部のロック・テンプル。若者のビーチ・クタの夕日をはじめとして、バリには数々の夕日のビュー・スポットがあるが、波に洗われる巌上に幾つかの重層の屋根を連ねて、残照の中に黒いシルエットを見せるタナロット寺院の夕景は、自分なりに必見と決めていた。
早速、ホテルのロビーで遊んでいるガイドをつかまえて交渉にかかった。例によって「Mahal(高いよ)!」を幾度かやりとりして、およそ3500円で往復3時間ほどのサンセット・ツアーをまとめた。
釣瓶落としの夕日を追いながらタナロットに向かい、程よい刻限に到着した。もう日暮れ近いというのに、小さな子供達が観光客に纏わりつきながら絵葉書を売っている。何故かどこに行っても、何を売っていても「千円、シェンエン!」で全てが決まる。カエルの民芸品1個が5個になり、最後に10は個になる。「一枚シェンエン!」の帽子が最後には10枚になって、「10枚もいらないよ、1枚100円なら買うよ」という算数が通用しない不思議な観光地商売は、バンコクでも同じだった。そんな掛け合いを楽しむのもアジアならではの旅なのだ。
可愛い女の子にせがまれて10枚つながった絵葉書セットを10セット、千円で買ってしまった。(これでもインドネシアの大卒の給料1万円、一流ホテルの女子店員の給料3500円という相場では大変な高い買い物なのだ。)
海に面した崖の上の茶店の籐のベンチに座り、ココヤシを抱えてその青臭く薄い甘みのジュースを飲みながら日没を待った。雲を染める夕焼けが今宵は一段と美しい。夕日の映える島・バリでも、いつでも見事な夕日に巡り会える訳ではない、とガイドがしきりに胸を張る。
穏やかな海に最後の煌めきを輝かせて太陽が没すると、一気に夜が来た。黒い寺院のシルエットはどこまでも静かに佇み、中天から幕を引き下ろしたように、圧倒的な広がりで星空が落ちてくる。星屑が降るという程度ではない。空そのものが無数の輝きを包み込んだまま、一気に落ちてくるのだ。
厚みのある闇が、満天の星を限りなく深くする。必見、タナロットの日没。3500円は決して無駄な投資ではなかった。
帰路、クタの街を走った。かつての小さな漁村は、ヒッピーに発見され、オーストラリアのサーファーに育てられて、今では世界中の若者がサーフボードを抱えて集まるビーチとなった。島の人々も若者も、ちょっと高級なビーチに憩うリゾート客も夕日を見に集まり、昼間以上の賑わいとなる。高級なブティックから屋台に近い店まで、様々な顔を持つクタの街は、決して飽きることがない。小さな蛍光灯だけの店先には、眩しいまでにライトアップされた日本の商店街には見られない、懐かしい温もりがある。
なけなしの千円札を握った若者でも、万札を懐に潜ませたハイソサエティーでも、分け隔てなく楽しませてくれる不思議な街・クタ。
Selamat Pagi(おはよう)、Terima kasih(ありがとう)、Mahal(高い)、たった三つのインドネシア語で全てが楽しめる島・バリ。天国が、手の届きそうな所にある、そんな豊かな心にさせてくれるこの島を、自分自身の生涯のリゾート地と決めて、今年も訪ねるチャンスを窺い続けながら過ぎようとしている。
(1997年10月:写真:タナロットの夕日)
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