妹の三回忌を二日後に控えて、兄が逝った。享年84歳、私とは1年半の歳の差だった。町内に住む兄の親友が、もう一人の親友の参議に電話し、高校の同期の柔道仲間に知らせるよう頼んだところ「もう、みんな死んで居らん!」と返事が返ってきたという。84歳とは、そういう歳なのだ。74歳で彼岸に渡った父だったが、その後一人で10年生きた母が逝ったのも83歳だった。私だけが生き残って、馬齢を重ねている。
大雨の後、猛暑が続いた秋だった。寒暖乱高下する気候に翻弄され、体調が狂った。暫く辛抱したが捗々しくなく、掛かり付けの病院に駆け込んだ。症例を話したら、「それ、自律神経!」と即答、薬を調剤され、点滴を受けた。納得である。
爽快な秋晴れが、ようやく還ってきた。例年なら、高原ドライブをして山野を歩き回り、野性を追いかける時節である。「野うさぎの広場」への散策さえ、あと一つ気が乗らず、カミさんから老人性鬱を疑われる始末だった。
緊急事態宣言終了を機に、月一の読書会が復活した。読み続けている「伊勢物語」は97段、何とか今年度中(来年3月)には125段を読破出来そうなところまで読み進んできた。週一の気功教室も復活した。少しずつ元に戻りつつはあるが、コロナ前の日々とは、どこか根本的なところで違っているような気がする。このところの急速なコロナの鎮静化も、日本固有の現象でどこか不気味なものがある。
人と会うことが少なくなった。テレビの前に坐る時間が増えた。そして、やたらに昔のドラマの再放送が増えた。脚本が貧しく、役者が薄い上に、軽薄なお笑いを多用する最近のドラマより、はるかに観るに堪えるものが多いから助かっている。女優も今ほど痩せっぽちじゃないし(痩せた方が美しいと、誰が誤った風潮を作ったのだろう?カマキリ脚より、むっちり太ももの方が遥かに癒されるのに)、スカートも短くてホッとする。ジジイがこんなことを呟くから、益々自律神経がおかしいと言われるのかもしれない(呵々)。
時々、あまりにも古すぎて、出演者の大半が故人だったりもする。どっこい、こっちはまだまだ元気で生きてるぞ!
しかし、時々ドキッとする。昨日も、マヨネーズを買いに行って、ケチャップを買ってきてしまった。笑い飛ばしながら、どこかで加齢に慄いている自分がいる。
雨が降らない。10月も記録的少雨だった。平年の10%にも満たないという。カラッカラの大地を踏んで、マスク不要の早朝のウォーキングも始めた。50段ほどの石段を踏んで、石穴稲荷の本殿に詣でる頃、まだ黎明の明かりは届いていない。ペンライトで照らしながら詣り、ライトを消して漆黒の闇に佇む。お狐様の館なのに、不思議に恐怖感はない。何も見えない世界の静寂は、何故か心を鎮静化する。願い事への御利益のほどはわからないが、この静寂が欲しくて、ついつい本殿までの階段を上ってしまうのだ。
漸く薄明が届くころ石段を下りる。道端の叢には、もう種を弾かせ始めたウバユリが何本も立っていた。
午後の暖かい日差しの中を、友人がオキナワスズメウリを袋いっぱい届けてくれた。数年前に我が家から分けた種を、さすがに農業のプロ、毎年おびただしいほどの実を育て、こうして届けてくれる。我が家は、今年は全滅だった。同じ日差しでも、土が違うし、丹精の籠め方が違うのだろう。
早速、いつものように玄関脇の窓に吊るした簾に飾り付けた。緑と赤の小さな瓜の玉が、秋風に揺れる。落ち込みがちだった秋、復活への足がかりがこの実にあるかもしれない。
明日午後、久しぶりに雨マークがついた。
(2021年11月:写真:オキナワスズメウリ)
御隠居様のブログアップないのも気になっておりました。人間生きていればいろいろあることとは頭の上では解っているつもりですが、なかなか上手くいかないことばかりでございます。
自律神経?で点滴って初めて聞きました。
酷暑のお疲れが出たのでしょうね。
どうか、お体を大切になさってお過ごしください。
いつもの、文章下手、上手く言葉になっておりませず申し訳ございません。